ブルーベリーと9月の雨

瞬く間に夏が往き、少し早い秋が訪れる。蝉の抜け殻も風に吹かれてどこかへ消え去り、真夜中には鈴虫の声が庭じゅうに響き渡る。
 
この夏、2本あるうちの片方のブルーベリーが、短い命を閉じた。
きちんと毎朝水を遣っていたにも関わらず、連日の高音高湿度には耐えられなかったのだろう。
ブルーベリーにも相性があるようだ。同時期に買った銘柄の異なるブルーベリー達だったが、年を追う度に開花のタイミングがずれて行った。
同時に開花してくれないと受粉に支障が出るので、暫くは祈る思いで樹々を毎日愛でながら水遣りをしていたが、一昨年から完全に片方が開花の時期をずらし始めた。

 
木や花にも個体差や性格の差があって、それは生まれ付いたものとは限らずある日突然性格を豹変させる場合もあるようだ。
今年往ってしまった「うさぎ」と名づけたブルーベリーは、5年くらい前に私が枝を少しだけ切り落としたタイミングで性格が豹変した。人間で言うところの「キツい」性格に変わり、それまでは同時に花を咲かせていた相棒をそこはかとなく毛嫌いし、開花のタイミングをあからさまにずらし始めた。

 

 
まるで私みたいな子だなと思う。
日によって性格が変わると言う訳ではないが、焦点の当て方が大きく変化する時の私は別人のようになる。
その瞬間をなるべく他人には見せないように努めているが、そうは行かなくなることもあるのが辛いところ。
 
だが最近は、そういう瞬間に今、自分がどういう状況なのかと言うことを余り人に話さなくなった。理由は簡単で、殆どの人達にはそのプロセスや理由が理解出来ないからだ。
最初は理解すると言う努力を皆が怠っているからだと私も頑なに思い込んでいたが、どうやらそうでもなさそうだ。
 
解像度の異なるカメラで同じ被写体を撮影してもけっして同じ精度では写らないように、人の理解能力もきっとそれに似ている。だから進化している側が先に相手を諦めない限り、相手はとことん気付かない。そこには飽和とか協調と言う結論は存在し得ないにも関わらず、全てが上手く進んでいると言う現実とは異なる別の現象がでっち上げられるのが関の山だ。
 
とあるSNSで私がよく言うことの一つが、「良くも悪くも上っ面でいい。」と言う言葉。だがそれも時間制限付きで、私の性格が長時間その状態には耐えられなくなるから、自身の我慢を言い聞かせて続けている人間関係程拗れる時は激しく拗れてしまう。
 
 
一時「倍返し」と言う言葉が大流行したが、私の善意や厚意は他のそれよりも温度が熱い。だが、受け取る人達がその熱さに気付かないふりをし、そこいらの誰かがうっかりもたらしたラッキーな落とし物のように、私の厚意を安易に受け取ることも多々ある。
先日まではそれらを我慢し、許容して来たが、数日前から私がその矛盾を許せなくなった。

 


肝心なツイートに限って、肝心な相手がそれをスルーする。要は見なかったことにして私の怒りが冷めやるのをじっと待ち、頃合いを見て再び姿を現しては私から大きなツキをもぎ取って行く‥ と言う姑息な計算が相手の中に、息を吸うように在るのだろう。
その小狡い先方の計算や心情に対し私は、罰を与えることに決めた。

尽きない怒りには必ず理由がある。その理由には大方正当性があるが、相手がその正当性に気付いていれば何らかの意思表示が無ければおかしい。
もしくは私の中の正当性に気付いていたとしたら、触らぬ神に祟りなしの精神が相手に働いているのかもしれない。
 
祟りは人に不幸をもたらすが、私の「罰」はそれとは違う。
相手が私から簡単に、何の礼の一言もなくもぎ取って行った幸運を取り返すだけだ。
その後に先方に訪れた何等かの状況が、むしろ私が先方に与えた幸運をより鮮明に顕すに違いない。
その為の儀式である。

 


連日の雨。夜になると夏の片鱗は街のどこからも消え去り、代わりに人恋しさに耐え切れなくなった野良猫達が家の庭に寄って来ては「ミャーミャー」と甘ったれた声で鳴き始める。
ウィルス回避の意味もあり、この1年半以上私は街じゅうの全ての生き物達との接触を絶っている。
 
