その理由について

2019年、冬。既に日常が壊れ始めていたとは知らず、世界中が来たる東京オリンピックの準備に追われていました。
ですがいち早くその兆候を感じ取った私の勘はあながち中らずと雖も遠からずで、まるで先急ぐように同年の12月、私はYouTubeから「Esperanza 2020」を配信しました。

この作品は翌年の2020年の4月末にリリースされたDidier Merahのアルバム『World of Nature』にも収録しています。



先日、過去の伴奏業の時代にお世話になった或る歌手のお別れ会がしめやかにとり行われたことを、SNSを通じて知りました。私はその会には、自らの意思で参加しませんでした。
そのことについて数件の問い合わせ等も頂いていますが、理由が複雑であることや、ともするとそれが故人を悲しませる発言になりかねない等の事情で、ご質問への返信はしていません。


一つ明確にここで意思表示をしたいことがあります。
それは私が芸術家としての道を今、真っ直ぐに進んでいると言う現実についてです。


クラシックの作曲家も、或いは男性アイドルやロック歌手も「アーティスト」と言う一つの言葉で言い表せてしまうこの状況下に於いて先日、私は或る神から得た貴重なアドバイスを何度も何度も心の中で復唱しています。


芸術とは様式美をベーシックとして生み出された創作(物)、或いは創作形態を指す。


神様からのこの短いセンテンスに、私の今の思いの全てが詰まっているような気がします。
そう思うと私が過去に接して来た多くの音楽が「芸術ではないもの」に該当し、私はそうした「芸術ではないもの」の集合体や「芸術ではないもの」に従事している人達とは一線を引かなければならないと、今朝心を新たにしたところでした。


あんなに愛したブラジル音楽もキューバン・サルサもタンゴも、おそらく「芸術ではないもの」にカテゴライズされるのでしょう。そんな話を過去の仕事仲間にしようものなら、きっと私はテーブルナイフで首をど突かれかねないので、やはりその業界に深く関わっている人達の輪からはそっと遠ざからなければならないと感じています。
それが私の意思表明にもなり、しいては彼等にとっての私の明確なスタンスを表明する手段にもなり得ると思うからです。むしろもっと早くにこの結論に辿り着かなければいけなかったのですが、私も人間。なかなか神の哲学の領域には辿り着けないものですね‥。



遂に先日、フランスに夜間外出禁止令が出されたようです。
今年の夏頃にはマクロン大統領から「ウィルスと共存する道を択ぶ」と言うメッセージがあったばかりですが、そうは言っていられない状況になったのでしょう。

この世に人命に代わるもの等、何一つありません。


そんなフランスで一時期大流行したシャンソンの世界、それを和製に組み替えた、言ってみれば遺伝子組み換え音楽のような「和製シャンソン」の世界で私は人生で最も大変な24年間強を過ごし、2011年の冬に自らの意思で退職し、現在に至ります。
その間色々なことがありました。お世話になった方もいますし、同業者・共演者を超えて親しくさせて頂いている方も何人かいますが、私と本当に親しい(かつては共演者だった)現在の友人は皆さん、私を「Didier Merah」と言う芸術家として作品性や人間性も含め多くを許容して下さる状態でお付き合いが進んでいます。

問題はそれが出来ない人達との接し方、決別の方法です。
 
人と人とは一度知り合ったら、知り合う前には二度と戻れません。一度知り合った人と知り合う前の状態に戻るには、お互いに心にかすり傷を負いながら「決別」と言う道を選択する以外の方法は多分無いでしょう。


やわらかく、さり気なく決別するか、或いはお互いに言いたいことを言い合って決別するか。手段は二者択一になるのかもしれません。
そこに共通の友人として「故人」が挟まっている場合の決別ほど、難しいものはありません。


その場合はやはり「何も言わない別れ」を選択し、日にち薬が互いを忘却の彼方へ追い遣るのを待つのが、最もスマートな別れ方になると思います。



コロナ禍の影響その他色々音楽以外の日常が挟まり、予定よりもレコーディングが少しだけ遅れるかもしれません。
ですが作曲だけは粛々と進んでいます。


楽曲は主に私が水に接している時に脳内を伝って降りて来ますが、ここのところ「火」を伝ってもたらされることが増えています。
その火こそが、この記事の冒頭にも触れた「芸術の根本」を司る神に私を引き合わせてくれました。


様式美を持つ創作やその世界観。
私が現代音楽を悉く嫌うのには理由があり、それらが歴史的な要因や政治的な突発時効を介して生まれ出た、一種の突然変異の音楽様式だったからと言っても過言ではないでしょう。
それらはこの世に不必要な産物であり、むしろその突然変異的な音楽様式が現在の芸術論の根幹を破壊したと言っても良いでしょう。少なくとも私はそう思っています。


ならば起動を踏み外した歪んだ歴史を、誰かが修正しなければならないと思います。そして私自身はその為に今、この世界に再度の転生を繰り返しているのだと確信しています。


火と哲学の神は、私に色々なことを教えてくれます。それは私が未だ聞いたことのない哲学であり芸術論を兼ねています。
これほど貴重なメッセージを尽きることなく湧き出るようにもたらし続けてくれる神との出会いは、人生にそう多く起きることではありません。
私はこの神からもっともっと多くのことを学び、そしてDidier Merahと言う芸術家としての知識の肉付けに励んで行きたいと思います。