Eternal Pain vol.1

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この夏、私の身に起きたことを一言で説明することはとても難しい。そしておそらくそれらを唐突に聞かされた人たちは先ず、私の話を信じる前に私の精神状態を疑い、案ずることしか思い浮かばないだろう。

 

1. 事の始まり

その事が一体いつから始まったのか、私にさえ分からない。だが、その状況が断続的に形を変えながら私の身に迫って来たと気付いたのは、今年の7月に入った時だっただろう。
最初は単なるビールの呑み過ぎによる目まい、動悸のような状況からそれは始まった。街のお蕎麦屋さんで(夫婦で)軽い祝杯を上げ、私はビールをジョッキ(大)一杯に少しだけの日本酒を呑み、鴨肉の漬け汁蕎麦と穴子の天麩羅を一本胃袋に仕舞って小一時間ゆっくりと過ごし、ゆったりと立ち上がった時に視界を失った。

昼間なのに目の前が真っ暗闇になり、今自分がどこをどのように歩行しているのかさえ分からなくなり、夫の腕につかまったまま先ず座れる椅子だけを目指して向かって行き、ベンチに腰掛けた。すると視界はすっと昼間の状態に戻り、動悸も治まって来たので再び歩き出すと、又も目の前が真っ暗になり耳鳴りが始まった。

 

二度あることは三度ある、そう思いながら目的の喫茶店に入り席に座ると三回目の動機、そして視界の暗闇が始まった。胸が苦しく、どうしていいのか分からなくなったので夫の肩を枕に少し目を閉じた。

そして私はその時気付いた。
これは圧に違いない。しかも誰か、とても身近な人の執念(怨念と言った方が近いだろう)の詰まったものがそれを引き起こしているのではないかと。

 

5分から10分間深呼吸をしながら少しだけ、現実から意識を遠ざけた。すると段々と症状が治まって来て、私はようやく目の前のチョコレートケーキとコーヒーに口を付けることが叶った。

 

 

2. 骨折

今回アルバム『Wa Jazz』を始めるにあたり、私は何となく胸騒ぎを感じていた。それは人がもたらす好からぬ思いに留まらず、私が未だ経験したことのない種類の不安が心に深い影を落とし続けた。

7月の初めに私は一度倒れかけているので、そこからは毎日ただただ過剰なまでの用心を重ねながら日々の暮らしに集中していた。そんな折り、二度目の「好からぬ、とても不可思議なこと」が起きた。

 

正確な日付を記憶していないが、おそらく7月23日から25日のどこかの平日の夕方の買い物中の、それは不可解な出来事だった。
いつものように自転車を漕ぎながらスーパーの駐輪場に自転車を留め、買い物をしてから同じコースを引き返す道すがらの街の通りで、私は再び視界を失った。午後の、まだ明るい時間帯なのにも関わらず私の視界は真っ暗になり、不安になった私はそこで一旦自転車を止めて近くの木の切り株に腰掛けようとした時、右足の踵の骨が言うことをきいてくれなくなったことに気が付いた。

 

骨折したかもしれない…。直感的にそう思った。
2002年の春に私は一度、反対側の踝の骨を折っており、その時と同じ感覚が今回は右足に生じたのでそう感じた。立ち上がる度に膝がゲラっと笑ってよろつくので、ヨタヨタしながら夫にはそのことを暫く伏せていたが流石にそうも言ってられなくなった。

松葉杖を私は上手く使いこなせない。病院に行けば絶対に松葉杖を勧められることが分かっていたので、少し考えて今回はよくよく安静に、骨が完全にくっつく迄の時間を約三ヶ月間と想定しその期間の外出を全面的に(必要最低限にとどめて)控えることに決めた。
結局病院には行かなかった。

 

 

3. 遠い星からもたらされた、機械的な圧(妨害圧力)

二度あることは三度ある。この言葉が現実になるとはゆめゆめ思わなかったし、むしろそんなことにはならずに済むようにと、祈るような夏を過ごしていた。
今年は兎に角猛暑で日々の買い物もなかなか大変だし、買いだめをしても野菜が直ぐに傷むわ食材が湿度を帯びてダメになるわで、兎に角主婦業に苦戦を強いられ続けた。

 

