基本と破壊、そしてジャッジメント

この頃は、短歌や川柳の作句や出詠の締め切りにかなり追われているわたくしです。当ブログの更新がなかなか進まず、申し訳ありません。

早速今週末の「世界の音楽」、新譜チェックを進めている最中ですが、最近「壊れた音楽」が異常なまでに増えた気がします。
ここで言う「壊れた音楽」とは、基本を踏まずに破壊行為に走ったものを意味します。これは短歌や現代川柳にも同じことが言えるかもしれません。
勿論現代音楽はその最たるものと言えるでしょう。様式美を逸脱したのではなく、そもそも様式も基本も無視した表現ですから、概ね冒頭に「現代〇〇」‥ と付くものに触れる時には注意が必要です。

基本を踏まずに壊れたものは、ただのガラクタだと私は思っています。ガラクタにはガラクタの価値があると言う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
利用価値がなくなったものを「ガラクタ」と言うのであり、この世にガラクタ同様に生み出されたものには悲壮感と絶望しか感じない、これは正常な感覚ではないでしょうか。生まれた時に既にガラクタである状態が、完成形なのですから‥。
 

 
言ってみれば、SNSはガラクタの温床と言っても過言ではないでしょう。そんなSNSにかつては私も埋没し、情報の多くをSNSで受信し、その真偽を確認することもせずに勢いにまかせてシェアや発信をし続けて居たことを思えば、人の事は言えません。
 
ですがその危険性に気付いた今だからこそ、過去からの学びを発信するのも又責任と言うものでしょう。
自身の過去の反省点は、必ずあるべき形に戻す為の回収をする、これが私のポリシーです。
 

スピリチュアルも音楽も政治も、そして短歌や川柳のみならず現代詩の世界も美術家界隈に渡る隅々までガラクタは蔓延しており、それもこれも各業界に於ける評論家が激減したことも大きな要因かもしれません。
医療業界や美容業界を見てもこれは同様で、法整備に抜け穴だらけの法や薬機法等に縛られた専門医が自由に発信出来ない反面、美容ライターのような存在が「好みと合うもの」を良品として紹介する記事を書いている状況があります。
 
勿論音楽業界でも同じことが多発しており、発信者自身の好みを問わず目の前の作品を虎視眈々と評価する行為に及んでいるようには見えない、虚実混交とも言える情報が蔓延しています。
多くの人たちは真実を知りたいと思うが余りにヒステリックに、或いは衝動的に目前の情報にうっかり同調したり反撃や罵詈雑言に及んだり、そういう状況が当たり前に私の視界に広がって行きます。
 
最近は現代川柳の句会等を頻繁に覗いてみたりもしているのですが、川柳の原点とも言える「粋さ」の無いただのダジャレの文字列合わせに奔走している柳人(川柳作家)がやたら目に付きます。
ですが彼らの多くは、それが川柳としての基本を踏んでいないことを知りません。上手に言葉を捻っておけばその句は成功だと言う勘違いをしており、そういう自称柳人(比較的若い層に多いかもしれません)が「選」を担当し、句会に出詠された多くの句に点数を付けて良質な句を捨て句に追いやって行く現象に、私はある意味失望を感じています。
 
音楽も同様、美術界隈も舞踏も皆一緒かもしれません。本物とガラクタの見分けが付かない人たちが、ふとした弾みで「プロ」や「専門家」を名乗れてしまう時代が、まさに今の悪しき状況でしょう。
 
今週末はリリースされた音楽の質が低いものが多く、各々が自力で良質な作品に出会う道筋をガラクタ作品が完全に塞いでいるように感じました。
なので私はなるべく、そのガラクタをどけた良い状態に整地した音楽環境を各プレイリストに提示しています。
自作品でもないのにここまで力を入れて活動しているには私なりの理由と、リラ星最後の巫女としての責任を感じていることの両方がその理由です。