猫や鳩、その他私に懐いていたカラスも居たが、頑なに拒絶し続けた。
昨夜ゴミ捨ての帰りに私を追って来たボス猫も、以前は密に会話をした仲だったが、猫語で言うところの「シャー!」を全身で発し追い払った。
 
可哀想とか、気の毒だとか、そういう感情を全て封印し、私は石になる。流石に石になった私には、どんなに人懐っこい猫でも付いては来ない。
 
おんなじようにして、煩わしい人間関係も全て追い払ってしまいたい。
 
人も猫も、「慣れ」には鈍感だ。出会った時の距離感を、長期間維持出来ない。
擬似的に共通のネタを一個見つけると、そのネタさえ振っておけば私が会話に乗って来ると勘違いしている人達が多くて、ここ最近は意図的に返信のタイミングをずらしたり外したり‥、自分の意思でもないのに冷たく相手をあしらったり‥、本当に色々な無理解には悩まされる。
 
雨の日は人の行動が少し鈍くなるのか、今日は色々なことがゆっくりと穏やかに過ぎて行った。毎朝続いていた煩わしいメールも途切れ、私はようやく「一人」を謳歌することが出来た。
 
 
たった一言。その一言が得られないのは、今も昔も変わらない。
人はプライドを優先し、常に自分が相手よりも優位で居ようとするが、殆どの人々はそれを絶対に認めようとしない。だから謝罪も感謝も無いが、その旨を指摘すると「人間は皆平等だ」‥ と言う戯言を言い始めるので、無言で嫌な人間を演じておく方が無難かもしれない。
 
  
春先に完治していたばね指が酷い形で再発し、夫と力を合わせて家事を分担している。
ステロイドを注射し痛みを麻痺させ、その箇所にリハビリを施し、「握力30をキープする為に毎日20キロのハンドグリップを10秒×10回握って下さい」と院長とリハビリのトレーナーが口を揃えてアドバイスしたそれを、忠実に守ったことが災いした。
先々月だったか再度同じ整形外科に再診で訪れ、前回のアドバイスの件をドクターに質問したら、「やりたきゃやればいいんじゃないですか?」と返された。
ドクターが「やれ」と言ったことを続けていて悪化したわけだから、患者である私の質問に対して正確な回答を返す責任が担当医にはある筈。‥
 
色んな経緯を経て該当の整形外科への通院を止め、現在は絶対安静をキープしている。
鍵盤練習が出来ない分、これまで少し疎かでテキトーになっていた「私」の生き方や在り方について、ここでしっかりとネジを巻き直そうと思っている。
 
Twitterのプロフィール欄には「注)とても気難しい性格ゆえ、慎重に平伏して接して下さい。」の一言を書いているが、それを忠実に守れている夫以外の第三者は今のところ、誰も居ない。

 

さて、この記事の最後に上の記述でも触れた「安易に私のツキを持ち去ろうとした或る人達」のトラックを幾つか削除し、完成形を見たプレイリスト「Ambient Summit 4. 2021~」を貼っておきましょう。
※お貸しした幸運は無事、回収済みです。

 


下記のnoteの記事リンクから是非、サポートか投げ銭で応援頂ければ幸いです。
https://note.com/didiermerah/n/n5b600162442f

KWON EUN BI “Door” レコーディング風景と解説

2021年4月下旬に予定通り活動を終了したIZ*ONEのセンターだったクォン・ウンビが、ソロ活動を開始しました。
その皮切りとなるシングル「Door」は好調な滑り出しで、韓国各メディアの注目度も高いようです。

 


今回この記事のTopに添付したのは、シングル曲「Door」のレコーディング風景です。


完成形だけを紹介してああだこうだと論じている記事は他にも複数ありますが、私が注目したのはむしろバックステージで行われていた非常に繊細なレコーディングのプロセスの方でした。

昔々私が未だ業界にひっそりと出入りし暗躍していた頃から歌手のレコーディング風景をかなり多く見て来ましたが、正直なところここまで繊細で表情豊かで尚且つとても穏やかな作業を余り目にしたことがありませんでした。