レコーディングについての全ての情報発信を控えたのは、最初に書いたことに不安と不穏を感じたからであり、特に「和」の神髄の音楽の記録を試みる今回の企画には何かしら見えない者々たちからの妨害もきっとあるだろう… と、薄々予感はしていたが、これ程酷いことになるとは思わず私は8月お盆期間中のレコーディングの日にちを息をのむようにしながら静かに迎えることにした。
だが、その静けさは又もや、別のかたちでの圧によって完全に打ち砕かれた。

 

そもそも私は53歳で寿命が尽きるかもしれない、と、かつて3人のジプシーの占いがそう言ったことをとても慎重に受け止めており、まさに今年がその時にあたるので全ての物事を大切に、ゆっくりと進めて行くことに決めていた。

だがゆっくりと… とは言うものの、それを止めることが出来ないのが、使命を持つ者の宿命。私にとって音楽がそれにあたり、特に今回の企画『Wa Jazz』は制作期間よりも納品のタイミングが先に決まっていたと言っても過言ではない。
そのタイミングに合わせて、私はこれまで私の経験上最強最悪の呪詛を、まして地球ではなくもっともっと遠い星に住む人によってもたらされた。

 

その星のことは折に触れ情報を得たり、時には夫と夜が明けるまで話し込んだり…と、私の中ではとても魅力的で知的な人々の住む星だと聞かされており、私も2018年8月10日のその時まではそう信じていた。

 

 

8月10日、夜。食事の支度をしましょうか、と言って立ち上がろうとした時、私は再び視界を失った。
部屋には電気が付いており、夫も傍にいたが、私も夫も(おそらく)同じ痛みを頭部に感じていた。
それはまるで機械で頭をグイグイと締め付けられるような痛み。頭蓋骨が割れる寸前まで私たちは苦しめられたが、それが遠い星の人の手によるものだとはっきり分かったのは、夫がその行為を遮る怒鳴り声をキャッチしたからだった。
━ 詳細はここでは省略して綴ります。

 

 

長文なので、次ブログに続けます。

ポジティブシンキング

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テニスの大坂なおみさんが、全米オープンで日本人としては初の優勝を遂げた。ゲーム内容は勿論素晴らしかったがそこではなく私は、ふと‥ 彼女を後ろから支え抜いているコーチに興味が湧いた。

 

サーシャ・バイン…..

彼の褒め方は日本人のコーチには無い語り口で構成されており、窮地に立つ人の気持ちをよく知った者或いはその状況に対し咄嗟かつ理知的な対処能力の秀でた人にしか、それを口にすることが出来ないのではと感じる。

大阪なおみ選手とサーシャ・バイン監督、おそらく二人は見えざる糸で繋がった「同士」かもしれない。出会うべくして出会った二人だからこそ、双方が自身の力量を余すところなく発揮出来る唯一の関係性がそこに在る。

 

私の場合は夫。

常に自己評価の低い私を彼は、一度たりとも間違った同調をしたことも無ければけなしたことも無い。
レコーディング直後の私は自分が演奏したものに対し、殆ど満足したことが無い。あそこをもっとこうすれば好かったのに… とかあの箇所はもっと指が動いた筈なんだけどどうして出来なかったのか… とか、もう信じられない程グズグズ言いながら寝室に倒れ込む。

そんな私に彼は、「まぁまぁ、ホントに好かったんだけど少し頭を冷やしてから聴いてみようか。」と言い、大体においてその後二人で街に繰り出しては失敗談から私を解放するように職人が淹れてくれる温かいコーヒーを飲み、歓談に耽る。

このプロセスはこれまでの全てのレコーディングの度に続いている。

 

ポジティブシンキング……..

ずっとこの言葉が嫌いだった。一期一会と言う言葉と同じくらい、私はこの言葉を発する人に対しては嫌悪感しか湧かなかった。だが今は違う。

何故そう在り続けられるか、或いはどのようにしたらそうなれるのかについて、私なりに少し苦しみながら考え続けた結果、一つの答えに辿り着いた。

全てに於いて思いや夢を実現するには絶対的に技術が必要であり、自身がどのくらいの技術を身につけて居るかについて常に考察すること。
そして効率的にその技術を向上させる為の練習プログラムに常に注意を払い、少しでも無駄や過剰負荷を察知した時は都度都度それを改善すること。

 

私の日々の練習がその繰り返しであり、その集大成が私の各音楽アルバムに投影されていると言っても過言ではないだろう。

 

 