SNSやこのブログ、そしてサブブログディディエ・メラの音楽倉庫からの進捗がなかなか捗らない現状ではありますが、水面下で私は実生活の充実と立て直し(転居等を含む)を試みている最中です。

未だ作成段階で温めている最中のPLを、下に貼っておきます。今週末の更新は終わっていないので、時々PLを覗いてみて下さい。
 


New Life, Next Life

前記事の更新から早くも一ヵ月弱が経過したことになりますがその間、私は第二の生活の準備を慎重に進めていました。
頻繁に体調を壊し高熱と微熱の乱高下に悩まされながら今日に至りますが、その理由がシュールな(つまり霊的な)ものが要因だと今朝判明し、むしろ少し気持ちが楽になりました。
 
既に実家の家族全員がこの世を去り、私の旧姓でもある「山田家」は私一人がこの世に生きていることになります。それを快く思わない人たちが親戚や実母や実弟に関わった人たちの中にも複数いることは重々承知していますが、それは私の非ではなく先方の大いなる誤解に基づいた行動と歪んだ判断、排除意識の側にあったと私は認識しています。
私の今の人生の運行を考えると、それらはさして大きな問題でも障害でもないと感じています。それはこの数年間で私が、少しだけ成長した証しかもしれません。
 
最愛の夫、そして愛する神々や神獣たちに囲まれた日々は、人に話すには突飛なことも多々ありますがとても穏やかで豊かで、何よりスピリチュアルな観点で様々な学びを得られることが本当に幸せです。
 

 
新居への引っ越しの準備は少しずつ、少しずつ進んでいる最中ですが、なにせこの戦争、このご時世の中での挑戦的な行動は慎重にならざるを得ません。
 
特に今年は短歌、俳柳、そして現代川柳界への進出に忙しくしています。
「詠む」と言う名の執筆、その数は日々膨大です。一句、一首を生み出すにあたり数十から数百の言葉の帯を叩き出し、それを数日間寝かせてから放って行きます。
特にこの夏には50首連作の出詠を控えているので、殆どの時間を書斎で過ごしています。
 
某所からのご質問のメールを頂戴していますのでこの記事に、あえて記しておきます。
 
私は「予言(預言)」の大半を既に自作のピアノアルバムに録音の上配信している為、今後当面の期間の新譜のレコーディングを予定していません。
自分が放った予言の流れ、その結果の片鱗を先ずはこの目で確認したいと考えているので、世界の次の大きな転換期に差し掛かるまでは音楽作品を作らない方向性で気持ちが固まっています。
それ程に、世界は今後混沌とした時代に入って行くので、その過程で起きる様々な(時代の)闇を音楽に残すことには余り乗り気ではないからです。
 

・世界の混乱、それにともなう異常気象による人口減少、さらには国家の消滅等(一部欧米文化の衰退を含む)。
・既に当ブログでも告知していたK-Popの衰退(これは現行で形になりつつあるようですが)。
・宇宙系陰謀論に関連する嘘が暴かれ、その一部が実世界に刻まれること(これについては某銀河連合の特使を名乗る人物の、ある意味いい加減なでっち上げが形になりつつあります)。
 
そして何より私が自身のアルバムに収録した曲『Empty Throne』、つまり『空(から)の玉座』が複数個所で近い将来、現実のものとなるでしょう。
此方は余り喜ばしいこととも言えないので当記事でのこれ以上の言及は控えますが、上記に記載しただけでも推測した段階では全く影も形もなかった現象が現在では、誰でも見えるニュースとしてこの地球上で確認することが出来るようになりました。
 

 
人の世界を動かして行くのは、マンパワー以外には考えられません。
ですがそのマンパワーの原動力として、スピリチュアルな感覚が絶対必須です。
スピリチュアルは現実と必ず同期して現象として表れることが「正確性」の条件であり、そこに「たら」「れば」を挟む余地等ありません。
逆説すればそれは「祈り」に形を変えた念とも言えるわけで、こうなって欲しい、こう在るべきだと思うこと、それを祈り続けることで現実をそこに近付けることが可能だと言えます。
なので、祈る人自身の重責は計り知れず重いのです。
 
