Red & Merah

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生まれて初めて本格的な「プロフィール写真」と言うものを、撮影しました。
今はほぼストレートで髪を伸ばしているのですが、よく見ると私の毛ってクセっ毛なのです(笑)。なのでパァーーっと上にかき上げるとこんな感じに、意外に綺麗にまとまってくれます。

 

知人にはとても有名な女優さんやアイドルの面々が居るのに私は、自身がこうしてプロフィール写真を撮影する… と言う話を誰にもしませんでした。

桜が満開の週末でなければ撮れないこの写真、実はもっとうんと暗い明け方にDMJ(Didier Merah Japan)の社長でもある夫が、これまた大して高額ではないデジカメで一生懸命連写しています。

 

 

前日 3月30日 金曜日。色々な色のオーガンジーを求めて都内某所のユザワヤへ行って、一先ず目ぼしい5色のオーガンジーを購入したのですが、予想に反してパステルカラーではなく赤がベストマッチだったと言う顛末。
他の色を、私の顔と目ヂカラが完全に撥ねて押し潰してしまうので、結局私の名前の「Merah」の赤をベースカラーにまとめた写真が記事冒頭の写真。

※「Merah」はインドネシア語で「」を意味する言葉です。

 

この写真を撮影する気負いの影響なのか、実は先週水曜日の夜中から私は完全にお腹を壊してしまい、三月ラストの週は殆ど何も出来ず何も食べられず、そのまま金曜日を迎え慌ててユザワヤへ行ったりその他切らしていたお化粧品を買いにデパートに行ったり… と、フラフラになりながらも気力だけで撮影日の朝を迎えました(笑)。

その気力が「目」に、よく表れているように思います。

 

 

前日殆どお腹に何も入れない状態であっちこっち出掛けて歩き回って、結局劇的な空腹を避けられず少し足を伸ばして西国分寺の「クルミドコーヒー」でパンケーキを頂いて来ました。

 

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以前からずっと行ってみたかったのですが不運にも、私とお店の定休日が重なってしまっててなかなか行くことが出来ずに数年が経過。
「今日行かずしていつ行くの!?」と半ば強引に自分を奮い立たせながら、普段乗ったこともないような電車に乗ってゆらゆら30分ぐらい揺られて西国分寺へ🚃

 

パンケーキの周囲にはクルミがびっしり敷き詰められて、乗っているアイス左(グリーン)が「ヨモギ」のアイスクリーム、右(白)が「塩ミルク」のアイスクリーム。これは数種類のアイスクリームから自分でチョイス出来るタイプになっていて、丁度その日の気分がこんな感じだったので🍨

 

 

その後隣の国分寺まで足を伸ばして、書店でまったり小一時間。

小保方晴子日記」を買って帰宅しました。

 

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空気のように、風のように – Like the Air, like the wind

2018年3月21日、アルバム『Mother Earth』が無事にリリースされた後から再び続いている異様な眠気。私はその感覚には逆らわず、特に週末は体が求めるまま眠り続けることにした。

On March 21 2018, after the album “Mother Earth” was released successfully, my deep drowsiness still continues. I don’t go against that instinct, and especially on weekends I decided to keep my body asleep as desired.

 

眠りはただの睡眠だったり或いは別の世界に行く為の助走になったり、私の場合の眠りには色々な意味がある。

Sleep is just only sleep, or it is the long jumping to go to another world, sleeping in my case has various meanings.

 

アルバム『Mother Earth』がどのようなアルバムか… と質問されることが増えているがその度に私は、こう答えることに決めている。
━ このアルバムはまさに、地球の始まりから現在、そして未来までを描いた作品である、と。

Every time the album “Mother Earth” is asked what kind of album is being asked, I have decided to answer like this each time.
This album is exactly a work depicting the beginning, the present, and the future of the earth (I say it so).

