民族音楽研究家として思うこと

Africa

 

夏休み前から体調が思わしくない状態が続いており、個人的に引き続き静養中である。

兎に角眠らなくてはならないのだけど、だからと言って一日中眠れるわけではないので所々でパソコンを開いて音楽を聴いたり、Twitterに文字を書き込んだり… と色々やっている。
最近はFacebook(Pageを含む)から少し遠ざかって居る。

 

Facebookを私が始めた頃はもっと静かで穏やかで、尚且つ適度に賑やかで、比較的SNSに熱心な人たちに囲まれて楽しくやっていた。だが、最近はかなり様子が変わって来たように思う。

おそらく「いいね」ボタンが定着してから始まった「いいね」付け押しの無言ユーザーの激増で、かなり私もその状況に疲れて来た。それまでは多くのユーザーがきちんとコメントを投稿して双方の会話を楽しんでいた筈が、段々とそうではなくなって行った。

 

顔馴染みの相手がもしも自分の恩師であれば、会釈だけではなくきちんと声に出して挨拶を述べるだろう。勿論それが学友であっても同じこと。
だが、皆が胸に「いいね」ボタンを搭載し、それを点滅さえさせればコミュニケーションがある程度完成するようになった今、大勢のSNS利用者たちが「会話等必要ない」と思って居るらしい。

私にはこれが甚だストレスの、きっと大きな要因となっている…。

 

今朝はどうにもこうにも「茶色の飲み物」が欲しくてたまらなくなり、最初は麦茶を飲んだがそれでは収まらなくなり、遂に黒糖カフェオレを作って淹れて飲んでみたらこれがビンゴだった。

美味しいーーっ❣️

思わず声に出してしまった程、インスタントの豆で作ったとは思えないこの味、どうよ❣️

 

 

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自らが作曲家であるだけではなく、私は10代になる前からインドやトルコ、中東からアフリカの音楽に目覚め、クラスメイトと感性が合わなくて本当に困った(笑)。だが、これが結果的には今の私を形成する大きなベースとなり、きっと一生私はこのまま作曲 & 民族音楽の研究者としての活動を続けて行くことになるだろう。

 

色々な国の音楽を巡るうちに30代ではワールド・ミュージックを日本語に訳して踊って歌うユニット「mocha」を結成し、約3年間活動を続けて(とある事情で)ユニットを閉鎖した。
そこで私の民族音楽家としての活動は終わるかと思いきや、そこから私の本格的な音の世界旅行は始まったと言っても過言ではない。

未だ独身で作曲家でもなかった当時は仕事で外の演奏に出る度に、近所のワールド・ミュージック関連のCD売り場に何時間も入り浸り、その日の出演料をはみ出すくらいの大量のCDを買って帰宅したものだった。
だが皮肉なことに、殆どのCDを一回聴いて棚に仕舞うことになり、元が取れたのかどうかはかなり微妙だ(笑)。

 

音楽も、世界情勢の如く日々情報が更新される。最近は自分自身の音に集中することが増えて来た為、以前程熱心に世界の音楽をウォッチ出来なくなっては来たものの、それでも「今だ❗️」と思った時には何時間も、夢中になって音楽から音楽を渡り歩き、好きなジャンルで時々トランジットしながら又次のジャンルに向かう… 音楽の旅が続いて行く。

 

私の記憶が正しければ、私の中には幾つもの人種の血が流れている筈である。だが、今世の私の血の半分はJapan、日本人である🇯🇵
ならば私は日本人の民族音楽研究者として、一つの答えを出さなければならないだろう… と、最近はそればかりを考えて過ごして居る。

 

段々と日本発信の音楽がアメリカナイズして行く中で、それでも私は古き良き日本のモードとか言葉とか、日本人だけが持つ速度感覚等を模索しており、最近はなるべく穏やかな速度で生活することに注力して居る。

 

と、この記事を書いている間、私はついさっき作成した(主にアフリカ近隣諸国の音楽を集めた)PlayListを何故か聴いている(笑)。
これがなかなか好いコレクションになったので、是非このブログの読者の皆様にもシェア頂ければ有難い❤️

 

 

Dream of Falling

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何度も何度も繰り返し見る悪夢。それは雲の隙間から遥か遠くの地上に向かって、急降下する夢。
しかも私は誰か、何者かの手の中を完全に転がされている。

体は完全に宙に浮いたまま、もう直ぐ落下して行く迄の数分間雲の上で停止する。いっそこのまま気を失ってしまいたいと願うも虚しく、私は覚醒したまま空中からどこにあるかも分からない陸地を見据えてる。

夫曰くそれが、転生直前に目的の母体を決める最終決断の瞬間ではないかと言う話。魂が空から一気に押し出され、誰かが決めた母なる肉体へと物凄い勢いで押し出されて行く瞬間の記憶…。

 

日常生活の中、ありふれた午後のテーブルを夫以外の誰かと挟んで向き合って、アイスコーヒーをストローですすりながらこんな話の出来る友人に、私は未だ巡り逢わない。至ってフツーの笑顔を浮かべ、ありきたりな話をずいずい進めて行く私は仮の姿、その瞬間だけ「普通の人」を演じているそれは偽りの顔でしかない。

何人かの友人や知人にティータイムのお誘いを頂くけれど、私はそれらの全てをお断りして居る。一言で言うと、どうしても今の私が抱えていること、アナザーワールドとこの世界を同時に生きて行く私を相手が心底理解してくれる気がしないから、誰かと会う度に「フツー」の仮面を逐一かぶり直すことに私は疲れ果ててしまった。

 

人と人は、一度出会った後はもうそれ以前に戻ることが出来ない。するとどんなことになって行くのだろう…。
最初は刺激が歓びを生み、虹色バラ色の浮遊感・多幸感に満たされる(相手が)が、次第に「慣れ」にそれは変わってしまう。やがて慣れは目の前の相手である私の粗探しへの欲求へと変化し、相手の悪いところを探してそれを矯正してあげよう…と言う偽善を生み出す。

 

あなただって同じ人間でしょう?