多くの現在のスピリチュアルやスピリチュアリストの言葉や発信は、上記の「正確性」「現実性」の条件を満たしていないのも又現状です。
現実の現象と無関係な観点で「どう思うのか、どう感じるのか‥」 に固執し依存しているから、むしろ目の前に示されているサインや暗示を個々が完全に見逃しているとも言えるでしょう。
 
多くのスピリチュアル関連の人たちは、現実と感覚を切り離して考えているのかもしれません。スピリチュアルなことが現実であってはいけない‥ と言うような歪んだ空想に強く固執している原因は、人生スキルの取得やその厳格なプロセスを回避したことに他なりません。
職業スキルや学歴等、何一つ取得した経験すらない人にスピリチュアルを語れるはずがありません。ましてや人の人生に干渉するなど、もっての外です。
現実は過酷です。何をするにも人の目、人の審査を経る必要性が生じます。もしも人の審査を経ずにその先を急ぐのであれば、それは生まれつきの天才か或いは複数の過去世の経験から成る陰徳を積み重ねて持っていることが、条件として求められると私は思っています。
 

私は上記の条件の両方を持って生まれて来た為に、今世の半生は散々な目に遭い人の世界を排除され、実際に死を考えたこともありました。
ですが持って生まれた才能とも言える「音楽」が形を変え手を変え、私を常に助けてくれました。さり気ない形で私の前途に道を切り開いてくれただけでなく、親族の家庭外排除の期間中ずっと私を支えてくれたのが「音楽」だったと言っても良いでしょう。
そしてもう一つ、夫に出会うまでの私を支えてくれたのは「言葉を持たない動物」の存在でした。カラスのミーナ、猫の「ともや」を始め最近ではウサギの一代目「桃樹」、そして二代目の「マイケル」とそれは続きました。
 
二代目のマイケルの最期は実母の不自然死の時期とも重なり、元々神経症を持って生まれて来たマイケルに私はむしろ普通のウサギであるように自然に育てて来たつもりが、最後の最後で母の霊体が私の宿敵であることをマイケルが察知し、母の霊体を粉々に粉砕した直後にマイケルは永眠しました。
 

 
私に出来ることは何か‥。それは何も音楽に限定することはないと、最近感じています。
作詞家として、訳詞家としてのやり残しもあり、今のところはそのエネルギーを短歌や現代川柳、そして自ら立ち上げた新ジャンルである「俳柳」に全振りで注ぎ込んでいます。
最初はSNSをその主な発信媒体と考えて毎日かなりの分量の短歌や川柳をX等に放って来たのですが、やはりそのままでは先には行けないことをある時から痛感し、そろそろネット歌人/ネット柳人を終了しなければいけない時期が到来しているのを背中にひしひしと感じています。
 
私は人の審査を好まないので、これまでの音楽活動同様に私特有の路をここからさらに歩んで行くことになると思います。
私の霊体が持っている情報、知っていることや経験値と同じだけの経験を積んだ人は、他に居るとは思えないからです。
 

今後暫くはSNSでの発信は激減すると思います。
ただでさえXのメインアカウントが凍結されたまま現状も改善されないので、当面のメインのSNSはBlueskyに限定して活かして行くことになります。

音楽家・芸術家/ディディエ・メラ、そして歌人・柳人/七澤銀河共にBlueskyで検索出来ますので、興味のある方は是非そちらまで足を運んで下さい。

ディディエ・メラ: https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social
七澤銀河(短歌/俳柳/川柳): https://bsky.app/profile/ginga-nanasawa.bsky.social
 

最近作業用BGMにブラジル音楽を聴くことが多く、自身のPLにそのカテゴリーを追加しました。
まだ現在育てている最中のPLにはなりますが、よろしければ是非使ってみて下さい。
 
