Change of Pace

なかなか気持ちの重さの抜けない日が続き、先週の土曜日、月一の歯の検診から帰宅した後はまるで抜け殻みたいになって何時間も眠り続けた。
ぱぁーーっと息抜きしたくても、なにせこの暑さ。外出するよりは家に居る方が涼しいし、流石に炎天下で気温28度を超えると歩くことも嫌になる(笑)。

 

先週は兎に角練習から練習、作曲から作曲…、これまでに無いくらい自らハードな課題を課して頑張り過ぎたのか、毎晩18時を過ぎると泥のように眠くなって深夜まで眠ってしまった。はっとして目が覚めると深夜3時を過ぎてしまうこともあり、慌ててご飯を炊いて夕食を済ませる日もあった。

そんな時、もう少し生活のサイクルを調整出来る日が早く来て欲しいと、心の底からそう思う。
一つ一つの作業が若い頃よりも重く慎重になり、尚且つ前人未踏の域を(誰にも相談することも出来ずに)突き進まなくてはならず、その重圧は人が思うよりもかなりハードである。

 

昨夜、いつもより少し早目の夕食を済ませた後に夫が、「たまには息抜きしようか。YouTubeで映画でも観ようよ。」と言ってくれたので、普段は滅多に観ることのない「笑える映画」を選んで2時間、まったりと笑いこけた。

銀魂…………………………….

 

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特に小栗旬が好きと言うわけでもなければ菅田将暉がカッコいい… と思うわけでもないけれど、監督の福田雄一さんの作品は以前からとても興味があったので、こういう時にはきっとうってつけだろう… と言う夫のカンはどんぴしゃり。
思い返すと…
一番印象に残ったのは菜々緒のこのショット 笑 ⇩ だったかも。

Nanao

 

本当に脚の綺麗な女優さん。「来島また子」もハマリ役だったと思う。

 

さて、今日から新たな週。早朝、未だ9時になる前に宅急便に叩き起こされるところから、既に月曜日の物語は始まっている。
先週知人が持っていたピンクのバッグを見て奇天烈な声を上げた私の、その声量にかなりびっくりしたのか、同じカバンが届いた。

「お揃いで持っていたいでしょ?」とLINEからメッセージ。って、私、彼女に今月幾つもカバンを頂いている。それを話すと「女だったら口紅とカバンは幾つ持っていても足りないくらいよ。」と、再びLINEメッセージ(笑)。

 

芸術家の暮らしが板に付いて来ると段々、お洒落よりも別のことに意識が向いて行く。
特に音楽。
世界の音楽を私は今でも毎日聴き倒しており、遂にSpotifyのMyListの枠が制限一杯になってしまった。このままではもう、Spotifyに「お気に入り」の音楽をストック出来ない。
10,000曲って、私にとっては本当にあっと言う間。一体私は年にどのくらいの音楽を食べているんだろうかと、確かに許容量の小さな脳ミソに問い掛けてみる。

私の脳をソーセージにしたらきっと、音符と料理のこと以外なーんにも無いんだろうなぁ(笑)。

 

この記事を書きながら聴いているのは、このPlayListでした📡

 

 
冒頭の「Cha Cha, Muchacha」からもう、夏満載、ラテンMaxで踊れる編集になっています。
※ちなみに選曲・編集はわたくし、Didier Merahです🎙️
踊れる人は是非、脳とカラダとお尻をブリブリ振りながら聴いて下さいネっ❣️

My Petit Ship

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魂を何処かに運んで行く舟。そんな舟にそっと乗り合わせていることを最近、強く感じながら生きている。

それは「」と言う個の意識が始まった時から既に在る話。まるで私鉄から地下鉄、地下鉄からバスへ、或いは特急列車のドアが時々目の前で開くこともあり、ヒトの意識で思うよりも素早く魂がその扉に飛び移って行く感覚。

最早その瞬間の「私」は「私」と言う意識を完全に喪失し、私以前の魂のレベルでものを考え、思い、どこか見知らぬ世界へと繋がるレールを運ばれている。

 

最近、と頻繁に会話をする。

樹はとても長い時間を超えて生きており、神木ともなるとそれは数百年数千年の時間の流れを既に知っている。それは人間である今の私の想像を遥かに超えた意識の一つであるが、ものの意識にはある一定のリズムや呼吸のスパンが存在していることに気付かされる。
私もそのリズムや呼吸の中に在り、それは一個のヒトの思考を超えたもっと大きな流れを形成しているように思えてならない。