(その思いにはなぜか憎しみが籠もっている。私の才を相手は、自分の才と天秤に掛けて、ジャンルの異なる「優れた人」を豪語し始める。)

何度このセリフを言われただろう…。仮にそう相手が言わなくても心の中の声が私には全て聴こえて来る。
随分高飛車な人ね、たかだか音楽の才能だけが人よりちょっと進んでるだけでしょう?それが何だって言うの?みんな何かしらの才能を持って生まれているのだから、プラマイゼロでしょ(嘲笑)…。

 

この世界に使命を授かって何度も何度も生まれ直し、その使命を達成するまでしぶとく何百年・何千年も生き続け、古い記憶を全て保有している人はどのくらい居るのだろうか?
少なくとも私は未だそういう相手とは、夫以外誰とも会って居ない。

いつかそんな人が夫以外に、私の前に現れてくれるだろうか…。

 

先日、未だリアルでは全く逢ったことのない人と、私の音楽観について少しだけチャットで話をした。そう、ツムツム関連のグループチャットの中でのこと。

多くのミュージシャンは人気者になりたくて、音楽を始めたままやめられなくなる…。その結果音楽を仕事として成立させて行く過程で色々な境遇に振り回され、気付くと無謀な発注を黙々とこなすだけの専業作家になって居た…と言う話。

 

私は自己愛が殆どない。

━ 音楽活動や創作活動は、私にとって現世の修行みたいなもの。奉仕の精神で続けています。

そんな言葉がふと、気付いた時にはチャットのTLに乗っかって居た。意外にその相手はそんな私の、ともすると「コノヤロ!」と相手を奮い立たせそうな言葉をすんなりと受け入れてくれたのが、逆に私には意外だった。

 

私の直前の過去世はイタリア人だった。音楽家を目指す過程で料理に目覚め、気付くと料理人になる為の修行を積んで居た。
それは運命を司る「Brain」から見た場合には完全に「軌道を外れた状態」であり、ある日私はトスカーナの或る場所でトラックに撥ねられて命を落とす。

 

空を飛べない筈の私はその後、再び空の上に居た。それは丁度プールの飛び込み台の上に居るような状況に似て、真っ青な水面の在る場所には霞む陸地とそこで妊娠を控えた「母」の存在が在った。
私は「Brain」なる存在によってその母体に一気に押し込まれ、元々そこに居た未だ小さな弟を弾き飛ばした。

 

同じ悪夢を何度も何度も見る理由が分かった今でも、その悪夢に魘されて目が覚めた後の私の心臓はこれでもかと言う速さで波打っている。
ああ、又同じ夢を繰り返し彷徨ってしまったわ…。

 

今朝も私は、再び空の上に居た。

 

 

この記事を書きながら聴いていた今日のBGMは此方 ⇩

 

 

若干内容を更新しました。
是非是非フォローして下さいネ✨

 

静寂と共に

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木曜日。
知人と約束の場所へ向かおうとするとLINEにメッセージが届き、そのお店が今日に限ってお休みだと言うので、急遽予定を変更して和洋折衷の餃子のお店でちんまりとランチを頂くことに。
餃子と言う料理は難しい。大衆的過ぎても大手の他の餃子ストアと差が付いてしまうし、お洒落過ぎても餃子の大衆的な好さが消されてしまう。今日は後者のパターンで、一体何を食べているのか殆ど分からないような状況で、口の中で餃子と他の料理が完全に喧嘩してしまっていた。

そもそも餃子には中華スープか或いはお味噌汁、お吸い物が合うと思うが、付け合わせの汁物がミネストローネだったのには少々驚いた。一言で言うと、餃子に全く合わない(笑)。

付け添えがチーズのフライ、そしてレタスと枝豆のフレンチサラダ。嗚呼どうしよう… と言う混乱ぶりで、「こういうのは一度だけにしておいた方がいいわね。」と知人と顔を見合わせる。だけど会計は極めてスマートに、上品さを心掛け退店。

 

知人がその後のティータイムに同席したそうに私の目をパチパチと瞬きを増やしながら見つめていたが、私はどうにもこうにも今日は一人で音楽が聴きたくて仕方がなかったので、正直のその旨を伝えてそこで別れた。
なんて不愛想な芸術家なの…。この猛暑の中わざわざ私を誘ってくれたにも関わらず、私は一人になりたいと言う衝動を抑えることが出来なくなってしまった。

 

考えたいことが山のようにある。どんなに考えたところで思考がまとまるわけもなく、気付くと最寄り駅のビルに隣接している大型の書店の雑誌コーナーでぼんやり、予定外の雑誌を捲っていた。
傍から見たら、少し呆けた中年女性に視えたかもしれない。だが至って私は真面目に、本当に真面目に自分の音楽人生について考え込んでいた(「天然生活」を捲りながら)…。