『🌴Saudade 2026’』:

世界の音楽プレイリスト更新に関する雑感

毎週末欠かさず世界の音楽の各PLを更新していますが、このところの戦争の影響もあるのか‥ 大作が少なくなったような気がします。
これは日本国内も世界的にも両方共に‥ と言う意味で。
 
先週末は南米、特にブラジルからの新譜のリリースがめざましい印象がありましたが、どういうわけかブラジル音楽は飽和状態から今ひとつ抜け出せないような印象があります。
 

 
あくまでこれは憶測の域かもしれませんが、アマゾン河流域の火事の頻発その他河自体の枯渇状態が進んでいることも、音楽文化の停滞の大きな要因になっているのではないかと私は見ています。
 
そう言えば私は2020年に『Amazon River』と言う曲を配信していますが、この作品はまさしく私が当時感じ取ったアマゾン河流域ないしはブラジル全体~地球全体の水と自然の枯渇を予知した作品でした。
 


 

2026年5月、第三週目の「世界の音楽」の新譜にはブラジルからの新作がかなりの数並んでいたにも関わらず、全体的に音楽性の硬直を強く感じ、躍動に欠けるような印象を強く受けました。
 
又、とても楽しみにしていたイタリアのSSW/Monica Saenelli(モニカ・サルネリ)の新譜『Duemilaventisei』(邦題: 2026年)に見られるモニカの声質の劣化には、かなり落胆を感じずにはいられませんでした。
おそらく女性特有の要因が重なった末の状況だとは思いますが、であればもう少しミックスに工夫を凝らすか或いは声質の劣化が目立たないような楽曲構成や歌唱表現を誰かが提案する等、対策の可能性は幾つかあったようにも感じますが‥。
 

比較的安定しているのがスペイン勢。
勿論音楽的な躍進は見られないものの、彼らの中で存分に温まったものが必然的に外側に出て来たような印象を受ける楽曲が多く、此方は安心して聴いていられます。
 

 

 
日本からはChouchouの作曲担当であるArabesque Chocheの新譜Three Quiet Peices、或いはRakiaのInner Feelings等の積極的なEPやアルバムのリリースもありましたが、何れも小品が小奇麗に並んでいる印象を越えることはなく、プレイリストにスクラップするには至りませんでした。
 

最近私は「七澤銀河」と言う筆名で色々な短歌や川柳(現代川柳)を編みながら過ごしていますが、それも含めて一つ強く感じていることがあるとすれば、現代の人たちの多くが「悩む」「苦悩する」ことから上手に逃げて生きている点かもしれません。
度々巷で見られる「ポジティブシンキング」の捉え方を間違えているのか、痛みや苦悩、苦痛を「なかったこと」にしようとしているような節が見られ又、そういう現実逃避術を助長するような文言を多く発信している一部のインフルエンサーの悪影響をここに見て取ることも出来ます。
 
文筆面で言えば特にそれは現代川柳の領域に多く見られ、人生を深く感じる前に目の前の何ってことのない題材をあげつらってそれを面白おかしく17文字に斬って行く‥ と言うような、駄洒落でも句でもない日記メモのような状況で比較的安易にネット上に放ってしまうような状況がそこに在るように思えてなりません。
 

これはこの記事に書くべきかどうか、とても悩んだのですが、折角なので書籍のご紹介がてら書き残しておきたいと思います。

先日、卒寿記念に出版された川柳家、鈴木節子さんの句集『無重力圏』を読ませて頂きました。
  

 
これが凄まじく、節子さんのご年齢だからこそ詠むことの出来る迫力の句が当然のような顔で(適切な表現が見当たりませんでした‥)、ぞろぞろと軒を連ねて詠まれているのです。
 