長年、ジャズと和ものが大嫌いだった私に、夫が「和ジャズ」と言う企画を持ち込んで来た。

苦手なものを二つ足して持って来るなんて何ってことをするんだろうこの人は‼️ …とは思ったものの内心、苦手なものを二つ足したら何が出て来るんだろうかと言う微かな好奇心が胸の中で湧き上がった(笑)。

そう言えば昔っから常に、強敵に挑みながら生きて来た。勿論「誰」と言う名前はここには出さないけれど、それが人である場合もあれば課題そのものだったこともあり、その度に私はそれらの挑戦をほぼ90パーセント、クリアして来た。

今回もそう出来たと言っても、誰からも咎められはしないだろう。

自信作『Wa Jazz』が完成した。

 

WaJazz_TrackList

 

その曲目リストがこれ ⇧ である。

 

さぁ、実際にこれが音楽としてこの地上を駆け巡る時、何が飛び出して来るだろうか。

乞うご期待🤗‼️

 

 

Intangible Seeds

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日々、炎天下で人肌に包まれているような暑さを何と表現すれば好いのかさえ、もう分からない程の酷暑続き。夏は好きだけど暑さには余り強くない体に生まれ付いているので、特に台所仕事が大変。
時々息が上がって倒れ込むこともあり、寝室にはペットボトル一本のミネラルウォーターが欠かせない。

 

先週末の連休は予定していた作業を延期して、体を休めたり料理をしたり… ととにかくリラックスに努めて過ごしていた。
無性に「黄色いスパイス」を体が欲するので、連休中だけで三回から四回、ターメリックライスを作って食べる他に、大鍋一杯のカレーを少しずつ胃袋に仕舞い込んで行った。
カレーはラム肉とキノコを使用して煮込んで行ったが、これが今の気分にドンピシャリだった。粛々と煮込んで行き、実は今日はまだその残りを昼ごはんに食べている(笑)。
勿論一日2・3回は火を通しているので傷むことはなく、今日は濃く煮詰まったカレーをミルクで溶いてカレースープにアレンジして最後の一滴まで平らげる予定。

 

 

この一週間、色々な文字が容赦なく目に飛び込んで来る度に、実はとても胸を痛めてその様子を見ている。
バーチャルが人をそうさせるのか、それともそういう人たちはリアルでもとても獰猛な生き方を好んでそうしているのか、最近のインターネットの中を飛び交う多くの言葉に潜む暴力性が目にも胃にも、そして脳に突き刺さる。

 

だが私が今為すべきことを、そっと思う。冷静に、冷静に、そして上品に。

今年の初めに在る存在が私に、「何があってもエレガントに振る舞いなさい。」と助言を送ってくれた。それは言葉と言うよりも信号のような、命令のようなシグナルとして私の元に届いたので、私はそれがとてもゆかりの深い存在から私にタイムリーに届けられたとても重要なメッセージだと認識し、以来そのアドバイス通りに言動をコントロールして暮らしている。

 
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いつもよりは明らかに早く訪れた夏は、日本と言う島のあちらこちらに大きな傷を負わせながら上空を独占している。沢山の被害、多くの被災者たちがこの島の至る場所で困り果てながら、この夏をどう乗り越えて生きて行こうかと考えあぐねている。

私はただ、思う、祈ることしか出来ない。だがそれは「思う」だけの祈りではなく、物質のない形に置き換えて地球上に発信することの出来るもの。

美しいものを作り、風のようにそれらを地上に蒔いて行くこと。それが私のおシゴト。

 

 

体調が例年になく今ひとつなので、長い夏休みを頂くかもしれません。
でもその間、音楽とは片時も離れずに、自分自身の内なる音と会話を重ねながら次に向かって歩んで行きます。

 

テレパシー能力について

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先週半ばから酷い風邪を引き、珍しいことにそれは最初から気管支炎の状況と共に発症した。
身体の構造上私は「風邪」と「気管支炎」を常にセットで発症し、順序としては風邪が先、後遺症として後に気管支炎が残る形になるのだが今回はその順序が全く逆のかたちで発症した。

そのことの気付いた私は発症直後から直ぐに気管支炎用の漢方薬を服用し始めたが、さらに珍しいことにいつも飲んでいる漢方薬が私の体に副作用のような状況を発生させた。

投薬後、寝室からリビングを突っ切って台所に向かうたった10歩程度の距離で、呼吸が上がってしまうのだ。

現在未だ気管支のゼーゼー音がかなり根深く残っている為、問題の漢方薬を減薬しながら服用しているが、近日中に近所の漢方薬ストアに出向いて薬剤師に色々相談に乗って頂こうかと思って居るところである。