 

 

 

家を出る時に満タンに入れておいたマイ水筒のミネラルウォーターは既に底尽きたので、タリーズコーヒーに入ってそこに抹茶ラテを注いで貰う。
丁度ショートサイズの割引チケットを持っていたので、差額でグランデサイズの抹茶ラテ。好く飲む女だ、私は。

そして目を閉じて、久し振りに自分自身の音の世界に浸る。

 

今年に入ってから私は、自身を「ピアニスト」ではなく「芸術家・作曲家」と頑固に名乗っている。
私の中でピアニストとは「与えられた誰の楽曲でも気持ち好く引き受け、それを演奏する職に在る人」だとカテゴライズしており、私はそれとは全く違う人だと言う自覚がざわざわと目覚め、次第に強烈になって行った。それにともない、自身をもう「ピアニスト」と名乗ることに強い違和感を感じるようになり、「ピアノが弾ける作曲家・芸術家」と位置付けることにした。

 

私の作曲は鍵盤の上で完成する。いわゆる既存の作曲家たちが「真っ白な五線紙の上に黒玉を書くことで楽曲を完成させて行く」のとは違うスタイルを取る作曲家であるだけで、私は紛れもない作曲家の一人であることには変わりない。

 

目を閉じて、大地・地球の心を描いた作品に耳を澄ますと、音楽の彼方で蝉が鳴き、トンボが風を切って飛んで行く。時折車やバイクが横行する通り沿いに面したカフェが、瞬く間に異国の夏の世界に変わって行く。
私は地球の心と同期し始め、まだ見ぬアマゾン河の光景や水と木々の匂いが私を包み込んで行く。こんなことなら抹茶ラテではなく、ケニア(コーヒーの種類)をオーダーすれば好かったかしら…。

 

 

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日常と音楽の隙間に聳え立つアマゾンの深い森林は、私を強引に引き寄せようとする。微かに…、嗅いだことのない種類のコーヒーの初々しい香りを感じ、振り返ると私の中に共に棲んでいる御神木の精霊のオリジンが空に枝を大きく広げて泣いている。

物理的に今直ぐにアマゾンに飛ぶことが出来ないから、魂だけでも共に、旅を…。

 

丁度上に添付した写真のように、深い緑の水面に青い空が映り込み、これでもかと言う程の高い湿度で迫って来るけれど、なぜかその中に呑み込まれてしまいたいと言う不可思議な衝動が湧いて来る。
そう、これは私の感覚ではなく、精霊 オリジンの記憶に触れたから発生しているもう一つの記憶のように、私を知らない過去へと引きずり込んで行った。

だけど私は相変わらず普通の生活の中に在り、今まさにカフェの隣の席に初老のご夫婦が談笑しながら海外旅行の計画を練って居る。真横に居る私がアマゾンの森の香りと映像に包まれているとも知らずに隣からは、シンガポール七泊八日の旅のパンフレットを読み上げている女性の声が抹茶ラテの中へと溶け込んで行く。

 

日常と、非日常。私はその、視えない境界線を常に往復しながら、一見普通の人のように暮らしている。

 

さぁ。そろそろ夕食の買い物をして、帰らなきゃね。
そう言うとオリジンが緑色の大きな羽根を、少しだけ畳んだ。最近は私を上手に日常に送り届けてくれるようになり、私の精神状態を徹底的に穏やかにキープしてくれるようになった。

 

お盆。色々な元・人や、亡くなった知り合いが此方の世界に帰って来て居る。でも私は毎日がお盆のようなものなので、特別何かをする… と言うことはない。
過ぎ去る時、過ぎ去る毎日を大切に過ごすこと。それが此方の世界に生きる者の使命であると常に感じ、その感覚の中にシンプルに生きている。

 

 

蒸し鶏を求めて

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今朝、未明から明け方に至る間の空気がとても重く、なかなか寝付けなかった。

朝7時過ぎ、夫が出社する時私たち夫婦は必ず目を合わせてキ◯をする💋 いつもはそのままコトンと眠ってしまうのだけど、その後再び眠れなくなりそのまま起床して朝練をみっちり…。と思いきや、色々な思考や音の洪水で頭がパニック状態に陥り、いつもは普通に弾ける筈のシューベルトやショパンが思うように弾けなくなってしまった。

早く自分の為の新しいエチュードを書かなければ… と思いつつ、それが間に合わない程の分量の構想に今、追われている。

 

猛暑で台所仕事にも若干支障が出ており、何より今私はどういうわけか口唇ヘルペスを患っており、これは疲労のサインだと思うので余り無理が出来ない。

ただでさえ練習時はかなり体を酷使するから、その後に予定を組んでいる買い出しが最近疎かになっていて、しょっちゅう忘れ物が絶えない(笑)。いえ、これは歳のせいではなく、買い物とかそういう日常のことがどこかに飛んでってしまう程に夢中になっている音楽のせいである。

 

ここのところ、胡瓜にハマっている。味付けは何でも好い。場合によっては胡瓜を洗ってそのままボリボリ、途中で醤油マヨネーズ(唐辛子を少し入れる)を投入したり、ごま油とポン酢を付けてボリボリ…とか。

 