 

それをどのように質問者が受け止め解釈しているかは、私には全く分からない。軽く軽ーくいなして立ち去って行く人も居れば、もっと知りたい… と言う感情を剥き出しに次の質問を畳みかけて来る質問者も現れる。

I have decided not to deepen on how the questioner interprets it and interprets it.
Among there are people who take lightly swallow my answers and go away, and some people challenge the next question while revealing the feelings that they want to know the meaning more.

 

だが、音楽は音楽でしかその答えを出すことが出来ない。
少なくとも、地球の始まりを描いた音楽がこの世界に忽然と出現したことは事実であり、それは言葉よりも音を通じてリスナーに深いインプレッションを与えて行くことは変えようのない事実である… と私は確信している。

At least it is true that music depicting the beginning of the earth appeared abruptly in this world just now. And I believe that it is a fact that can not change things that give listeners a deep impression through music rather than words.

 

何より私が音楽を前にした時には、ただの風或いは空気の力しか持たないことをあらためて痛感している。

More than anything, when I’m in front of all music, I realize that I have only power of wind or air power now.

 

 

iTunes Store:
https://geo.itunes.apple.com/jp/album/mother-earth/1348765132?app=itunes

New Album 『Mother Earth』 配信開始

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Didier Merahのニューアルバム『Mother Earth』 解禁。

いよいよ地球全土で配信が始まりました。

 

New Album “Mother Earth” (by Didier Merah)
Now on Sale!🌏

iTunes Store: https://geo.itunes.apple.com/jp/album/mother-earth/1348765132?app=itunes

🇯🇵Amazon(JP): https://www.amazon.co.jp/gp/product/B079TG4N1Z/

🇺🇸Amazon(US): https://www.amazon.com/gp/product/B079T78L79/

🇬🇧Amazon(UK): https://www.amazon.co.uk/gp/product/B079THS5WR/

🇫🇷Amazon(FR): https://www.amazon.fr/dp/B079TJK7DD/

🇮🇹Amazon(IT): https://www.amazon.it/dp/B079THR3PW/

🇪🇸Amazon(ES): https://www.amazon.es/dp/B079TK9BWT/

TIDAL Store: http://tidal.com/jp/store/album/84711835

 

私が伴奏を辞めた理由 3. – 壁を突き抜ける

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おそらく余程の理由と事情がそこにない限り、やはり私は歌と向き合うべきではないと感じた或る一件。
勿論それはとても感動的な瞬間であったにも関わらず、やはり歌手と言う存在は私に本来或るべき音楽を再現させてはくれない。

 

歌が何であるか。
それを通じて何を世界に訴えかけて行くべきなのか。
その背景を彩る楽器が何であるか。
或いはその楽器や伴奏者が知る未知の世界は一体何を意味するのか…。

 

多くの歌手が病的なまでの自信過剰に苛まれ、原点である音楽は完全にスルーされて行く。

 

私は常に多くの歴史のクレバスに遭遇し、その中身を視てしまう。そこには「本来変化を達成した筈の完成形」、その青写真が克明に描かれており、その青写真にあと一歩手を伸ばせば完成させられるパズルのピースに絶対的なプライドにより手を触れようとしない歌手との狭間で、私は結果的に自分自身の為すべき仕事を完結させられないままそこを立ち去ることになる。

その時の喪失感、消失感覚はハンパなく大きく、それが私の疲労や二次的なストレスの要因となり、伴奏に接した後の私は抜け殻になる。

 

 

人と人とが触れ合う時、そこには必然的な衝突も起こり得る。

緩やかな速度で演奏したい、いえそうするべき作品をそのように出来なかった時私は、自分自身が音楽の神を完全に欺いたのではないかと言う自責の念に駆られ、その後長期的に懺悔を繰り返すように音楽と関わることになる。

まさに今の私がその状況に在り、そこにどれだけの称賛が用意されて居ようが私はそれとは全く関係のない、自らの闇に閉じ籠り、音楽の神へ心行くまで懺悔を繰り返して行く。

 