 

風邪 & 気管支炎の最中は兎に角色々なことが面倒臭くなり、必要最小限のSNS活動のみに制限し、日中の大半を何もしないで過ごしていた。何もしないと言うより、出来なかった。

一気に37度台から38度8分辺りまで熱が上昇したかと思うとそれが一気に35度台にまで下降し、次の瞬間には再び38度台に駆け上がる熱の乱高下で私は、完全に気力・体力を喪失した。

 

ネットを離れている期間、それは必ずしも好くないことばかりではなく、私にそれまでの私のネットの中の活動に対し色々なことを考えさせてくれる好い時間を運んでくれた。

ここ最近のFacebookの「いいね」の乱打に対する私の不満や憤慨、その原因が本当は何なのかについても再度、あらためて考えさせてくれた。

 

 

先日こんな事があった。

先例にも漏れず私がシェアする写真や動物の可愛い記事等に、ガンガン「いいね」を押して行く人たちに向けて私は或る記事を発信した。
その記事に私はお願い事ではなく、私の中の「嫌がっている事」についてのみを記載した。

 

私の中で「いいね」とコメントは(一部例外を除いては)常にワンセットであり、それが他記事のシェアものではない限り「いいね」と言うスタンプに対する思いをコメントに残して頂きたい私の意向を常々、TLに綴っていた。

それは夫が見てもくどいぐらいの分量でそれまでにも何度か発信しており、それでも尚且ついわゆるFBFとでも言うべきSNSの中だけのフレンドたちの一部が、私がTLに掲載する記事を上から下まで舐めるように「いいね」だけを押しまくり、消えて行くのだ。

 

問題は、両者が実際には知り合いではない… と言う点にある。
知り合いではない人たちが何を考えているのか… 等と言うことを逐一考えることも面倒な上に私は、彼等がどんなモチベーションと動機で「いいね」を私の記事に押して立ち去って行ってるのかと言う彼等の心情を、全てキャッチすることが出来る。

 

つまりこれ、簡単に言うところのテレパシー能力と言うことになるが。

 

これが案外厄介で、普通は人に話しても先ず理解を得られることはない。なので私はそういう自身の体質をあまり言わないようにして「いいねを押す時は必ずコメントを添えて下さい。そうでなければ無視して下さい。」と懇願し続けて来たが、それを公然と(或るいは善意で)無視した人物の意見に触れることが出来た。

つまりはその方の言い分はこうだった。⇩

先方のコメント:
記事に一個でも「いいね」が付いていたら嬉しいでしょ?だから押すんですが、いけなかったでしょうか?


回答
:

はい、私はそれをやめて下さいと何度もここに書いているわけですから、人が嫌がることを平気で続けるような人とはフレンドで居ることが出来ません。
よってあなたとのフレンドリンクを解消させて頂いた経緯がそこにあります。

 

まぁ私のこの言い方には相手もカチンと来たのか、もしくはやっと事の経緯に気が付いたのか、以後私の記事にその人からの「いいね」のみの迷惑行為はなくなった(笑)。

 

 

手前みそな言い方にはなってしまうが、SNSでは私ぐらいの中途半端に知名度のある人間が、意外に大きな迷惑を被るケースが多いのではないだろうか。
例えば上記のような場合。

 

相手の心の声: 
── 記事に「いいね」を貰ったらそれがたった一個でも有難いでしょ?
だから僕に向かってコメント欄で「ありがとう」って言ってね。僕も(貴女のような中途半端な有名人から)もっともっと有難がられたいんですよー。

 

⇧ 私は「いいね」と言うたった一個のスタンプから、そのスタンプを押して行く人たちの全ての心の声をキャッチすることが出来る。
最初は「いいね」スタンプの数に憤慨しているのかと思いきや、そうではなく、同じスタンプの中に響く思いが各々異なることをつぶさにキャッチする度に苛立つ、そのプロセスに本当に怒り果て、疲れ果ててしまったのだ。

でもそんなことを書いても「嗚呼またまたそうやって超人ぶってさ。だったら今私が何を食べたがってるかアテてみなよ。」等と言う暴言を本気で吐かれるのが関の山。実際そういうことはこれまでに何度も何度も起きていたことなで、結果的にはそれが当たっても当たらなくても相手は同じく憤慨し嘲笑する格好で私を揶揄することには変わらなかった(笑)。