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世界には色々な胡瓜のお料理があるけれど、上の写真はスペイン料理はガスパチョの胡瓜バージョン。
http://www.kagome.co.jp/vegeday/nutrition/201708/6823/

先日、ココナッツミルクの中に一度茹でて冷やした胡瓜を入れて食べると美味しい… と、ベトナム国籍の知人にLINEで教えて頂いたが、食習慣の相違からかなかなか勇気が湧かない(笑)。
いえ、食わず嫌いはいけない。だから少し気力・体力が復活した時にこのベトナム式?のココナッツ胡瓜にTryしてみようと思うが、夫の居ない時に先ず試しに作ってみてから食卓へ。

 

スーパーに出掛けて来た。

先日の猛暑に比べると若干涼しく風もあったので、何となく気持ち好く買い物が出来た。近所の青果店が駅前開発で露店に追い遣られ、最近のこの暑さの影響で野菜が傷みがちになって使えなくなることが増えたので、暫くスーパーで野菜を買うことに決めた。

野菜を買う時は先ず、産地を確認する。絶対に購入出来ない産地もある為、そういう時はその野菜はそっと外す。今日は群馬産の胡瓜とトマトがあったので、夜か明日の朝の冷やし中華用に少量だけ購入して帰宅。
いえ、勿論胡瓜とトマトだけを買いに行ったわけではなく、台風が来ても大丈夫なように数日分の食材を両手一杯の分量買って来たので、帰りの自転車漕ぎはかなりキツかった。

 

さて。練習も終え、買い物も済ませ、このブログを書いたら少し休もうかなぁ…。色々あって、若干睡眠が足りてない。音楽の事を余り考え過ぎないよう、オフの時は自身の専門分野外の音楽で脳をしっかり冷やして行く。

今日のBGMはコチラ ⇩

 

 

これは未だ編集途中の、主にDubとかDub-Ambient系をコレクションする為のPlayList。

今後も更新して行くと思うので、是非フォローして頂けると有難い✨

 

いつものように

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酷暑続きの関東地方、東京。遂に青梅市の最高気温が40度を超えた。
酷い暑さだ。

私は、と言えば、明け方から酷い鼻炎と目の痒みに悩まされ、何度も何度も顔や目を洗いながら寝室と浴室を往復。それでも痒みは止まず、ティッシュペーパーがみるみる減って行く。

 

週明け、月曜日はしっかりと練習に勤しむ日と決めている。今日もそれは変わらない。
でも窓越しに容赦なく侵入して来る太陽の熱は思いの外強敵で、途中何度も水を飲みながら粛々と指を動かして行った。

「ピアノの演奏は全身運動ね。」
昔っからよく言われていたことだが、本当にそうだと思う。一通りの練習プログラムを終了すると体じゅう汗だくで、直ぐにシャワーを浴びてクールダウン。

 

昨日買っておいた素麺を氷でしめて、それに梅干しを足してランチをサクっと済ませてブログを書いている。

夫に「くれぐれも無理はしないでね。」と言われているので、その通りにこれからの日々を粛々と進まなければならない。

 

 

先週から色々なことがあり(詳細は書けないけれど)、実は余り無理が出来ない体の私。一つにはこの暑さのせいで完全に夏バテモードに入っている事。もう一つは、日々の作曲が考えるだけで意外にハードでその重圧が日常生活に若干の支障を来している事。

その他諸々。

 

いつもとは違う場所で、野良猫 マリコがミャーミャー鳴いている。多分室外機の上が熱すぎて、そこに居る事が出来なくなったからだろう。練習室の出窓の向こうのコンクリートのフェンスから私を呼んで居るが今日はごめん、私練習したいからね、マリコ。

 

 

さて、冷蔵庫の掃除の残りを済ませたら、先日LINEの抽選で当たったブラックのアイスコーヒーにミルクを入れて、少しお昼寝でもしないと体が悲鳴を上げたまま収まりそうにない…。

 

 

Intangible Seeds

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日々、炎天下で人肌に包まれているような暑さを何と表現すれば好いのかさえ、もう分からない程の酷暑続き。夏は好きだけど暑さには余り強くない体に生まれ付いているので、特に台所仕事が大変。
時々息が上がって倒れ込むこともあり、寝室にはペットボトル一本のミネラルウォーターが欠かせない。

 

先週末の連休は予定していた作業を延期して、体を休めたり料理をしたり… ととにかくリラックスに努めて過ごしていた。
無性に「黄色いスパイス」を体が欲するので、連休中だけで三回から四回、ターメリックライスを作って食べる他に、大鍋一杯のカレーを少しずつ胃袋に仕舞い込んで行った。
カレーはラム肉とキノコを使用して煮込んで行ったが、これが今の気分にドンピシャリだった。粛々と煮込んで行き、実は今日はまだその残りを昼ごはんに食べている(笑)。
勿論一日2・3回は火を通しているので傷むことはなく、今日は濃く煮詰まったカレーをミルクで溶いてカレースープにアレンジして最後の一滴まで平らげる予定。

 

 

この一週間、色々な文字が容赦なく目に飛び込んで来る度に、実はとても胸を痛めてその様子を見ている。
バーチャルが人をそうさせるのか、それともそういう人たちはリアルでもとても獰猛な生き方を好んでそうしているのか、最近のインターネットの中を飛び交う多くの言葉に潜む暴力性が目にも胃にも、そして脳に突き刺さる。