特に日本の歌謡曲やPopsの歌手の多くが偽善的であり、本編の仕事よりも「気遣い」や「腰の低さ」の方がスタッフのポイントが高く、実際の作業はと言えばさしてパっとしない普通以上でも以下でもないクオリティーである場合も多いのが現状です。
中には熱心さを売りにしている歌手も居ましたが、どこか「何度も何度も果敢に挑戦する(或いは録り直す)姿勢はあくまでポーズで、実際には今もさっきも一つ後のテイクも殆ど仕事としては変化が視られない‥ なんてことも多々ありました。

ですがクォン・ウンビの上の動画を観る限り、全ての同じ個所‥ 例えば3テイク録り直した場合の全てのテイクが違う表現で歌われているところが凄いです。



IZ*ONEでセンターを努めていた頃は正直余り冴えた印象が無かったのですが、ウンビはソロで光るタイプの歌手かもしれません。

よく居るのです。例えばAKN48の前田敦子のように、グループのセンターと言うポジションだと光輝いて見えたのにソロになった途端焦点が定まらなくなってしまったような類いの歌手が。
その点、ウンビの場合は逆で、おそらく今後良い楽曲と良い振り付けに恵まれ続けることが出来れば益々、彼女は華やいで光輝く存在になるに違いないと私は予想しています。

因みに「Door」の作詞・作曲者は以下のようにクレジットされています。

作詞︰권은비、황현(MonoTree)、정호현(e.one)
作曲編曲︰정호현(e.one)、황현(MonoTree)


アルバム『OPEN』を全曲私は試聴していますが、本音を言いますとシングル曲『Door』以外の作品は余りパっとしません。
恐らくミニアルバムはアリバイであり、シングル曲一本に全てを集約したのでしょう。どっちに転がってもいいように、こういう作戦はままあるので余り驚きません。

振り付けで印象的なのは、途中で猫のような振りが三段階に分割しながら、その合間に爪を立てながら「シっ」と言ってお茶目な顔をする箇所。

 

 

⇧の動画の丁度タイムで0:45から0:51辺り(2コーラス目にも同じ個所が出て来ます)になりますが、この振り付けを考えた人はきっと天才です。

 

 

最後に「Door」のPVらしき動画を貼っておきます。


PVらしき‥ と書いたのは正式なPVが公開されておらず、動画サイトの会社らしきアカウントからのムーヴィーしか出ていなかった為です。
こういう時韓国語が理解出来たら、もっと色々すんなりと調べられるのでしょう。

と言うわけで、この記事は文字発信型SNS「note」の新着記事と同期で掲載しています。
よろしかったらそちらから投げ銭で応援頂ければ幸いです。

記事: https://note.com/didiermerah/n/n106e478321d4

 

音楽・舞台芸術に於ける未来予知

コロナ禍は益々加熱し、多くの音楽行事や舞台、コンサート等が中止や延期を余儀なくされています。
犠牲を払って最近行われた「フジロックフェスティバル 2021′」、そして「NAMIMONOGATARI 2021」等、一部開催された音楽祭もあったようですが、開催後の評判は必ずしも芳しいものではありません。

そもそもこのパンデミックの背景には、マザーアース・地球とその地球の自然神、そしてそれを取り巻く古い自然神等が地球の現状を悲嘆し、よもや地上の害虫と言っても過言ではない「人間」の駆逐を意図した思いが深く根付いています。

 

折に触れ私は何度も幾つかのSNS上で発信していることですが、再度ここに記載します。

つまり人類は今、自然神等に執行猶予の期間を与えられた身であること。これを絶対に全人類は忘れてはなりません。その上で許される最小限の生存の権利を謳う以外の、全ての権利を一度放棄しなければなりません。その中にこの記事のタイトルでもある「音楽(特に生で演奏するもの)」や舞台芸術、人を集め収益を得る為に開催される全ての文化的なイベントを人類は無期限停止しなければなりません。

 

多くの人達がそのことを受け容れず、尚且つ理解もしていません。中には薄々感じ取っている人達も居るようですが、あえてその感覚をスルーし、無かったことにしたり現実逃避をしながらコロナ以前の生活習慣を継続する道だけを模索しています。

 