 

だが、そんな話を昨日久し振りに夫に打ち明けてみたところ、意外にあっさりとこう言われた。

 

:
── Didiちゃんさ、もうね、色々と好い音楽を量産して来た経緯もあるわけだしね、そろそろそういう自分のことを正直に人に話して行った方がいいのかもね。

「私にはテレパシーで人のココロの声を掴み取る力があるから、アナタのどす黒い本音も全て聴こえてそれが本当に煩わしくて仕方がないので辞めて下さい。」 とありのままね。

 

なのでこの記事をその記念の記事としてここに、私がテレパシー能力の持ち主であることを大々的に書き残しておくことに致したい。

 

 

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まぁ何はともあれ、先ず風邪 & 気管支炎を完全に治してしまわねばならない。が、意外に病気に臥した時等に限って自分自身を深く見直す切っ掛けが生まれるし、少しFacebookの身辺整理をしたいと思っている。

私のこういうやり方に対してはきっと遠巻きに余り快く思われない方々も多いと思うが、人の心の中のみならず木々の声や動物の心の中身まで毎日つぶさに感じ取りながら生きている人の気持ちを少し考えて頂ければきっと、中には私のこの一見変哲な行動を少しはご理解頂ける方も現れるかもしれないと言う期待を込めて、今日は病み上がり間近の記事を更新してみた。

 

追記としてFacebook Pageへの更新内容の変更について一言。

Facebook Pageには極力誠心誠意を込めて記事を書きたいとずっと思って来たが、もうかれこれ一年以上もの間、この記事の例に漏れず私がセレクトする写真にだけ反応した「いいね」の乱打が尽きない。
勿論「いいね」の真意等を明かす先方からのコメント等はなく、ただただ無言で「いいね」と言う既読のマークだけを置いて消えて行く人たちが後を絶たないので、暫く写真のない文字だけの記事或いはLink投稿のみにFacebook Page内の発信内容を制限して行くこととした。

おそらくそうなれば私の記事は広く拡散する能力を失い、それまで「TLに上がって来たからいいねを押した」程度のFacebookファンのTLに私の記事が上って来なくなるだろう。

そうなった時に、「あれ?」と気付いて私のFacebook Pageお知らせ機能を『on』に設定してでも熱心に私の日々の動向を追跡して下さる方々を、私も又この目で確認したい。

惰性ではなく、真剣に一個の芸術家を思って下さるファンの方々だけの為に、暫く私は文字のみの記事を発信して行くことになるだろう。

 

 

 

・記事中で使用させて頂いた写真は何れも eberhard grossgasteiger さんのPhoto📷
赤とグレーの合わせ方がとてつもなく美しい。

 

・この記事を書きながら聴いていたBGMは此方。
🇦🇲途中アルメニアのTrad『Dle Yaman』がDudukで何度も何度も響き渡る、リズミカルで美しいロングトラック。

 

 

 

私を呼ぶ樹、呼ぶ河

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時の舟に乗り込んだ。そう感じたのは先日、或る作品を録音した直後のことだった。

 

いつも私は「」や「タイミング」に強く守られながら、今ここまで生き抜いて来られたと思う。それ程勤勉に生きて来たわけではないのにここぞと言う時になると直感が働き、それは赤いランプのように私の脳裏で点滅し始める。

不思議なのは今、この瞬間点滅しているからと言って一時間後も同じようにそうしているわけではなく、まるで宇宙を移動する星の如く全ての現象は一箇所に留まらないこと。それは気紛れな印象を人に与えることも多々あるが、実際にはそうではなく「宿命」とも言うべき糸が私だけに見せる風景かもしれない。

 

ひと月前とは明らかに私自身、私の周囲そして周囲に居る人たちの私を見る目が変わったように思う。ある意味ではそれは私の内面の変化とも取れなくもないが、確かにそれだけではない何かが私の周囲を暖かな天体のように巡り始めた。

既存の演奏家・伴奏家と言う職を退き、文字通り「芸術家」らしい静かな暮らしを続けている今が、なぜかこれまでの人生の中で最も忙しい。
エチュードと基礎連をしようと思い鍵盤に向かうが実際にそうし続けることはとても困難で、私は常に新しい旋律やコード・プログレッションに引き寄せられ、音の長い河を彷徨い始める。

 