その日まで駄洒落とも、或いは俳句なのか無季俳句なのか或いは川柳なのか現代川柳なのかが判然としない句に多く触れて来たので、私が青春期に参加していたクラブ「川柳部」の、あの「粋さ」ともどこか違うピンボケしたような句に紋々としていた私の視界がようやく正常値に戻ったような、ある種の呼吸と躍動感に触れて、この句集に出会えて本当に良かったと思っています。
(この句集をするりと入手に漕ぎ付けて下さった川柳社「満天の星」月波与生には、この場をお借りして心より深く感謝を申し上げます。)
 

あたかも音楽とスピリチュアル、スピリチュアルと地球環境、或いは地球環境と文字世界が無関係に動いているように一見見えますが、人の営みに無関係なものなど一つもありません。
全てが同期して、連携して成り立っていることを最近痛感しています。
なのでまるで音楽の作業を蔑ろにして文屋の世界に埋没しているように一見、見られている私かもしれませんが、文字の中にも音楽があり、音楽の中には歌(ことば)と生命があり、歌のセンテンスの中には節があり、その節の中には祈りがある‥、全ては私の中で連携しています。
 

さて、世界の音楽の今後の予測ですが、KPopの衰退~敗退もさることながら、フランスをはじめとする色々な音楽文化が一時的に衰退の道を辿ることになりそうです。
世界的な「あの」ワクチン強制接種の遅効性の後遺症等もその要因の一つでしょうし、それによる人口減少が今後の一時的な文化の衰退に拍車をかけて行くことにもなるでしょう。
 
その側面で、例えば私のように「世界の音楽」の紹介や分析、さらには音楽評論と言う形で無形文化財の記録を日夜更新しているような人材は、今後何かしらの切っ掛けで要の人材になるように感じています。
 

先週末に更新した世界の音楽の各ジャンル別のPL(プレイリスト)については、音楽評論ブログ『ディディエ・メラの音楽倉庫』の以下の記事に掲載していますので是非、最新の良質な音楽に触れてみる切っ掛けとして聴いてみて下さい。
 

 
 
※現在「X」のメインアカウントの凍結状態が続いている為、日々のつぶやき及び音楽関連の発信はSNS/Blueskyをメインの公式SNSとして稼働しています。
 

https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social

 

関連記事:

https://note.com/didiermerah/n/n3e9cd4a3bb0d?app_launch=false


歌人【七澤銀河】始動!

私には多々の職歴があるので、このブログにどこまでその断片を露出させて行くべきかについては少し考える期間が必要でした。
ですがようやく、機が熟したようです。
 
2025年の10月、25年間封印していた短歌を再開しました。
それまでも作詞、訳詞(主にフランス語/スペイン語のヴォーカル曲)、勿論編曲から伴奏者としてのステージ・パフォーマンスからアイドル歌手(グループ)の選曲は衣装の選定、デモテープからのシングル曲のセレクト‥etc. と、かえって記載する程混乱するような職歴を私は歩んで来ました。
 

そして歌人【七澤銀河】として最初の紙面デビューが、ずっと好きで読んでいた短歌冊子「西瓜」の「ともに」欄となりました。
七澤銀河の本体が音楽家である辺りをフルに活かして連作五首/タイトル『マルシュ・フュネーブル』を既に投句していたのですが、それが冊子「西瓜」第20号に遂に掲載されました。
※『マルシュ・フュネーブル』とは、葬送行進曲のフランス語読みになります。
 

 この恋が成就するのは夜明けまで 光が互いを世界から消す
 死ぬことは催眠術に揺られてる それに似た感覚の反転
 どこからか花が吹雪いてあふれ出す 甘い香りの棺になるまで
 段々と人から物に移り変わるそれが乾かぬ夢であるように
 銀髪がハープみたいにたなびいて「葬送行進曲」を奏でる


           ──冊子『西瓜』/「ともに」欄 47.