空がどんなに晴れて春の陽気を漂わせても、私の心に春の陽ざしは降りては来ない。そこは果てしない闇であり、私は朝から晩まで白夜のような自分の心を持て余す。

時々思い立ったように伴侶の言葉や気遣いがオーロラのように降りて来る瞬間だけが救いであり、やはりそれは瞬時の奇跡として心の端に瞬きはするものの直ぐに私は闇に包まれてしまう。

 

きっと私は人間が持つ念、情念、欲望や欲求… そういったものの全てにうんざりしている。だからもっともっと静かで音のない世界に憧れる、かなり偏屈な音楽家・芸術家なのだろう。

 

ふと、恩師であった三善晃氏の背中や横顔、365度まちまちの角度に跳ね上がった髪のかたちを思い出す。
彼は常に、人の知らない世界の中から人間の住む世界を鬼の形相で静観していた。ぶつぶつと言葉とも音声とも取れない言葉を吐いているように見えてそれは、全てが人間世界への不満や不毛に満ちた言葉と想念で構成されていた。

 

芸術家 Didier Merah として歩み続けてから早9年が経過し、ようやく私がその域に追い付いて来た。時折体の中に故 三善晃氏が憑依したのではないかと感じるぐらい、今の私ならば彼の、ことばに出来ない思いをきっと理解出来るような気がしてならない。

 

 

おそらく私は今後余程の事情がない限り、歌と向き合うことはないだろう。

 

気付いたことがあるとすれば、歌のある音楽の中にどれだけ優れた歌詞が書かれてあったとしても、人に最初に届くのは音速を持つ音の方であり歌詞ではないと言うこと。
薬品の場合は最初に説明書きを読んでから服用するが、音楽はそれとは完全に逆行している。

 

何も考えずとも先ず最初に人の鼓膜、心に届くのは「音」である。

これは歌手と言う職種に在る人たちがどれだけ抗ったとしても、抗い切れない現実なのだ。だから私は(一時的には歌い手になったこともあったが)作詞や訳詞と言うサブの仕事を完全に辞めて音のソリストに完全に転向した、これは大きな切っ掛けになったと言っても過言ではないだろう。

 

 

もともと人間が好きで人間観察に一日の大半を費やした若き頃の私からは考えられないくらい、今、人間が嫌いである。
生死を何度も繰り返し魂が熟成して来ると起きる、これはある種の転生障害のようなものかもしれない。勿論社会生活を営む上で支障のない程度の人間らしさは演じ切れるものの、それはあくまで私の仮の姿であり本体ではない。

 

私が伴奏を辞めた理由、それは私が人間世界から遠ざかりたいと願ったことの結果だと、今だから思える。

 

 

━ 完 ━

私が伴奏を辞めた理由 2. – 原曲との対峙

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2011年の11月の第三水曜日。私が歌の伴奏から完全撤収することを決意した日なので、私はその日のことを今も忘れることが出来ない。
ふとしたことが切っ掛けで、それまで私がなるべく見ないようにして来たもの、触れないようにして来たこと、そのことに対する配慮などが一切合切抜け落ちた瞬間、私は自分がもうこれ以上この世界に居るべきではないことを悟った。

 

歌舞伎の場合では「黒子」とか黒装束を来た「お弟子さん」にあたるのが、和製シャンソン業界の伴奏者だとするならば、私は余りにもぞんざいな扱いに甘んじ過ぎていたことをあの瞬間に気付いたのかもしれない。
本来音楽の中に歌やトップ奏者が居る場合、勿論トップ奏者が花形であることには変わりないとしてもそれはあくまで音楽の中の立ち位置の問題であると私は思って居る。
なので私は常に2トップの立ち位置に留意し、仮にそれを歌手が望んで居なかったとしても私自身の仕事としてそのスタンスを日々まっとうして来た。

 