河にゴールはない。そこがゴールだと思った場所がその時々のゴールであり、それらは日々の中に点在する偽終始のように次へと全てが続いている。鍵盤から手を離す時いつも「嗚呼終わってしまった…」とため息が漏れるが、背中も額も両の腕もゆびさきも汗でびっしょり濡れている。
空調を冷房にしてもドライのパワフルにしても汗は引かない。

全身汗だくの私の体内に、気持ち良さそうに巨木のオリーヴの精霊「オリジン」が左右に体を揺らしながら、さっきまで私が演奏していた新作の旋律を木霊のように繰り返す。それはまるで精霊のシエスタのようでもあるし、何よりオリジンが歌い始めると周囲の木々やご神木も一緒に歌い踊り、騒ぎ始めるから、私はそれで時折酷い頭痛に悩まされる。

 

木々の念は人の念よりも激しく強く、そして長い。一個の感情が発生するとそれは鉄の滝でも流れ出したように私の脳を直撃し、数時間引くことがない。私はその間ずっと激しい頭痛に悩まされることになるが、その強さこそが木々の感情表現なのだからそれを受け入れることしか私には出来ない。

幾つもの生命の記憶、そして今を生きる精霊や古木、ご神木たちと共に在る今日と言う瞬間は、それが同じように続いて行くからこそ深い幸せで満たされる。

 

先日古い友人にお詫びがてら「私を巡る環境が一変しました。」と伝えた時、友人の反応は殆どなかった。
確かに傍目には何も起きていない、まるで地震の一週間前に私にだけ「無数のウーパールーパーたちが地下を疾走するような不可思議な足音」が聴こえたように、この感覚を共有する相手は未だこの地上には殆ど存在しない。

 

現在、同時進行で複数の企画が動いている。その企画の幾つかは、音楽史をこれまでとは違う流れへと大きく変えて行くかもしれない。

新しい時代が、木々が、そして大きな流れが… 実はそう遠くない場所から、
静かに私を呼んでいる。

 

 

 

YouTubeは、Ivan Lins の “Lembra de mim” のスタジオLive。命を削って演奏するとはこういうことかと、息を呑んで聴き入ってしまう。
曲タイトルの「Lembra de mim」は英語で「Remember me」の意味になる。

 

My Petit Ship

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魂を何処かに運んで行く舟。そんな舟にそっと乗り合わせていることを最近、強く感じながら生きている。

それは「」と言う個の意識が始まった時から既に在る話。まるで私鉄から地下鉄、地下鉄からバスへ、或いは特急列車のドアが時々目の前で開くこともあり、ヒトの意識で思うよりも素早く魂がその扉に飛び移って行く感覚。

最早その瞬間の「私」は「私」と言う意識を完全に喪失し、私以前の魂のレベルでものを考え、思い、どこか見知らぬ世界へと繋がるレールを運ばれている。

 

最近、と頻繁に会話をする。

樹はとても長い時間を超えて生きており、神木ともなるとそれは数百年数千年の時間の流れを既に知っている。それは人間である今の私の想像を遥かに超えた意識の一つであるが、ものの意識にはある一定のリズムや呼吸のスパンが存在していることに気付かされる。
私もそのリズムや呼吸の中に在り、それは一個のヒトの思考を超えたもっと大きな流れを形成しているように思えてならない。

勿論この世界に「今の私」が誕生してからは53年と半年と言う月日が経過し、命のカウントは一先ずその法則の中で行うわけだけど、私は自身がJ.S.Bach以前のもっともっと古い時間の中に在った時からの微かな記憶に基づいて今世を生きているようにも感じている。

それを言葉で表現することはとても難しいし困難だが、聴き手を「人間」に限定しなければ縦横無尽なテレパシーとしてもっと別の生命や魂に、この難しい思考や感覚を伝えることが出来ることを確信している。

 

 

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街を行けばその都度樹に呼び止められる。それは会話と言うより「風のささやき」に似た音声が脳の中に直接語りかけて来るような感じに似て、その些細な音声は私の心が乱れていたり怒りで気が荒れている時には殆ど届かなくなる。

樹はそういう時の私に「少し落ち着きなさい」と言って道々の樹々を伝って風を利用しながら私に直接触れようとし、細い小枝が皮膚に触れた瞬間に私は彼等の思いに気付くこともある。

 