 

だが私が今為すべきことを、そっと思う。冷静に、冷静に、そして上品に。

今年の初めに在る存在が私に、「何があってもエレガントに振る舞いなさい。」と助言を送ってくれた。それは言葉と言うよりも信号のような、命令のようなシグナルとして私の元に届いたので、私はそれがとてもゆかりの深い存在から私にタイムリーに届けられたとても重要なメッセージだと認識し、以来そのアドバイス通りに言動をコントロールして暮らしている。

 
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いつもよりは明らかに早く訪れた夏は、日本と言う島のあちらこちらに大きな傷を負わせながら上空を独占している。沢山の被害、多くの被災者たちがこの島の至る場所で困り果てながら、この夏をどう乗り越えて生きて行こうかと考えあぐねている。

私はただ、思う、祈ることしか出来ない。だがそれは「思う」だけの祈りではなく、物質のない形に置き換えて地球上に発信することの出来るもの。

美しいものを作り、風のようにそれらを地上に蒔いて行くこと。それが私のおシゴト。

 

 

体調が例年になく今ひとつなので、長い夏休みを頂くかもしれません。
でもその間、音楽とは片時も離れずに、自分自身の内なる音と会話を重ねながら次に向かって歩んで行きます。

 

木々との対話

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あちらこちらのSNSに「最近仕事でコーヒーを飲み倒している。」と書きまくったら、数人のファンの方々から「喫茶店を開店なさるのですか?」と言うメールが届いて驚いている。
嗚呼… でも私は基本的に食べることが大好きだから、ある意味これはとても素直な連想だ、とも言える話(笑)。

いいえ、残念ながら喫茶店を開店する予定はありません。
━ 今のところは…。。

 

木(樹)と話すようになってから、私の感覚は最早「閉じる」ことがとても困難になった。年がら年中木々の声や思いが胸に届き、その時々の彼等の思いと私とが同期すると時折とても辛くなる瞬間が訪れる。

特に先週末の「ある事」は私のみならず、木々の心までも深い闇へと突き落とした。普段はとても饒舌な木々が数日間無言になり、その悲痛な思いが世界中を黒いヴェールで覆って行った、そんな気がした。

 

丁度私が長期的な体調不良から立ち直りつつある期間とそれが重なって、病んでいるのが体なのか心なのか本当に区別が付かなくなって、それを見るに見かねた夫が珍しく外食やデリバリーの食事に切り替えてくれたので、何とか今日を迎えることが出来たと言っても過言ではない。

 

 

木曜日は穏やかに…。
そう、極力穏やかに、心をかき乱さぬようにその日を送ることで、その後の仕事にもそれが大きく影響する。
まさに今日がその日。数日間私をそっとしておいて欲しいと親しい友人数名にLINEからメールを送ったので、皆その言葉の奥に在る「何か」を感じ取ってくれたのだと思う。珍しくスマホのLINEへのメッセージのない、とても静かな木曜日。

 

隠れ家でランチ、そして最近ハマっているドリンクとコーヒー「マンデリン」を飲んでまったり過ごし、ゲリラ豪雨が来る前に、いつもよりは少し早目にティータイムを切り上げて帰宅。
夫がAmazonで購入してくれたラム肉が1キロあるので、それを今朝冷凍庫から冷蔵庫に移動し、ゆっくり解凍したらその半分をカレーに、残りをステーキにして焼いて食べようと思っているが、こういう日に限って行き着けの市場の八百屋に野菜が不足している有り様。

買えるものだけをさっと買って帰宅。傷みそうな野菜は明日に回して、先ずは寝室でこうして久々のブログを綴って居る。ブログを書けるまでに体力がようやく復活した証拠で、何だか今とても気持ちが好い。

 

 

最初の話に戻ると、最近私が「仕事でコーヒーを飲み歩いている」と言う話。研究心が嵩じてKindleで書籍まで買って、コーヒーの歴史書を読んでいる。

 

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珈琲の世界史
(講談社現代新書)

旦部幸博: http://amzn.asia/96oN24c

 

この本を読む時は大抵中東かアラブ系の音楽をBGMにセットして、文字を読み進めて行く。

なにせ気分屋でムード派の私は昔から、その時夢中になっている書籍や音楽にインテリアや服装を合わせることにも余念がない。だからって「形から入る」人ではなく、その物事を滾々と突き詰めて行きたいと言う思いが私の「形」を形成して行く。

この書籍を読んだ後に何が起きるのかは、そのうち追々… と言うことで。そう遠くない将来、好い形でそのご報告が出来るよう日々切磋琢磨しながら味覚と感覚を磨いて行きたい(笑)。

もう一度書いておくと、私が喫茶店を開店する… と言う話は全く以て「ない」とだけ言っておきたい。

 

 

追記:
来週までの期間限定で私の無謀なお願いをそっと聞き届けて下さっている友人の皆さまへ、あらためてこの場を借りて心より御礼を申し上げます <(_ _)>

 
🎵この記事を書きながら聴いているBGMは此方。オススメです💿

 

ターメリック

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風邪から気管支炎に移行したしつこい風邪が長期化して行く中で、今回私は生まれて初めて漢方薬の副作用に見舞われた。少しだけ咳が止まり熱が下がったので台所仕事をしかけた途端に胸が苦しくなり、ガスの火を止めて直ぐに寝室で横になった。