それを自然神は絶対に許さないと決めています。
その証拠に、例えば東京都で感染者数が少し右下がりになったところで又元のようにバーやライブハウス等を再開し始めた途端に、再び新型コロナウィルスの新規感染者数が急増し、結果的にはデフォルトの営業形態を再度修正し、店舗を休業したり時短営業にシフトしたり‥ と言った具合に大勢の人を一ヵ所に集め、呑んだり聴いたり歌ったり出来ない状況を自然神が必然的に突き付けて来る‥、このいたちごっこになっているのが現状です。

 


必ずしもプレアデス星団の各星の政策や政治が良いとは言えないところもありますし、現在のプレアデス星団には文化が存在しません。
それを踏まえながら、あえてプレアデス星団出身のJaneの予知と私の予知とをすり合わせると、未来の娯楽や音楽業界、音楽形態や舞台芸術を含む地球上の多くの娯楽はVR化して行くことになりそうです。
あくまで予知ですが、様々な現状を未来へと視野を広げて考えるととてもしっくり来ます。

 

これまで昭和の後期から平成と長く続いたのは、音楽を手段(武器)にしたアイドルタレントのオプション商法でした。
CDを色分けし、同じ曲目なのにジャケットを変え、シングル曲以外の楽曲を一部入れ替えたバリエーションCDを作り、そこに握手券を封入して販売する商法は主にAKB48等の大人数のアイドルグループ達の台頭によって平成の音楽営業の主流になって行きました。
思うにこれは音楽に対する冒涜の一種であり、これについては自然神「ゼウス」もけっして良くは思っていないようでした。

 

似たような営業形態を堂々とやってのけていたのは、韓流のガールズグループないしはボーイズグループも同じでしたが、それでも日本の音楽業界が続けて来た悪質な商法よりはまだましな方だったでしょう。
何故ならば、ベースとなる音楽商品(楽曲や歌詞、編曲を含む)のクオリティーが圧倒的に高いからです。
 
 
話を戻しますと、一ヵ所に多くの観衆を集めて行われる爆音コンサートに対し自然神も地球もうんざりしていると言う話しです。
これは大小を問わず小規模なライブハウス等で絶叫したり、或いは音楽とは言えないような稚拙で体たらくな音楽を毎晩演奏する夜店の演目等にも十分に当てはまります。

 

それがこのコロナ・パンデミックの延長によって完全に営業をセーヴされ、とどめの一発は「禁酒法」とも言われる「アルコール類の提供禁止条例」でした。
この通称「禁酒法」を現・都知事が声に出して打ち出した時は、私も珍しく歓喜しました。

そもそも「祈りのない音楽は絶滅すべき」だと私はずっと思っていたので、それが一歩実現に近づいたわけですから。

  


自宅にコンサートを持ち込む。
とても良いコンセプトです。

これまでのコンサートやライブハウスは照明や過剰な音響効果等の空間のマジックによって成り立つ要素も多く、お金を払って決まった空間に足を運んだ人は自らの出費を後々嘆きたくらはないからレビューとして、極力良い印象を公言したがります。
ですが、実際には思っていたものではなかったことの方が多いと言う話しもあります。私も実際にそういう経験をしたことが、何度もありました。

 

それが自宅に居ながらにして実現するコンサートや生演奏のライブとなれば、その音質やクオリティーを深く各自が問うようにならざるを得ません。大切なことはこの、条件の変化です。
そこには惰性や誤魔化しが一切挟まりませんから、その瞬間演目がつまらないからと言う理由でVRホールから黙って退室しても誰にも文句は言われません。そしてそのような思いをした同じ会場に二度足を運ぶことも少なくなり、観衆は無言のうちに自らの言動や感情に正直に向き合わざるを得なくなります。

これは音楽形態に於ける、大きな変化の要因になり得ると私は思っています。

 

歌舞伎等も上記のような手法での配信となれば、時折舞台でかかる掛け声やそれに強引に誘われる「さくら」の拍手等に惑わされることが激減し、視ている人本人がその演目をどう思うか‥ と言う素朴な感覚が何より優先されることで、つまらない営業型伝統芸能の舞台も必然的に減って行くことになるでしょう。
良いことだと思います。

  