伴奏や伴奏者は黒子でも何でもなく、歴とした音楽の主役であるべきだ。

私はずっとそのことだけを考えて、23年余の伴奏生活を継続し、2011年の11月の第三水曜日のカンツォーネの伴奏を最後に和製舶来コピー音楽業界をそっと立ち去った。

 

 

当時を振り返る度に思うことは、多くの歌手が楽器編成が変化した時にも原曲の呪縛から逃れられないと言う、ある種の歌手としての致命傷の数々…。

 

原曲がドラムやベース、リズムセクションの多いポップスだったとしても、それを別のセッティングで再現する時、その現場の状況によっては原曲のようには楽曲の再現が出来ないと言う可能性について、多くの歌手があまりに無理解で無知だった。

 

私は演奏家でもあり編曲家でもあるので、その素材が演奏する楽器によってどのように変化させて行くべきかを歌手よりもずっと深く知って居た。なので色々な提案を仕掛けて行くが、多くの場合は歌手の「原曲通りに…」と言う最も無謀な要求を呑まざるを得なかった。

それがLiveであれば当然のように楽曲はぐっちゃぐちゃになる。だが歌手の脳内では原曲のイメージが妄想プレイバックされているから、もうその段階で伴奏者や伴奏者が奏でる世界観や哲学など介在する余地すら残って居ないことが大半だった。

 

仮に原曲がハードなロック調で表現されていたとしても、それが一本のピアノ伴奏に変化すればロックではなくバラードに…。音楽は常に流動的であり、Live演奏であればその時々の環境に最もフィットしたジャンルやリズムを選択することが望ましいが、23年余の伴奏活動の中でそれが出来たのは両手に数えられる程しかなかった。

特に「小屋」と呼ばれる小さなライブハウスやシャンソニエに設置されたピアノは、メンテナンスが最悪だった。

調律の施されていない、場合によっては店内で出されるフードを調理する際に湧き出る油の粒子で楽器の状態が完全に変質している、そんな状況下でも私はまるでそのピアノがスタンウェイのフルコンであるかのように魔法をかけながら、極めて扱いの好くない伴奏者と言う一個のキャラクターを23年余もの間演じ続けて来たのかもしれない。

 

━ 『私が伴奏を辞めた理由 3.』 に続く。

私が伴奏を辞めた理由 1. – 歌手の背中と心拍数

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思い返せば10代より少し前から私は常に、歌手の背中を見つめていた。いつも歌手が私の前に立ち、その陰に隠れるようにして鍵盤を叩き続けて来た。
既にご存知の方も多いように私は容姿に障害をもって生まれて来た為、歌手も私も不思議と冒頭に書いたようなことを当然のこととして考えて居た。だが私の心は釈然としないままだった。

 

理想とする伴奏のスタイルは、私と歌手が2トップの位置と関係性に在ること。
私は歌の伴奏をするのではなく、音楽の中に歌と伴奏者が対等に立つ関係性を意味する。

 

 

私を悩ませ続けたもう一つの障害、それは異常聴覚だった。

アスファルトの上を忍び足で歩く猫の足音や、桜の花びらが風に待って地上へと落下して行く時に擦れる花びら同士のやわらかな音、或いは雨雲の中でざわざわと弾ける細かい雨粒の音。ある時は飛行機雲が上空ですーーっと消えてなくなる時の、ことばにはたとえようのない音まで、まるで私は鳥にでもなって今まさにその雲を指先で掴んでいるのではないかと言う程それは鮮明に鼓膜に届いた。

 

 

歌の伴奏をする上で起きた障害、それは歌手の心拍音が聴こえ過ぎることだった。

人には皆それぞれ微妙に速度の異なる心拍音があり、同じ人が常に同じ心拍音を打っているわけではなかった。特に緊張を前にすると多くの人たちが不整脈のような状態に陥り、それがかなしいまでに見事に音楽の中に反映される。

 

 