 

 
七澤銀河は「永遠の少年」がコンセプトのキャラクターに徹して行くつもりでしたが、段々とそうも行かなくなりそうです。
何かの折には露出も余儀なくされるでしょうから、いつかは「僕」をやめて「私」「わたくし」と自分を呼ぶことになるでしょう。でも暫くの間は、SNSでは男の子でいたいと思っています(笑)。
 
今後短歌及び現代川柳/現代俳句関連の更新は、このブログから発信して参ります。
カテゴリーに七澤銀河を足したので、そこから作品等も追って行けるよう頑張って更新します。
 
音楽面での新しいレコーディングの予定は今のところありませんが、音楽評論等の執筆活動は止めていませんので、そちらは「ディディエ・メラの音楽倉庫」より放ちます🕊️
 

今後ともディディエ・メラ、七澤銀河共々よろしくお願い致します。
 
記事の最後に、先週末に新しく更新したSpotifyのプレイリストのリンクを貼っておきます。
これ一つで「良い音楽とは、良い音楽の聴き方とは何か」と言う問いに、比較的クリアに応えて行けるPLに仕上がっています。
 

 
⇩に、ヴォーカルレスの楽曲だけを集めたPLのリンクも貼っておきます。
 

世界と私と (World and Me and)

このところの私は音楽と両輪で、数百の短歌を編んでいました。その間にイタリアはミラノで開催されたオリンピックでは、ペアフィギュアスケートで日本の三浦璃来/木原龍一ペアが優勝。
 

 
そんな中物騒なエプスタイン関連で物騒なニュースも流れ、長年封印されて来た諸問題が明るみになる出来事が重なり、それを満面の笑みで配信するYouTube等からは距離を置いていました。
 
ニュースの内容が何であれ、世の不幸を笑顔で語る人の汚い心臓には触れたくないですし、彼らの言う間違ったポジティブ・シンキングはむしろ政治的な意味合いに於ける闇の封印に手を貸している側にしか、私には見えません。
その意味で、YouTubeチャンネル『Miyoko Angel 2』がむしろ彼らの言う「闇側」ではないのかと、何故誰も疑わないのかと疑問に感じます。
 

 
⇧ 2026.02.23 23:55 現在、該当動画が非公開になっていました。
 

世を儚む傍ら、世に起きている出来事に対し個々のスキルや各々が思う方法で結果を導き出して行く、その為にはキラキラ・ワクワクの疑似的かつ歪んだポジティブ・シンキングで思考を止めることが絶対にあってはならないのです。
Miyoko Angel 2の管理者/ 佐野美代子はチェンネル登録者やチャンネル試聴者に「思考停止」を促す側に在る、非常に危険な思想の持ち主だと、私個人は常々危機意識をもって彼らの配信する動画を折に触れ監視しています。
 
世の不浄に対し思いを致し、それについて深い考察をしたからと言って、それがネガティブな思考だと言うことは如何なものでしょうか。
最もネガティブな思考とは、現実に起きているネガティブから目を背ける行為と考え方、それをベースとした思考停止です。人々はもっと世のこと、地球のことについて深く考察、推察し、そのことに向けた新たな行動に舵を切る必要性について思考しなければいけません。
 
今年の冬、地球はようやく地球本来の持つ「冬」を思い出し、冷却活動を再開しました。
これはとても貴重かつ重要なプロセスであり、私たち夫婦はこの数年間そのことに集中し、祈り、神々と語り、神人共食も含め多々のシュール(霊的)なイベントを企画し、実行し続けて来ました。
神代開きが発動したこととも併せ、2026年を合図にようやく色んなことが形を帯びて来たように感じています。
私たち夫婦が予言して来たことについては既に記事‘Eternal Pain’が意味を持つ時に綴っているので、これ以上の詳細の記述は省略します。
 

 
現在私は筆名: 七澤銀河として30年以上も封印して来た文字の世界への参入を再開していますが、だからと言って歌人になりたいわけではないのです。
これには地下水脈的な一つの理由があり、その現象が実際に起きた時にいつでも出動出来るよう、私は音楽活動と並行して「短歌」と言う様式の世界に立ち位置を確立する必要を感じ、短歌の再開に至りました。
 