私も昔はその日暮らしの音楽を奏でていた分際でしたけど、いつかその世界を必ず抜け出すことを心の中で決めていました。
ものの実現にはタイミングが重要です。なのでそのタイミングが来た時にいつでも泥船を抜け出せるよう、私は常日頃から準備を怠りませんでした。そしてその機は、2018年の早い春に到来しました。

 

でもそれよりも、今は誰もが「サブスクリプション」からの配信が出来る時代です。なのに多くの音楽家やミュージシャン等は、配信よりも「生演奏」と言う名目の「その一瞬を観客と共有する」スタイルの演奏形態から出ようとはしません。
そんなことを毎日やったところで、百年後の地球の音楽史に残る音楽等実現する筈も無いのに‥。

 

人類に必要なことは、何を置いても承認欲求をかなぐり捨てることです。

多くの娯楽や芸能、音楽や舞台芸術等に関わる人達に抜け落ちているのは、この、「承認欲求をかなぐり捨てる強い意志」の方かもしれません。

例えば歌手や女優等、多くの彼等の職業に在る人達はその職に就く理由として「スポットライトと拍手を生涯浴び続けていたい」と掲げます。これがいけないのです。
マザーアース・地球や自然神が切望するものがあるとすれば、祈りを持つ音や創造物の方。

元来「祈り」は人目には触れない空間で執り行うものです。なので、上に書いたようなカテゴリーの職種やその職種に関わる(堂々とふしだらな職業意識を掲げている人達)には、まとめてごっそり消えて貰った方が良いのです。

 

私もかなり辛辣なことを綴っているなぁと思っていますが、私は芸術家であり音楽評論家、比較音楽学者でもあり、尚且つ「チャネラー」「コンタクティー」さらには「霊質学者」の職歴を同時に掲げて生きていますので、私が言わなければ他に誰も言える人が居ないことを身をもって知っています。
なのでSNSではなく、ブログから発信し続けて行くことに決めました。

 

将来的にはプレアデス星団の誰か、その他の宇宙の誰かがこの地球に降り立った時の状況を踏まえ、その時にこのブログを彼等の中の誰かが見つけられるようにここに、ありのままの現状を記載しておきます。
 

 

横たわるオリーブ [夜活]

ホワイトルームに向かうと、オリーブの樹がぐったりと倒れていた。
一体何があったのかと周囲のガーディアンに尋ねても、誰もその瞬間を視ていなかったと言う。

霊質空間で起きることは、その後必ず三次元にフィードバックされて行くと言う。

樹が倒れている。
良くない暗示だ。

 

永遠の闇 2. [朝活]

星の目が開く朝、トーチの灯が揺れ動く。
夢の彼方のかなしみを地球は今、視て来たばかりだった。

ここまで守り抜いて来た者たちはその主の御心に気付くことなく、やってはいけない祭りにそそのかされて前進している。

それを止めるか己を止めるか、星は岐路の上で泣いている。 

 

永遠の闇 [夜活]

残暑の空に、風の歓声が上がる。
纏わりつくような闇を、音もなく転がり落ちる壊れた秒針。
 
一体誰が、この祭の始まりを歓迎すると言うのだろう。


がらんとした街角に佇む僕と、猫。
遠い始まりを懐かしむように地球がそっと目を瞑る。さざ波が止む。
 
全てが終わりそうな、夜の始まりに。

 

自然神からの警告

24時間テレビ番組にフジロック‥。

人類が緊急事態宣言下にあり、自然神からの厳しい謹慎生活ないしは自粛生活を言い渡されている最中に、なぜここまで不謹慎なイベントを開催出来るのか?

だからウィルス・パンデミックを主軸とした人口削減計画が、止まることなく進んで行くのです。

要らぬ欲望や衝動をかき立てて、『あの頃は良かった』等と悪しき過去を思い出させて、結局やりたいことは消費(浪費)衝動の煽りでは?

地球は寝不足に陥っているのです。
そんな危機的な状況に陥っている地球にロックやらジャズ等、一切不要。
祈りを持たぬ音楽は、今すぐ全滅させるべきです!