勿論この世界に「今の私」が誕生してからは53年と半年と言う月日が経過し、命のカウントは一先ずその法則の中で行うわけだけど、私は自身がJ.S.Bach以前のもっともっと古い時間の中に在った時からの微かな記憶に基づいて今世を生きているようにも感じている。

それを言葉で表現することはとても難しいし困難だが、聴き手を「人間」に限定しなければ縦横無尽なテレパシーとしてもっと別の生命や魂に、この難しい思考や感覚を伝えることが出来ることを確信している。

 

 

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街を行けばその都度樹に呼び止められる。それは会話と言うより「風のささやき」に似た音声が脳の中に直接語りかけて来るような感じに似て、その些細な音声は私の心が乱れていたり怒りで気が荒れている時には殆ど届かなくなる。

樹はそういう時の私に「少し落ち着きなさい」と言って道々の樹々を伝って風を利用しながら私に直接触れようとし、細い小枝が皮膚に触れた瞬間に私は彼等の思いに気付くこともある。

 

最近人の世界が本当に嫌になって来た。
樹々が静かで広いコミュニティーを形成しているのは、お互いの心情や心音に敏感だから。その敏感さは人間世界では「過敏症」だと受け取られ、私が放つ一言一句を大雑把に、まるで新聞紙にゴミでもくるんで捨てるように一部の人たちが私を揶揄する。勿論本人たちにはそれが揶揄だと言う認識は全くなくて、まるで広い心で物事を俯瞰する達人のような形相で私を諭しにかかって来る。

それらの大半が間違った諭しである為、とてつもなく気持ちが悪い(笑)。

 

私の生い立ちや血筋の話を未だ、殆どの人たちは知らない。おいそれと、それを口にすることには大きな恐怖心と躊躇があるけれど、視える人にはそれが視えると分かると私はやはり「視える」人たちとだけ関わって生きて行く方が何かと自由でのびのびと振る舞えるのではないか、とも思う。

但しこれは物質世界に対する嫌悪ではなく、あくまで一部の(いえ、多くの)ヒトの退化の現象を私がかなり間近に感じ取っている証しでもあり、視えない人に「視てね」と願っても無駄だし、感じない人たちに「もっと敏感に感じ取ってね」と言うことも出来ない大いなるもどかしさの中で若干、私は空回りしてもがいているのかもしれない。

 

Didier Merahの作品を聴いて頂ければ私が、どのような感覚で常日頃生きているのかについては私の文字を視るよりも明らかだ‥ と言いたいところだけど、その感覚を鎖しているものが人の「強欲さ」や「承認欲求」の一種であるとするならば、多分私は人間の中の「異種」に相当し、結局のところ私は「ただの異種」として扱われているに過ぎない、とも言えそうだ。

 

宇宙人とヒトとの会話がきっと難しいように、私もそれなりの不満や不服をしっかりと相手に伝えつつ、そこには感覚の大きな壁が在ると言うことも重々認識しながら人里からもっともっと遠くに離れて生きて行くことを選択した方が、きっと何かと衝突が起きないだろうし(双方に)行き違いや不満も生まれずに済むのだろう。

時に、寂しさが災いし、ニンゲンと深く会話を試みたくなる衝動をむしろ私の方が抑え込まなければならない辺り、ヒトと言う箱に生まれ付いた厄介さを今頃、さらに痛感している。

 

 

夏日と樹々と

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学生時代、一年の中で最も好きな季節は夏だった(夏休みを除く…笑)。特にあの、夏の早朝の清々しさと鬱陶しさとの狭間に一歩歩を進める時の、言いようのない躊躇の感覚にドキドキしたものだった。

夏の夜明けは短い。うっすらと空が仄明るくなったと思ったら、数分後には一気に闇が晴れる。さっきまで夜だったことが信じられないくらいの速度で、朝が始まる。
朝が始まると急激に暑さが訪れ、地上の生命に大いなる渇きをもたらす。喉が渇くと岩塩を舐めながら水を飲み、気付くと何時間もトレーニングに集中するのは今も同じ。ただ一つ、当時とはその目的が異なること、それ以外は…。

 

 

木曜日、珍しく知人と近くの神社の目印のご神木の前で待ち合わせる。ご神木は何本も聳え立っているから本当に知人と逢えるかどうかはらはらしたけれど、ほぼ同じタイミングでご神木の南と北に二人が立つ。
スマホのLINEが「ライーーン‼」と鳴るとその音を合図に、知人が北側から南側へ移動して来た。何本もあるご神木の中の一本の南北に二人が立っていたことは、ある意味偶然。

 