七澤銀河として別個にブログやHP等を運営する時間が私にはない為、noteのディディエ・メラのページに「七澤銀河」の一部を組み込んで行こうかと考えています。
七澤銀河として個人的に他の歌人やその業種の人たちとの関わりは増やすつもりがないので、音楽主体の方向性を変えないやり方で私なりの短歌生活を送って行こうと思います。
 
https://note.com/didiermerah 
 

一方、音楽評論ブログ「ディディエ・メラの音楽倉庫」の方も、コンスタントに更新していますが、歌人: 七澤銀河としての活動を再開するにあたり以前より若干更新頻度を落としています。
時間が足りないのです。
 

https://didiermerahbox.wordpress.com/ 
 

さて、この記事の最後に、今回ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックの氷上で頻繁に流れたこの人のこの作品を貼って、記事を〆ます。
 


霊質学と祈りと

このところ表側は静かに振る舞っていますが、実は内側 (裏側) の私はこれまでになく多忙になりつつあります。
諸々の個人的なメールや相談の案件に加え、祈りや夫と共に霊質学について考察する時間が増えているからです。
 
又先の記事でも少しだけ触れたように、短歌を再開した為に膨大な時間とエネルギーを吸い取られていますが、最近の業界の流れを未だ完全に把握出来ていないことがその要因の一つと考えています。
何事も経験、勉強あるのみです。ですが、闇雲にそれを行うのでは私には体力も時間も足りないので、ある程度は過去の経験則に基づいた行動でリカバーしなければなりません。
 

昨日から今日にかけては、音楽のことを進めていました。
日々の練習に加え、昨日は2フレーズ程の新曲のメモを取ったり、週末恒例の「世界の音楽」の新譜チェック~プレイリストの更新等に集中しており、あっと言う間に数時間が経過。

時間は飛ぶように進んで行きますね🕊️
 

余り何度も言うとくどくなってしまうのですが、それでも私のGMailやSNSのDM (チャット) 宛に質問や問い合わせが届くので、インフォメーションは意外にくどいぐらいに繰り返さないといけないのかもしれません。
現在私は、メインのDidier MerahのSNS全般を「Bluesky🦋」に移動しました。

https://bsky.app/profile/didiermerah.bsky.social

これ、何度もXにもブログその他の場所にも書いているのですが、届いていないようで不思議です。
昨年の一月にXのメインアカウントがいきなり凍結 (いわゆるアカBAN)し、何度も異議申し立てを行っているにも関わらずメインアカウントは現在生きていません。

現在サブのアカウントを動かしていますが、そこはメインと同じようなポストが出来ません。その為、アーティストSNS全般をBluesky🦋」に移動せざるを得なくなりました。

現行のXのアカウントをじーーっと待っていても、音楽情報の更新はしませんので、以後お見知りおき下さればありがたいです。
よろしくお願いいたします。
 

 
最近の私は日本の古い神様方との対話の機会が多く、それゆえこれからの日本の行く末に一抹の不安を感じながら生きています。
祈りは時に強い念となり、現実に干渉することも出来ますが、なるべく私はそういう種類の「念」は使いたくないと思います。
 
音楽の力を祈りに転じることで、私にも出来ることがあるかもしれません。
それゆえ私は興行活動を一切行っていませんが、求められるものの質や種類によっては変更もあり得ます。
その為の準備を現在進めているところですが、こんな偏屈な私に仕事を依頼する方もさぞ、大変でしょう。

但し、通常のお仕事としての演奏には出向いていませんので、その上で何かしら私の音色が必要な時には然る方法でお声を掛けて下さい。
ネットサーフィンのついでみたいな案件には、勿論応じられませんので、その旨ご理解の程よろしくお願いいたします🙏🏻
 