心臓の痛みにも似たそれは呼吸の苦しさと共に発症することが多いが、先日の発作のようなその状態はいつものそれとは少し違って全身の関節の痛みや背中の筋肉痛が同時に感じられた。

 

諸々の症状が落ち着くまで月一の歯の定期検診を延期し、先週末にクリニックに向かうとドクターがすかさず「唇が青いのはどうしてだろう?血流が上手く行っていないような気がしますね。」と…。

私は風邪の症状やその時に体に不具合を起こした薬の名称等をドクターに告げると、「うーーん、ちょっと調べてみますね。」と言い、とりたててその時の歯の調子が好くないわけではなかったこともあり治療は比較的すんなり終了。

クリニックの帰りの道すがら、行きつけのコジャレたアーリーアメリカンなビストロに立ち寄った。継続している症状の一つである「食べている最中にうんざりして租借することに疲れてしまって、食事が最後まで進まない」状況が少しだけ顔を出したが、何とかランチは完食出来た。

 

帰りの電車の中で夫が「心臓じゃなくて肝臓じゃないかな。」とポツリ。

そう、私の心臓の持病を治してくれたのも夫だから、彼の言うことにはいつも一理も二理もあると思っている。数年前に夫が急性のアナフィラキシーショック症状で救急搬送された時、退院後も夫は肝臓の疲労で暫く大変だった。どうも私の先週の症状が夫のあの時の状況によく似ていると言う話で、嗚呼だったらカレーでも食べに行こうか… と言う話になり、先週の土曜日は兎に角「黄色いスパイス」をめがけてネパールカリーのお店に直行した(笑)。

 

ウコンが二日酔いに効く… みたいな話は昔っからよく言われているが、これと言った根拠はどうやらないらしい(と言う話を、林先生の「今でしょ講座」で放映していた)。だが、実際にターメリックたっぷりのカレーとターメリックライスを食べると心なしか元気が回復して来た。

 

私はいつも夫に救われている。私が夫を助けること等きっと難しいと思うけど、出来ることがあるとしたら私が元気で美味しい献立てを考えて作ることぐらいかな。
今は手作りアイスクリームにハマっており、生クリームとヨーグルトにありったけのフルーツと蜂蜜と有機のバニラエッセンスを加えて結構な分量のアイスクリームを作って行く。それがめちゃめちゃ美味しいのだ🍯

 

 

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芸術家の暮らしは極めて慎ましいものではあるが、今抱えている企画の次ないしはその次の企画の為に最近私は半ば仕事でコーヒーを飲み歩くようになった。コーヒーが好きだから、と言うだけではなく各種のコーヒーの味や後味を分析し、コーヒーの銘柄の由来は歴史を調べる為にKindleで電子書籍を購入してそれを読み進めている。

実際に書籍を読み進めて行くと、最初思っていたものとは異なる色々な情報に遭遇し、もしかすると企画自体をもう一度見直す必要が出て来たが、兎に角今抱えているメインの企画を先ず先に進めなくてはならない。

その企画については、アルバムリリースの直前まで誰にも話さないことに決めている。

私にとって、おそらく大きな転機となるアルバムが一枚、ある日忽然と出現することになるだろう。その日までの作業の行程を含め、今回は少し遊びながらアルバムを作って行きたいと思っている。

 

 

そろそろ風邪も76パーセントぐらいまで治って来たが、未だ体力が完全ではない。やはり台所に立つ時に倦怠感があり、余り無理が出来ない状況が続いている。

ここはゆっくりゆっくり、回復まで油断をせずに体を休めつつ練習プログラムのレベルを徐々に上げて行きたい。

 

 

今日のBGMは此方 ⇩

 

テレパシー能力について

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先週半ばから酷い風邪を引き、珍しいことにそれは最初から気管支炎の状況と共に発症した。
身体の構造上私は「風邪」と「気管支炎」を常にセットで発症し、順序としては風邪が先、後遺症として後に気管支炎が残る形になるのだが今回はその順序が全く逆のかたちで発症した。

そのことの気付いた私は発症直後から直ぐに気管支炎用の漢方薬を服用し始めたが、さらに珍しいことにいつも飲んでいる漢方薬が私の体に副作用のような状況を発生させた。

投薬後、寝室からリビングを突っ切って台所に向かうたった10歩程度の距離で、呼吸が上がってしまうのだ。

現在未だ気管支のゼーゼー音がかなり根深く残っている為、問題の漢方薬を減薬しながら服用しているが、近日中に近所の漢方薬ストアに出向いて薬剤師に色々相談に乗って頂こうかと思って居るところである。

 

風邪 & 気管支炎の最中は兎に角色々なことが面倒臭くなり、必要最小限のSNS活動のみに制限し、日中の大半を何もしないで過ごしていた。何もしないと言うより、出来なかった。

一気に37度台から38度8分辺りまで熱が上昇したかと思うとそれが一気に35度台にまで下降し、次の瞬間には再び38度台に駆け上がる熱の乱高下で私は、完全に気力・体力を喪失した。

 

ネットを離れている期間、それは必ずしも好くないことばかりではなく、私にそれまでの私のネットの中の活動に対し色々なことを考えさせてくれる好い時間を運んでくれた。

ここ最近のFacebookの「いいね」の乱打に対する私の不満や憤慨、その原因が本当は何なのかについても再度、あらためて考えさせてくれた。

 