無音の平野、自然音だけの安らかな世界に先ず、地球を戻してあげるべきです。


娯楽や爆買い消費や旅行等を目的地とした空の移動等全て禁じて、今やるべきことは兎に角地球に無限の休息をもたらすこと。
人類が為すべきは、ただそれだけてす。


いい加減、人間どもは目を覚まし無休の反省行動に努め、慎み深く静かで厳かな生活にシフトしなさい。

魂の帰還 2. [朝活]

暖かな何かが私の顔を撫でて行った。
暖かいだけで何も無い、不思議で久しい感触だった。

ほんの僅かな獣の臭い。それは一瞬だけ、この世に忘れ物を取りに還って来た彼の魂だ。
 


間もなく虹は消えて行く。
彼方まで渡り切ったうさぎの両脚が最後の七色を蹴り上げたら、夢が終わる。

吉田美奈子と闇の中の私

特にこの二週間近く私は、大好きだった(なぜ過去形になっているのかと言う理由は記事後半で)吉田美奈子さんの旧作を、多くの時間を費やして聴いている。
私が長い間歌の伴奏をやって来た日々の中、ほぼ同時期で最も輝いていた美奈子さんを私は、こともあろうに全て見失ってしまっていたことに気が付いた。そのことの気付いた時には既に、美奈子さんは刻々と輝きを失い始めていた。

 

1998年頃からの10年近く、私は人生で最も深い闇の中を歩んでいただろう。
勿論表面的には最も輝いていた時期とそれとが重なっており、時折当時の友人の誰かに私が置かれていた状況を話しても、誰一人取り合ってはくれなかった。だが私の闇は人が想像するよりも深く険しく、PTSDから全快出来ていなかった私のメンタルは一時期の回復を裏切るように刻々と悪化して行った。

最近メンタリストDaiGo氏のYouTubeの発言が問題になっているが、私も他人事ではなかった。
どっちに他人事ではないのかと言うと、上に書いた当時の私がまさにホームレス生活の真っ最中だったと言う意味での「他人事ではない」と言う意味である。

 

切っ掛けは単純なこと。ある日諸々の重圧に、張り詰めていた心の糸がぷつんと切れてしまった。
もう何もかもがどうでも良くなり、生きる気力も活力も仕事への熱意も何もかもが突然色褪せて、生きていることや生きようとする気力が遠い昔のことのように思えた。

一度そういう状況になってしまうとあとは加速度を付けて転がり落ちて行くだけで、気付くと私は都内のある場所に遭難から生き延びた人のように崩れ落ちていた。正直そこからのことは、今も殆ど思い出せない。
その後持病の発作が起きて当時の恩人に命を救われて、ある冬の朝病院のベッドの上で目が覚めるまでの多くの出来事を、私は今でも明確には思い出すことが出来ずに居る。

 


2008年2月14日にSNS「mixi」で現夫が私のホームに足跡を残してくれた瞬間、止まっていた私の運命の輪が回り始めた。
色んなことに疲れ果てていた私は丁度、亡霊の館からの転居を命からがら果たしたばかりだった時。愛兎の先代「桃樹」と共に人生の再起をはかっていたある夜、夫が人生の呼び鈴を高々と鳴らしてくれた。

一言二言のmixiメッセージの直後に私達は直ぐに電話で会話を開始し、それが一週間とか十日とか続いた辺りからもう、これは会って目を見て話しをしないと携帯電話代で彼が破産してしまいやしないだろうかと心配になり、その夢は丁度一ヶ月後の2008年3月14日に実現する運びとなる‥。
 

吉田美奈子さんの話題に話しを戻そう(笑)。

丁度私が闇の時代の奥底に在った頃の彼女が、今振り返ると一番輝いていたように思えてならない。そしてその当時の美奈子さんの年齢に、少しずつ私が接近している。

YouTube『吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25』を視る前に私は、本音を言うと別の最近の美奈子さんの動画に強いショックを受けた。
それは私が思う彼女とは全くの別人のように変わり果てた、老いた彼女の姿に対するものだ。

【吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編】

 
人間生きていれば、いつかはそういう時が訪れる、とは分かっているものの、やはりその状況を目にすると冷静ではいられない。
だが、揺れ動く私の中に目を引く作品があった。YouTube【吉田美奈子と低音楽団】ライブの裏側に密着!【ゴールデンウィーク特別編】の中で美奈子さんが歌う「夜の海」(11:37辺りから)だ。