 

神々への想い (My Mind for My Gods)

目覚めの良くない朝のような、2026年の始まりは私にとってそんな幕開けとなった。だが良くないことばかりではなく、本来私個人的な今年の流れは穏やかになる‥ と言う女神からの伝言も受け取っている。
 
オルネラ・ヴァノーニの逝去の知らせを聞いた直後から、心が塞いでいる。
直前の過去世の記憶はあやふやで不鮮明ではあるが、昨年暮れまでの色々な経緯を見ると私が彼女を悼む気持ちにはきっと、現世的なこと以外の理由がそこに挟まっているように思えてならない。
それはサビノ神父が死後にようやく私に語り掛けて来た時の、あの感覚に似ている。
 
生きていると視えないことが、肉体を離脱することで視えるようになる、喩えて言うならばそんな感じかもしれない。
 

 
ヨーロッパのクリスマスは、日本のそれよりも少しだけ長くシーズンが続く。
なのであろうことかSpotifyが今頃になって、Mina (ミーナ・マッツィーニ) のクリスマス・アルバムを私に見せつけて来た。
勿論Minaは未だ存命だが、彼女の歌声の彼方にふと‥ オルネラ・ヴァノーニの面影が横切って行く。逃さず私はその後ろ姿を捉えて掴もうとするけど、ヴァノーニは足早にどこかに消えてしまった。
 

I’ll be home for Christmas を英語で歌うMinaの、針金のような歌声が余りに凛々しくて、彼女の声を聴いていると生き残って行く者の輝きと重責の両方を私も又背負っていることを、ひしひしと痛感する。
 

 
2026年について、一部ではワクワクするようなポジティブな一年になるだろう‥ 等と言う話をしている人たちもいるようだが、私は昨年暮れの当ブログ記事の中でもそれとは逆の預言を綴って来た。
 

 
出来れば形になって欲しくないことを事前に察知し、それが現実になった時の心の重圧がどれほどのものなのか、実際に予知の精度がアマい人には到底理解出来ないだろう。
 
私に出来ることは限られている。
だからこそ、私は昼夜を問わず夢中で祈る。ただそれだけである。
 

2025年秋から、筆名「七澤銀河」として短歌を詠み始めた (実際には再開であるが‥) 。
短歌界の事情等も考慮し、最初はBlueskyだけで一人で句を詠んで行こうと思ってはいたのだが、なかなかそうも行かずXに「七澤銀河」名義のアカウントを開設した。
https://x.com/Ginga_Nanasawa
 

(⇧ 最近このブログ上にXの埋め込みが表示されない不具合が発生しているので、一先ずこのまま掲載しておく。)

 
古い神々に直に聞いた話だと、彼らは現代に伝わる和歌や短歌の多くを理解出来ないそうだ。
勿論言語の問題もあるが、何より「祈り」が乗らない言葉は神々には届かない。

短歌を詠んだり他の歌人の短歌に触れて思うことは、キラキラした言葉の技巧だけで句を編む歌人が多いと言う印象だろうか。
 
かつて作詞業界に携わっていた時にもこの傾向の作詞家が数名いて、ヒットチャートに幾つも楽曲を飛ばして行ったものだったが、あれから数十年が経過して彼らの詞を読むと「時代の言葉」がそこに在るだけで、何も心に刺さって来ない。
短歌界にも似たような状況が起きており、スマートフォンアプリで繰り広げられる「イイネ」巡りとフォロワーの数が、日々の人気歌人のバロメーターになって行く辺りに文化の低迷に加えて、人の霊質劣化の現状を目の当たりにする。
 
私は「七澤銀河」を通じて、霊的視点から詠む短歌を少しでも普及させて行けたら良いと思っている。勿論日々の人気投票の為の「イイネ」巡り等、私にはやっている時間はない。
毎日のトレーニングや音楽鑑賞、その他評論の著述等、仕事は山積みだ。