 

先日こんな事があった。

先例にも漏れず私がシェアする写真や動物の可愛い記事等に、ガンガン「いいね」を押して行く人たちに向けて私は或る記事を発信した。
その記事に私はお願い事ではなく、私の中の「嫌がっている事」についてのみを記載した。

 

私の中で「いいね」とコメントは(一部例外を除いては)常にワンセットであり、それが他記事のシェアものではない限り「いいね」と言うスタンプに対する思いをコメントに残して頂きたい私の意向を常々、TLに綴っていた。

それは夫が見てもくどいぐらいの分量でそれまでにも何度か発信しており、それでも尚且ついわゆるFBFとでも言うべきSNSの中だけのフレンドたちの一部が、私がTLに掲載する記事を上から下まで舐めるように「いいね」だけを押しまくり、消えて行くのだ。

 

問題は、両者が実際には知り合いではない… と言う点にある。
知り合いではない人たちが何を考えているのか… 等と言うことを逐一考えることも面倒な上に私は、彼等がどんなモチベーションと動機で「いいね」を私の記事に押して立ち去って行ってるのかと言う彼等の心情を、全てキャッチすることが出来る。

 

つまりこれ、簡単に言うところのテレパシー能力と言うことになるが。

 

これが案外厄介で、普通は人に話しても先ず理解を得られることはない。なので私はそういう自身の体質をあまり言わないようにして「いいねを押す時は必ずコメントを添えて下さい。そうでなければ無視して下さい。」と懇願し続けて来たが、それを公然と(或るいは善意で)無視した人物の意見に触れることが出来た。

つまりはその方の言い分はこうだった。⇩

先方のコメント:
記事に一個でも「いいね」が付いていたら嬉しいでしょ?だから押すんですが、いけなかったでしょうか?


回答
:

はい、私はそれをやめて下さいと何度もここに書いているわけですから、人が嫌がることを平気で続けるような人とはフレンドで居ることが出来ません。
よってあなたとのフレンドリンクを解消させて頂いた経緯がそこにあります。

 

まぁ私のこの言い方には相手もカチンと来たのか、もしくはやっと事の経緯に気が付いたのか、以後私の記事にその人からの「いいね」のみの迷惑行為はなくなった(笑)。

 

 

手前みそな言い方にはなってしまうが、SNSでは私ぐらいの中途半端に知名度のある人間が、意外に大きな迷惑を被るケースが多いのではないだろうか。
例えば上記のような場合。

 

相手の心の声: 
── 記事に「いいね」を貰ったらそれがたった一個でも有難いでしょ?
だから僕に向かってコメント欄で「ありがとう」って言ってね。僕も(貴女のような中途半端な有名人から)もっともっと有難がられたいんですよー。

 

⇧ 私は「いいね」と言うたった一個のスタンプから、そのスタンプを押して行く人たちの全ての心の声をキャッチすることが出来る。
最初は「いいね」スタンプの数に憤慨しているのかと思いきや、そうではなく、同じスタンプの中に響く思いが各々異なることをつぶさにキャッチする度に苛立つ、そのプロセスに本当に怒り果て、疲れ果ててしまったのだ。

でもそんなことを書いても「嗚呼またまたそうやって超人ぶってさ。だったら今私が何を食べたがってるかアテてみなよ。」等と言う暴言を本気で吐かれるのが関の山。実際そういうことはこれまでに何度も何度も起きていたことなで、結果的にはそれが当たっても当たらなくても相手は同じく憤慨し嘲笑する格好で私を揶揄することには変わらなかった(笑)。

 

だが、そんな話を昨日久し振りに夫に打ち明けてみたところ、意外にあっさりとこう言われた。

 

:
── Didiちゃんさ、もうね、色々と好い音楽を量産して来た経緯もあるわけだしね、そろそろそういう自分のことを正直に人に話して行った方がいいのかもね。

「私にはテレパシーで人のココロの声を掴み取る力があるから、アナタのどす黒い本音も全て聴こえてそれが本当に煩わしくて仕方がないので辞めて下さい。」 とありのままね。

 

なのでこの記事をその記念の記事としてここに、私がテレパシー能力の持ち主であることを大々的に書き残しておくことに致したい。

 

 

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まぁ何はともあれ、先ず風邪 & 気管支炎を完全に治してしまわねばならない。が、意外に病気に臥した時等に限って自分自身を深く見直す切っ掛けが生まれるし、少しFacebookの身辺整理をしたいと思っている。

私のこういうやり方に対してはきっと遠巻きに余り快く思われない方々も多いと思うが、人の心の中のみならず木々の声や動物の心の中身まで毎日つぶさに感じ取りながら生きている人の気持ちを少し考えて頂ければきっと、中には私のこの一見変哲な行動を少しはご理解頂ける方も現れるかもしれないと言う期待を込めて、今日は病み上がり間近の記事を更新してみた。

 

追記としてFacebook Pageへの更新内容の変更について一言。

Facebook Pageには極力誠心誠意を込めて記事を書きたいとずっと思って来たが、もうかれこれ一年以上もの間、この記事の例に漏れず私がセレクトする写真にだけ反応した「いいね」の乱打が尽きない。
勿論「いいね」の真意等を明かす先方からのコメント等はなく、ただただ無言で「いいね」と言う既読のマークだけを置いて消えて行く人たちが後を絶たないので、暫く写真のない文字だけの記事或いはLink投稿のみにFacebook Page内の発信内容を制限して行くこととした。