 

 
基本的に私は生演奏否定派であり、作品を生み出す瞬間の大きなエネルギーこそが真の音楽だと言う持論は今も変わっていない。だがそんな私の持論を、老い始めた美奈子さんが一瞬だけ変えて行こうとする。

発声もよろついて声のアタックのポイントもずれて、出したいタイミングで本来出すべき声が出ていない。エネルギーと若々しさが枯れ始めた美奈子さんではあるが、振り絞るような声には不思議と何かしら説得力を感じさせるものがある。

それでも音楽評論家としてこのライブを冷静に論評するならば、やはり音楽以前の何かがごっそり抜け落ちた「唸り」が在るだけで、音楽としては聴けない‥ と言うのが本音である。

 

だが時に音楽は、そうした絶妙の悪条件が出揃った時だからこそ初めて、人々に音楽以上の何か目に視えない感覚を互いに引き出して行く場合があるのかもしれないと、私はこの人 吉田美奈子さんのライブだけは別ものと考えようと意識を改めかけている(未だ完全に改めたわけではないけれど)‥。

 

そうこうしながら彼女の旧作を最初はサブスクリプションで探していたものの、配信されているアルバムは余り多くはなかった。
丁度私が完全に闇落ちしていた頃の彼女のアルバムは、まるで示し合わせたかのようにサブスクリプションには登録されておらず、それどころか各CD自体も絶版に近い状況になっており、やっと見つけたかと思うとプレミアが付いて酷く値上がりしていた。

そんな折、私がそっとAmazon 欲しいものリストにラインナップしていた美奈子さんのCDを、数名の誰かが私の自宅に贈り届けてくれた。今、それを聴いている‥。

 


音楽は心で奏でるものではない。技術とスキルの蓄積と、さらに付け足すならばテレパシックな感覚を以て生み出すことが望ましい。

自らの稚拙な経験だとか恋愛の過去話だとか、そんなものを題材にしているからここ最近の日本のポップスは質が著しく低下したのだと私は思っている。
だからと言って「大人のポップス」等と言う、さらに体たらくな音楽を聴く等もっての外である(笑)。

その意味で言えば、吉田美奈子さんの多くの楽曲、アルバムに於いては感覚が硬質でとてもメタリックな構成になっている。けっして陳腐な恋愛模様等描いてはおらず、どこか哲学的で形而上学的な世界を描いているように思える。
それがけっして嫌味にならないのは、おそらく美奈子さんの高貴な気質や生い立ち等が要因かもしれない。

 

Didier Merahのプロデューサー 天野玄斎氏は数々の名言を飛ばすが、私にある日こう言った。

━ 芸術家とは職業ではなく、生き様を指す言葉である。


私は彼のこの一言によって眠っていた全ての感覚を叩き起こされ、目覚め、気付かされ、現在に至る。それは私にとっての大きな礎であり、未来の光だ。

 
私は吉田美奈子さんと干支が同じで、一周違いで私も今の彼女に追い付く。だがその頃には美奈子さんはさらに一周先の彼女を生きている。
ロングヘアーもカーリーヘアーでもなくなった彼女が一周先の未来にどんな音楽を奏でているのか、ある意味怖くもあり、楽しみでもある。
そこに私 Didier Merah の将来が折り重なる時、音楽界にどんな変化が起きているのかと考えるだけで、とてつもなくわくわくして来る。
 
 
追記:
ピアニストとして一つ気になったことがあるとすれば、 YouTube『吉田美奈子LIVE STUDIO721 2004/9/25』 の中で鍵盤担当の 倉田信雄さん が本当に素敵な演奏をしていた事。
段々と日本から良い音楽家や音楽評論家が消えて行く今、私は両方の肩書を抱えてこれからも切磋琢磨して行こうとあらためて心に誓った。

 

魂の帰還 [朝活]

名もない星が一つ、地上へと降りて行った。
神々から許可が下りたので、もう一度そこからすべてをやり直したいと彼女は云った。

若い夫婦が住む家。そこは百年前に最後にいた場所。 

 

 

誰かの記憶が溢れ出て、若い母親の頬をとめどなく伝い降りて行く。

もうすぐ彼女が還って来る。