そこからマクドナルドに移動してハンバーガーのランチセットをオーダー。再び神社の境内に戻り、適当な切り株を見つけてそこに腰掛けてランチタイム。ゴミを落とさぬように膝にハンカチを拡げ、紙袋の中に顔を突っ込む姿勢でフライドポテトをばくばく口に運んで行く🍟

 

フライドポテトとハンバーガーと言えばやはり飲み物はコーラと相場が決まって居て、Lサイズのコーラはあっという間に胃袋にキューキュー吸い込まれて行く。
特にこれと言った話題もないのに、何となく時間を共有出来る友人が私には少ない。どこかで人に心を許さない私が何故そうなってしまうのか、本当の理由を知る人たちはそう多くない。

 

 

人と人が出会ったら、いつか必ず別れが来る。永遠の友情など存在しないと最近はようやく割り切って人と向き合うことが出来るようになって、それがむしろ私には気が楽だ。
その通り、きっとこの先ずっと付き合って行くことになるだろう… と思っていた「とある人」との仲も昨年、呆気なく終わりを迎えた。本当に呆気ないほどつまらない理由だったから、もう今ではその人のことを思い出すこともなくなった。

後ろ髪を引くような別れも多々経験して来たけれど、もう人との別れに苦しむことのないように最近では誰かと友人になっても心を開かなくなった。

 

 

ご神木の周りには周囲の太陽の熱を遮るような、少し涼しい風が吹いていた。コーラの紙コップにしたたり落ちる水滴にタオルチーフをぴったりくっつけていたので、いい具合にタオルチーフが冷たく冷えてそれで汗を拭きながら、いつもより長い午後を堪能した。

 

昨夜夫から、「もうちょっとブログをまめに更新したら?」と言われ、お腹の底で少し吹き出してしまった。
そういう夫はDidier Merah Japanのブログを一体何回更新しただろう… と思ったから(笑)。

 

アルバム『Mother Earth』をリリースしてから、周囲の空気が明らかに変わった。ブログも日によっては一行とか二行の簡単な記事を更新しようと(夫と)話していたのだけど、それがし辛い状況になりつつある。

でも、たまにはいいかな、一行日記とか二行日記なんかをブログに更新しても。

余り物事を決めつけない方が、何かと生き易い… と頭では分かっているのだけどね(^_^;)💦

 

 

Stand with Melodies

もう何十年もの間、私はメロディーと言う悪夢と戦って来た。
よく言われたことはこうだった。
『出だしのメロディーはいいの、出だしは。問題はサビにありそうね。』…。。それも一人や二人からではなく多くの人たちにそう言われ続けたことがいつしかトラウマや苦手意識となって私の心を深く蝕み、気付くと私はメロディーメーカーではなく歌の伴奏者になっていた。

なりたくてそうなったわけではなく、この世界に溢れ出んばかりの美しく自立したメロディーとの出会いを模索したいと言う好奇心が半分、残りの半分はその当時、何をすれば好いのか全く分からなくなってしまったからだった。

 

多くの音楽と出会い、中でもフランス音楽やカンツォーネに心を強く揺さぶられたが、いわゆるかつて私にアドバイスされたような「好いサビ」を持つ音楽との出会いは遂に叶わなかった。
そうこうしている間に現在の夫に出会い、結婚し、そしてDidier Merahと言う卵から雛を返し、9年目の自身のアルバム『Mother Earth』を聴き返すとそこには(自分で言うか…笑)長年探し続けていた「好いメロディー」が満ち溢れていた。

 

おそらく私はかつて私と関わっていた音楽の世界とは全く異なる終着点を、最初っから目指して走り出していただけだったのかもしれない。そう気付かせてくれたのも何もかも、実際の行動で私の音楽に光をあててくれた夫の功績が大きく、ようやく私はメロディー不作と言う長い悪夢からもう直ぐ完全に解放されるだろう。

 

サビ………………….

そう、私の音楽にはサビがない。と言うより、サビだけなのかもしれない。既存で言うAメロから中サビ、そして展開部となる「サビ」までが一筆書きのように、一本の線で繋がって居る。そういう音楽がこの世界に在ることを何より私自身が全く知らずに居たのだから、まだまだ感性が未熟なのかもしれない(笑)。
ん、、、笑えない話。

 

 

 

音楽は遂に脱出口のない、受難の時を迎えた。iTunes Storeが販売系の配信をいつか退くことが決定し、リスナーは「聴き放題系」の月額サービスへと移行し、個人のアルバムの販売形態にそう遠くない将来終わりが来るだろう。