最近人の世界が本当に嫌になって来た。
樹々が静かで広いコミュニティーを形成しているのは、お互いの心情や心音に敏感だから。その敏感さは人間世界では「過敏症」だと受け取られ、私が放つ一言一句を大雑把に、まるで新聞紙にゴミでもくるんで捨てるように一部の人たちが私を揶揄する。勿論本人たちにはそれが揶揄だと言う認識は全くなくて、まるで広い心で物事を俯瞰する達人のような形相で私を諭しにかかって来る。

それらの大半が間違った諭しである為、とてつもなく気持ちが悪い(笑)。

 

私の生い立ちや血筋の話を未だ、殆どの人たちは知らない。おいそれと、それを口にすることには大きな恐怖心と躊躇があるけれど、視える人にはそれが視えると分かると私はやはり「視える」人たちとだけ関わって生きて行く方が何かと自由でのびのびと振る舞えるのではないか、とも思う。

但しこれは物質世界に対する嫌悪ではなく、あくまで一部の(いえ、多くの)ヒトの退化の現象を私がかなり間近に感じ取っている証しでもあり、視えない人に「視てね」と願っても無駄だし、感じない人たちに「もっと敏感に感じ取ってね」と言うことも出来ない大いなるもどかしさの中で若干、私は空回りしてもがいているのかもしれない。

 

Didier Merahの作品を聴いて頂ければ私が、どのような感覚で常日頃生きているのかについては私の文字を視るよりも明らかだ‥ と言いたいところだけど、その感覚を鎖しているものが人の「強欲さ」や「承認欲求」の一種であるとするならば、多分私は人間の中の「異種」に相当し、結局のところ私は「ただの異種」として扱われているに過ぎない、とも言えそうだ。

 

宇宙人とヒトとの会話がきっと難しいように、私もそれなりの不満や不服をしっかりと相手に伝えつつ、そこには感覚の大きな壁が在ると言うことも重々認識しながら人里からもっともっと遠くに離れて生きて行くことを選択した方が、きっと何かと衝突が起きないだろうし(双方に)行き違いや不満も生まれずに済むのだろう。

時に、寂しさが災いし、ニンゲンと深く会話を試みたくなる衝動をむしろ私の方が抑え込まなければならない辺り、ヒトと言う箱に生まれ付いた厄介さを今頃、さらに痛感している。

 

 

Monday and the smell of rain

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いつもと少し違う朝の匂い。いつもこの時期は窓を全開にして新緑の香りを存分に体に取り入れるシーズンなのに、今年は既に雨の匂い、梅雨の匂いが街全体を包み込んでいる。

雨の匂いは私を憂鬱にするだけでなく、あの怠重い偏頭痛を連れて来る。昨夜半から既に頭痛が来ていたが、あえて頭痛薬を呑まずに眠りに就いた。目が覚めてからの好い状態を期待したがその期待は呆気なく裏切られ、今まさにこうしている時も頭内に心臓がもう一つ増えたような痛みと「ズシン、ズシン」と言う音が木霊し続けているので、致し方なく頭痛薬を呑んだ。

 

昨日 日曜日は丸一日布団と台所の往復で過ぎて行った。日中ハニーレモン(温)を飲んだ時のあの感動が忘れられず、この記事を書き終えたら再びハニーレモンを入れて飲む予定である🍋

 

いつもと少し違う朝、それは私が大嫌いなリストを何故か急に聴く羽目に陥ったからそう感じているのかもしれない。

 

遂に学生時代、私はリストを一曲もものにすることが叶わなかった。

そもそも右手の一部の腱が人より短く、或る時実技の教師にその腱を修正する為の手術を勧められたが私はそれを拒否した。
私の目指す音楽は「速弾き、高速回転のパッセージ」の先に無いことを、私は生まれた時既に知っていた。それは私がかつてJ.S.Bachだった頃の記憶に基づくもの(と言うことは現在の夫と結婚してから分かったことであるが)であり、天井の高い教会で奏でる美しい音楽とその残響がけっして「速弾き、高速回転のパッセージ」から生まれるものではないことを、魂が記憶していたからに違いなかった。

 

Twitterのプロフィールには「私の過去世がJ.S.Bachであった」ことを、そっと書き添えている。それは余りに普通のことのように綴られたものだから、その一文を目にした音楽ファンの目にはきっとそれが冗談のように映っているのかもしれない。

でもそれで好かった。バッハの生まれ変わりが今ここに居ることよりも、その生まれ変わりが今何を求め、何をしているか… のことの方が余程大切なのだから。

 

 