歌手の多くは自身が歌うべき速度を知らない。
歌う直前に「このぐらいで…」と言って概ねの楽曲の速度を指定するが、それは本当にその歌手が歌いたい速度よりはメモリ10から20ぐらいスローダウンしている。自身の緊張を緩める為に、歌手の大半がそのようにする。

 

すると段々とAメロが過ぎた辺りからテンポアップが始まり、サビに到達する頃にようやくその歌手本来のテンポが復活するが、それをプレイバックで後から聴き返すとその楽曲が、伴奏者がテンポアップして行った為にせわしくなったように聴こえ、私は年中そのことでクレームを付けられた。
だが、私はそもそも自身の速度では演奏していないから、「それは歌手の速度に合わせて行っただけです。」と言うより他なく、そのことでは常に衝突が絶えなかった。

 

 

ある日、凄まじいまでに私の速度変化を欠点としてクレームを付けて来た歌い手がおり、その日に限って私も堪忍袋の緒が切れた状態に陥り、それが業界の中では当時最高峰に「偉い(偉そうにしている)」歌手であったにも関わらず、私は完全抵抗に踏み切った。

 

歌手: テンポキープをもっと正確にね!

私: だったらあなたの心拍数を先ずコントロールしてから言って下さい!

 

当時、私が歌手の心拍音を聴きながら伴奏を続けていたなどと言う話を信じる人は誰も居なかった。数人にその話をしたことがあったがフっと鼻で吹かれて嘲笑われたので、以後二度とその話を誰にもしなくなった。

 

 

視えない世界が視えること、
聴こえない筈の音声が聴こえること、
人が言葉にはしていない心の声を正確に感じ取ってしまうこと。

 

私には生まれ付いて授かった容姿の障害に勝る、その他多くの複数の困難を体に抱えて生きていた。

 

━ 『私が伴奏を辞めた理由 2.』 に続く。

ニュー・アルバム『Mother Earth』 ダイジェスト公開

ディディエ・メラのニューアルバム『Mother Earth』、ダイジェストYouTubeが公開されました。
偉大な地球の断片を、是非是非少しでも感じ取って下さい。

It’s digest YouTube of my new album “Mother Earth”..🌐

 

 

J-WAVE 『サウジ・サウダージ』 オンエア日程について

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2月下旬に既に収録が終了していたJ-WAVE 『サウジ・サウダージ』の中で、私とCathy ClaretはCathyのニューアルバム『Primavera』より、アルバムタイトルの『Primavera』をLiveバージョンで演奏しています。

そのオンエア日程が決まりました。

オンエアは2018年3月18日 日曜日 17:00からスタートするJ-WAVEの番組『サウジ・サウダージ』の中で。

 

キャシー・クラレ来日中、唯一の生Liveセッションとしてオンエアされます。
是非聴いて下さいネ🎙️

告知ページ: http://www.j-wave.co.jp/blog/saude/2018/03/11/

風を浴びたい時

最近女子力ゼロの私。そもそも匂いにアレルギーが若干あるので、特にメイクが嫌いになってしまった。

昔々の私を知る知人は、私の下手なメイクにはかなり悩まされただろう(笑)。アイブロウは左右長さも角度も違うし、アイシャドウはまるでパレットをそのまま瞼に載せちゃった… 的な感じ。
頬紅とアイシャドウの色合いの計算も全然出来てなくて、ある日女優の北川景子さんのCMに遭遇した時のかなしいまでの衝撃を最後に、私はその後一切メイクをしなくなった。

 

問題は地なのよ。塗っても剥がしてもさして変わらないのであれば、ダーリンとチューをする時に口紅もファンデーションも結局邪魔になるから、化粧なんて私には必要ない!!! と神さまにノーメイク宣言をしてから早5年が経過した。

 

外出をする時は、きまって風を浴びたい時。出来れば髪だけ梳かしてそのままの勢いで、すーーっと幽霊のように外に飛び出してしまいたい。
塗って守って… なんて必要ない。唯一日焼け止めくらいか、でもそれだって汗をかいたら全部剥がれ落ちてしまうのだから、お気に入りの帽子が一個あればもうそれで好し👒