DeezerやSpotify、KKBox、Amazonを始めとする大手の音楽配信ツールで、世界中のリスナーが自由に音楽を持ち歩く時代が訪れる。
これまで音楽を販売して生きて来た人たちが今思うことは、この先どうやって音楽で収入を得て生きて行けば好いのか… と言うこと。だが私にとってこの現象は、むしろプラスに作用するように思って居る。

 

早ければ10年以内に私は、コンサート活動を再開する予定を立てて居る。その為に毎日筋トレや基礎練習を積んでおり、ストレスの少ない暮らしの中にそっと身を潜めて居る。
出来ればベーゼンドルファーのピアノのある場所でのコンサート、それは全曲即興演奏に近い演奏会になるに違いない。勿論リスナーが慣れ親しんで下さったメロディーを用いるが、そこから遠い遠い宇宙の中へ私と聴き手とが共に音の旅に出る、そんなコンサートが開催出来たら本望だ。

 

現在私は本来予定していた企画を一旦棚上げし、全く別の新しい企画に着手した。
夫が企画を立ち上げてくれた。その企画は私の最も苦手とする音楽形態そのものだった筈が、アルバム『Mother Earth』を完成させたことが大きな自信となり、少し遊びを取り入れた新しい試みとなることは間違いないだろう。

音楽と言う名の通り私自身も、そして何よりリスナーと共に遊べる空間を目指し、これからさらに私は『立つメロディー』に向けて新境地へと踏み出して行くことになるだろう。

 

 

 

河を渡る

1998年、かつてメキシコを横断した時に現地の占い師に言われたことは「貴女のホロスコープは53歳目前で消えている。」だった。その言葉がその後ずっと脳裏を駆け巡り、確かに三人の占い師に言われた通り10年前の私の体はもうボロボロだった。

その、ボロボロの体を夫がまるで「元ある状態に戻す」みたいに、完全に治してくれた。いわゆる「ヒーリング」と言うその方法で私の不整脈その他心臓を巡る色んな不具合はほぼ完治し、その後不整脈に悩まされずに済むようになった私の演奏法にも大きな変化を及ぼした。

 

それまでの私は伴奏家として生計を立てていたのだけど、私が当時最も悩んでいたことは「人の心拍数に自分の心臓が同期してしまうこと」、そして人の心拍音がとてもリアルに聴こえる為に自分自身の体調にそれが異変をもたらすことだった。
その悩みがある日全く消えてなくなり、私の鼓膜までがクリアになったように周囲の音の世界が激変した。

 

53歳へのカウントダウンは既に10年前から始まっていた。その2017年11月3日、先ずその日を越えなくてはならない。次に2018年4月25日の結婚記念日に向け、第二のカウントダウンを開始し、無事にその日を健康な状態で迎えて越えることが出来た。

こんなおめでたい記念を祝わずには居られないと言うことで、昨日2018年5月1日はずっと行きたいと願っていた都下は吉祥寺のステーキハウス さとうに出向き、極上のステーキで夫を労い神々に感謝し、そしてそっと自分自身へのご褒美のリブロースを頬張った。

 

 

 

 

何もかもが順調そうに見えるが、案外そうでもなかった。

私が過去の自分からDidier Merahへと変身した当初は私は名無しのミュージシャンであり、インターネット上からそれまでの全ての経歴を抹消し、各々のタイミングを切っ掛けに少しずつヴェールを脱いで行った。
そして2018年2月、Cathy ClaretさんとのJ-WAVEスタジオライブの共演を機に私の仕事の顔がインターネットの一斉に公開され、その後私は生まれて初めてプロフィール用の顔写真の撮影に踏み切った。

いざ顔を世界にお披露目してしまうと、もう怖いものなどなにもなくなりそうな気がして来る。勿論この世界にはまだまだ怖いものがきっと沢山あるのだろうけど、少なくとも分厚い壁を無事に突破した感は否めない。

 

こんな風に私を導いてくれた夫への恩返しは未だ何も出来て居ないし、私に楽器の資金を遺して旅だって行った父への恩返しも同時に殆ど出来ては居ない状況ではあるものの、一つ一つ見えない重たいヴェールを脱いで居る感触はしっかりと手応えとして私の背中を押してくれる。

 

今、私は追い風に乗っている。この追い風に逆らわず、尚且つ調子に乗り過ぎぬように一つ一つの課題を丁寧にこなしながら、既に次のアルバムの構想~作曲の作業に入って居る。

 

 

前作「Mother Earth」は偉大な母なる地球の意識との共鳴・共振、そしてクリエイションからのZip.のサポートを得ながら完成させた。

次は宇宙。
私の遠い遠い故郷の星「リラ」の記憶から物語はスタートする。

 

 

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