時の舟に乗り込んだ。そう感じたのは先日、或る作品を録音した直後のことだった。
いつも私は「時」や「タイミング」に強く守られながら、今ここまで生き抜いて来られたと思う。それ程勤勉に生きて来たわけではないのにここぞと言う時になると直感が働き、それは赤いランプのように私の脳裏で点滅し始める。
不思議なのは今、この瞬間点滅しているからと言って一時間後も同じようにそうしているわけではなく、まるで宇宙を移動する星の如く全ての現象は一箇所に留まらないこと。それは気紛れな印象を人に与えることも多々あるが、実際にはそうではなく「宿命」とも言うべき糸が私だけに見せる風景かもしれない。
ひと月前とは明らかに私自身、私の周囲そして周囲に居る人たちの私を見る目が変わったように思う。ある意味ではそれは私の内面の変化とも取れなくもないが、確かにそれだけではない何かが私の周囲を暖かな天体のように巡り始めた。
既存の演奏家・伴奏家と言う職を退き、文字通り「芸術家」らしい静かな暮らしを続けている今が、なぜかこれまでの人生の中で最も忙しい。
エチュードと基礎連をしようと思い鍵盤に向かうが実際にそうし続けることはとても困難で、私は常に新しい旋律やコード・プログレッションに引き寄せられ、音の長い河を彷徨い始める。
河にゴールはない。そこがゴールだと思った場所がその時々のゴールであり、それらは日々の中に点在する偽終始のように次へと全てが続いている。鍵盤から手を離す時いつも「嗚呼終わってしまった…」とため息が漏れるが、背中も額も両の腕もゆびさきも汗でびっしょり濡れている。
空調を冷房にしてもドライのパワフルにしても汗は引かない。
全身汗だくの私の体内に、気持ち良さそうに巨木のオリーヴの精霊「オリジン」が左右に体を揺らしながら、さっきまで私が演奏していた新作の旋律を木霊のように繰り返す。それはまるで精霊のシエスタのようでもあるし、何よりオリジンが歌い始めると周囲の木々やご神木も一緒に歌い踊り、騒ぎ始めるから、私はそれで時折酷い頭痛に悩まされる。
木々の念は人の念よりも激しく強く、そして長い。一個の感情が発生するとそれは鉄の滝でも流れ出したように私の脳を直撃し、数時間引くことがない。私はその間ずっと激しい頭痛に悩まされることになるが、その強さこそが木々の感情表現なのだからそれを受け入れることしか私には出来ない。
幾つもの生命の記憶、そして今を生きる精霊や古木、ご神木たちと共に在る今日と言う瞬間は、それが同じように続いて行くからこそ深い幸せで満たされる。
先日古い友人にお詫びがてら「私を巡る環境が一変しました。」と伝えた時、友人の反応は殆どなかった。
確かに傍目には何も起きていない、まるで地震の一週間前に私にだけ「無数のウーパールーパーたちが地下を疾走するような不可思議な足音」が聴こえたように、この感覚を共有する相手は未だこの地上には殆ど存在しない。
現在、同時進行で複数の企画が動いている。その企画の幾つかは、音楽史をこれまでとは違う流れへと大きく変えて行くかもしれない。
新しい時代が、木々が、そして大きな流れが… 実はそう遠くない場所から、
静かに私を呼んでいる。
YouTubeは、Ivan Lins の “Lembra de mim” のスタジオLive。命を削って演奏するとはこういうことかと、息を呑んで聴き入ってしまう。
曲タイトルの「Lembra de mim」は英語で「Remember me」の意味になる。