おそらくそうなれば私の記事は広く拡散する能力を失い、それまで「TLに上がって来たからいいねを押した」程度のFacebookファンのTLに私の記事が上って来なくなるだろう。

そうなった時に、「あれ?」と気付いて私のFacebook Pageお知らせ機能を『on』に設定してでも熱心に私の日々の動向を追跡して下さる方々を、私も又この目で確認したい。

惰性ではなく、真剣に一個の芸術家を思って下さるファンの方々だけの為に、暫く私は文字のみの記事を発信して行くことになるだろう。

 

 

 

・記事中で使用させて頂いた写真は何れも eberhard grossgasteiger さんのPhoto📷
赤とグレーの合わせ方がとてつもなく美しい。

 

・この記事を書きながら聴いていたBGMは此方。
🇦🇲途中アルメニアのTrad『Dle Yaman』がDudukで何度も何度も響き渡る、リズミカルで美しいロングトラック。

 

 

 

遠くから来る音、気配

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この一週間、いえ… もっと多くの時間の中で起きたことを書くには私の文章スキルが余りにも足りないし、何より現実離れし過ぎているかもしれない。一体私はこの世界とアナザーワールドの、どちらを主軸に生きているのかさえ分からなくなる程、この数週間の中で起きた諸々の出来事は飛び過ぎている。

気持ちが落ち着かず、常にざわめきに寄り付かれ、夜も余り眠れない日が続いている。そんな中私も夫も週末から風邪をこじらせ予定していた作業を全て延期した途端に、来る筈だった台風はどこか海の彼方に消えてしまったみたいに都内の雨が止んだ。

 

私たちの作業を快く思わない者はこの世でもあの世でもない、もっと別の世界に点在し、暗躍している。彼等は独特の想念やその力を兼ね備え、私たち夫婦に思いもよらない重圧を掛けて攻めて来る。

私たちはそんな重圧の隙間を縫うようにここのところの作業を進めて来たが、彼等の、まさかそれが二人の人間を攻撃するには余りある程の念の力に少しだけ負けて疲れ、風邪を引いたり頭痛をこじらせたりして体調を崩してしまった。

 

無理は惜しまないが、命を捨てる程私たちは愚かではないので、ここはゆるゆる進むところだね、そだね~と目と目を見つめ合いながら、やわらかな真綿の海を彷徨ってこの週末を渡って行く。

 

 

 

気持ちが落ち着かない時、私はなるべく遠い過去の記憶を持つ存在と触れ合うことに決めている。

例えば森、例えば木々、野に咲く花々、そして天然石。
岩や石に触れていると、遠い時代にきっと私が居たであろう赤い星の記憶が蘇る。思い出せそうで思い出せない、喉の奥で詰まってしまった音楽は古いさざ波の調べにも似ているが、そこに私の原点があることまでは何とか突き止めた。

でも、その先を思い出せない。

 

そんな時、透明な石に触れて回想の補足の力(りき)を得て、私の根元に辿り着こうともがいて何度も頭を振りながら天然石のブレスレットを編んで行く。

勿論、記憶は数万分の一程も復活しないけれど、どこか晴れやかな気持ちになるのは何故だろう…。

 

1997年、春。思い返せば私が本気でワールド・ミュージックと手を取り合った日のことを、とても懐かしく思い出している今日この頃。あんなに特訓して覚えた筈のインドネシア語をもう殆ど忘れてしまったけれど、今もその響きを追うだけで感極まって涙が溢れ出す。

何度か訪れた私の原点の一つが、この言葉の中にも埋もれている。ある日突然砂に埋まってそのまま月日が過ぎてしまった地底の遺跡のような、私の中のインドネシア語はそんな色彩を帯びて行く。

それは遂に届くことのなかった母性のようにも思えるし、或いはもっともっと古く懐かしく遠い記憶の断片のようにも感じられる不思議な響き。

 

私の中で、インドネシア語はさしずめコーヒーカラーにも似た褐色を彷彿とさせ、それを味覚でも強く確認したくなる時、マンデリンの香りを通して私は私を探し始める。

幾つもの魂を経て来ると、零れ落ちたまま二度と戻らぬ記憶の断片にうっかり触れてしまう瞬間がある。それは夢の中に時折現れ、私の背中を鋭く突き刺して来る。でもそれは痛みとは違う、温厚さを兼ね備えた鋭利な感触を私の中に発生させる。

 

夢の中の「その坂道」を私は何度下っては、この温かなナイフで背中を刺されただろう…。その瞬間私は崩れ落ちてその場で力尽き、魂だけが灰色の空を伝ってこちら側の世界に戻って来る。

私は酷く汗をかいており、冷たい水をとめどなく喉に流し込んで行く間に夢のことをすっかり忘れて、目の前の日常へと回帰する。目に涙を溜めたまま、その涙を理由を思うよりも日常の今を刻む時報に耳をすませ、その日の夕食の献立のことを考え始める。
その繰り返し。

 

そうね…、今日は未だ病み上がり未満の体なのだから、しばし思い出せないままのインドネシア語の響きや海の香りのする方へ心を走らせて、音の海に深く潜って行こうと思う。

よろしければ、一緒に泳ぎませんか?
太古の風が吹く海岸から沖へと、共に…🌴🐋