2018年 春。Didier家は結婚10周年を迎える。

その為私たち夫婦は今年の前半は恒例の「大型連休レコーディング」等の作業の手を全て止めて、ただただ普通の夫婦のようにそっと結婚記念日の為のイベントを考えている。

派手に旅行に行くでもなく、派手にセレブ的お茶会に興じるでもなく、私も夫も大好きなステーキを静かに頂く。たったそれだけのことがこの数年間全く出来ていなかったので、今回はいつもよりはグレードの高いお肉を堪能したいと思って予定を組んでいる。

 

 

それより…。
段々とエチュードが不足して来た。例えばChopin、ラフマニノフその他色々。何が不満かと言うと楽曲構成。特に、全編を通じて感情的なパッセージと場面展開に演奏者を翻弄する構成になっている古今東西のエチュードに、段々腹が立って来た。

既存のエチュードを練習しても、インナーマッスルが少しも鍛えられないことに私は気付いている。だったらもうDidier Merahのエチュードを書くしかないと言うことで、実は今月中旬辺りに既にその一曲目の構想に着手している。

 

同時にあと2・3個の企画が脳内で同時に進行している為、今の私の脳ミソは常に熱く燃えている。
今この記事を書いている最中も、冷房をパワフルにして脳のクールダウンに勤しんでいる。まるでデータセンターの如く、考える物事が増えて行く毎に私の小さな脳がフル稼働するので、兎に角暑くて暑くてたまらない(笑)。

 

それにしても、リストってなんでこう… 賑やかしばかりなんだろう。
綺麗な箇所が幾つもあるのに、それが長続きしない。「ガーーー!」っといきなり感情的な強打音が出て来るから、ホント心臓に好くない。

 

全編ピアニッシモの美しいパッセージだけで好いのに。

 

 

空気のように、風のように – Like the Air, like the wind

2018年3月21日、アルバム『Mother Earth』が無事にリリースされた後から再び続いている異様な眠気。私はその感覚には逆らわず、特に週末は体が求めるまま眠り続けることにした。

On March 21 2018, after the album “Mother Earth” was released successfully, my deep drowsiness still continues. I don’t go against that instinct, and especially on weekends I decided to keep my body asleep as desired.

 

眠りはただの睡眠だったり或いは別の世界に行く為の助走になったり、私の場合の眠りには色々な意味がある。

Sleep is just only sleep, or it is the long jumping to go to another world, sleeping in my case has various meanings.

 

アルバム『Mother Earth』がどのようなアルバムか… と質問されることが増えているがその度に私は、こう答えることに決めている。
━ このアルバムはまさに、地球の始まりから現在、そして未来までを描いた作品である、と。

Every time the album “Mother Earth” is asked what kind of album is being asked, I have decided to answer like this each time.
This album is exactly a work depicting the beginning, the present, and the future of the earth (I say it so).

 

それをどのように質問者が受け止め解釈しているかは、私には全く分からない。軽く軽ーくいなして立ち去って行く人も居れば、もっと知りたい… と言う感情を剥き出しに次の質問を畳みかけて来る質問者も現れる。

I have decided not to deepen on how the questioner interprets it and interprets it.
Among there are people who take lightly swallow my answers and go away, and some people challenge the next question while revealing the feelings that they want to know the meaning more.

 

だが、音楽は音楽でしかその答えを出すことが出来ない。
少なくとも、地球の始まりを描いた音楽がこの世界に忽然と出現したことは事実であり、それは言葉よりも音を通じてリスナーに深いインプレッションを与えて行くことは変えようのない事実である… と私は確信している。

At least it is true that music depicting the beginning of the earth appeared abruptly in this world just now. And I believe that it is a fact that can not change things that give listeners a deep impression through music rather than words.

 

何より私が音楽を前にした時には、ただの風或いは空気の力しか持たないことをあらためて痛感している。

More than anything, when I’m in front of all music, I realize that I have only power of wind or air power now.

 

 

iTunes Store:
https://geo.itunes.apple.com/jp/album/mother-earth/1348765132?app=itunes

New Album 『Mother Earth』 配信開始

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Didier Merahのニューアルバム『Mother Earth』 解禁。

いよいよ地球全土で配信が始まりました。

 

New Album “Mother Earth” (by Didier Merah)
Now on Sale!🌏

iTunes Store: https://geo.itunes.apple.com/jp/album/mother-earth/1348765132?app=itunes

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