 

風の音を聴いていると、地球の裏側の木々の想いまでもが鮮明に伝わって来る。アジアの果ての私の想像もつかないそれらは、時に喜ばしく時にかなしみで濡れ落ちそうな声を上げる。
自力では動くことの出来ない木々たちの想いをひとつずつ知る時、私に生まれ付いて備わっている二本の脚を心から有難く思う。

 

 

── 貴女は自力で動けるのだから、すべてにおいて責任を持って生きなさい。

 

その言葉を私は出来得る限り忠実に守りながら、今もひとつひとつを慎重に日々を送っている。

 

 

 

この記事を書きながら聴いている、Japanese Post-rockのChouchouのベスト盤。

皮肉にも私も彼等と近い同業の域に居る為、アルバム全曲ではなく好きな作品だけをピックアップで購入して、iTunesにPlayListを作ってMy Best Chouchouとして聴かせて頂いております🎵

 

雨が呼んだ – Rain was calling me..

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重苦しい低気圧の真昼。出来ることなら家の中に引き籠っていたい筈なのに、雨に呼ばれて屋外へと飛び出した。

 

雨が呼んだのは私ではなく、多分私の中の樹、オリジン。アルバム『Sacred Forest』を手掛けた直後から私の中に、一本の古木の精霊が棲んでいる。それは古い古いオリーヴの木、その精霊だ。
私は『彼』を「オリジン」と名づけた。そして毎日必ずその名を一度は声に出し、可愛いうさぎの額を撫でるように優しく優しく自分自身の声帯を愛撫する。すると丁度そこがオリジンの心臓部分にあたるのか、本当に気持ちよさそうにオリジンが呼応するのが分かる。

 

私の中に棲むもう一人の私。リアルネームに『樹』がある私に相応しい、偉大な同居人が今も私の中に息をしている。

雨音激しい木曜日の午後。勿論自転車など乗ることが出来ない程の大雨だったので大き目の傘をさして、数日前にPARCOで買ったフェルト地の中折れ帽子をかぶって、颯爽と豪雨の街へと繰り出した。
行きたい場所は既に決まっていた。そこは雑居ビルの最上階で、窓から自然の光の差し込むコジャレたアジアン・カフェ。気が向く時には足を運ぶようになり、時々親しい仲間ともそこで密談を重ねている。

 

まるで私とオリジンの為の舞台のように、雨が激しく降り続く。こんな低気圧の日は頭痛が辛い筈なのに、そういう日に限ってランチのコーヒーが大量に余って余って仕方がないと言って、お店のママが残ったコーヒーを全部私のカップに継ぎ足して行く。
コーヒーもものによっては3杯目になると流石に苦味が増して来るけれど、最近はシュガーもミルクも入れずに飲むスタイルがすっかり板について来て、昨日もそのまま最後の一滴まで飲み干した。

 

いつもは余り長居をしないアジアン・カフェに、気付くと3時間近く、尾てい骨に根っこが生えた大木のようにそこにしがみついて、湿度の高い木曜の午後を堪能した私。「ランチコーヒー」と書かれた棚にはまだカップ数杯分のコーヒーがしんしんと温まっていたけれど、胃袋にリミッターがかかったようにそれ以上はもう口に入らなくなった。

 

再び私は雨に呼ばれた。帰宅したら、夫の為の新しいブレスレットを編まなきゃ‥。
ここのところ我が家の色々なものがよく壊れ、先日夫のブレスレットがプスンと切れてバラバラになった天然石をひとまとめにして包み紙にくるんで、メイソンジャーの中にまとめてある。足りない石の部品がそろそろポストに届いている頃だろう。

 

やらなきゃいけないことのない日に限って、呆気ない程の高速で時が過ぎて行く。