目次
・26/10/19 Mon. 『Blue Monday』
・26/10/20 Tues. 『知らない人たち』
・26/10/21 Wed. 『軌道修正』
・26/10/23 Fri. 『届かない荷物』
・26/10/24 Sat. 『タイムトラベル』
・26/10/25 Dun. 『生き方』
26/10/19 Mon. 『Blue Monday』
よくよくみたら、月曜日って日記を書かないことが多い。
理由の一つが「憂鬱」、月曜日特有のあれね。この先長い一週間の予定を見るだけで気持ちが塞ぐ。
思考も動作も鈍りがちで、そういう時は周辺の状況も同期して鈍って行く。どうせ誰も見ていないんだったら、ま、いいか、と言う気の迷いが強まって、結局頭痛と風邪を言い訳にして一日ダラダラ過ぎて行く。
と思いきや、夜間にはがっつり出詠 & 投句も済ませたから、誰か「偉かったね!」って褒めてください(笑)
26/10/20 Tues. 『知らない人たち』
SNS「note」を見直している。と言うか、整理している。
「整理」と言う言葉は余り好きではないけど、他人軸?で生きていたら私の人生がパンクするだけ。なので物事の変わり目に来たなと思った時は、思い切って断捨離して行く。
知らない人の人生って、意外に自分の生活に侵入しやすい。なのでどこかできっぱりと割り切って切り離して行かないと、SNSも日々の記憶も気づくと「知らない人」の記録で埋まってしまう。
私が視ている外界の情報量と、先方が視ている此方の情報量。そのバランスを自分で操縦しないと、人生を振り回されるだけ。
人は自分が望む程、此方の話を聞いてない。ならば私も、人の話なんて聞かなくても良いよね?
愛してくれる人とだけ関わって居たい。願わくば。
26/10/21 Wed. 『軌道修正』
その相手を好きでも嫌いでも共に居ることが出来なくなるような場面に、これまで何度も遭遇して来た。
だからと言う訳ではないが、方向転換には余り躊躇がない。迅速に決めて、動く。
考えて考えて考え抜いて‥ と言うプロセスを徹底的に短縮して、直感が降りて来たタイミングで瞬時に行動する方が良いと私は思って居る。
色々あってー‥とか四の五の言って結論を先延ばして、一週二週回った頃には「時すでに遅し」と言う事が多かったから、おそらく私は人の20~30倍速で生きて居る。
これでもゆっくり歩んで居る方だ。
なるべく衝突を起こさぬように、優しく潔く火種から遠ざかる。先方が自身を火種だと気付くもっと前の段階で、私は既にそこを立ち退いて居る。
相手がそれらを冷静に振り返るには数年から数十年の時を要するだろう。
何せ私は予言者である。他者の理解を待って居たら、私だけが窒息するに違いない。
自分の身は自分で守る。
26/10/23 Fri. 『届かない荷物』
このところのAmazonの配送の状態が酷く、予定では水曜日に届いていた筈の荷物が土曜日の夕方到着した。
電話で問い合わせてみると珍しく日本の女性が対応し、「ドライバーの数が足りなくて、配送が間に合っていません。」との返答。だったら、あたかも当日運んでくれるかのような表示自体をしなければ良いのに‥ と思う。
水曜日到着予定の荷物が実際に発送されるのが、当日の未明(3:00AM頃)だっりする。当然のこと、最寄りの倉庫に荷物が到着するのが昼過ぎになるわけだから、持ち出される時間は夕方以降になる。それで夜間に配送しようとすると当然、置き配で設定されたAmazonのタイムスケジュールには間に合わず、先日のようなおかしなショートメッセージが届くような事態になる。
ま、クヨクヨとあれこれ考えたところでどうにもならないし、とりま眠る。
矢継ぎ早に遠い海上で台風の子どもが育つので、その度に精霊の強い引力に引っ張られる。頭痛が止まない。
26/10/24 Sat. 『タイムトラベル』

伴奏家を撤退してからかれこれ15年は経過しているが、当時は真正面から聴けなかったブラジル音楽今頃聴き返している。
職業が絡むとその過程で下手な歌手や楽器奏者とも関わらなければいけなくなり、どうしても心が荒んでしまう。当時聴き逃していたブラジル音楽の美しさが、今頃になって胸を熱く撫でる。
こうして人は大切なものを逃して行くのかと思うと、思わず襟を正す思いだ。今の私を包み込んでいる現実やネガティブな状況も、いつか振り返る時が来たら美しい思い出となって、頭上に再び美しい雨を降らせるのだろうか。
今月末で結社を各一つずつ、フェイドアウトすることに決めた。勿論会費を納めているので読者としては居続けることになるが、そこが表現者としての私が居るべき場所ではないことを先の件で噛みしめた。
相方とも何度か話し合い、結論に帰着した。
転機は静かに訪れる。それはいつものことだから私はそっと、そっとその輪を立ち去ることになると思うけど、いつか先方が気付いた時に何を感じてくれるのか。そんなことももう、一切考えないことにした。
私が歩んで来た変遷は、誰にも理解出来ないだろう。
500年前に詠んだ漢詩の一部を今でも記憶していることなど、その状況や心情や痛みがどのようなものだったか‥ など、人に理解して貰おうと思う方がきっと間違っている。
私が普通の人の30倍速で生きていることも、私が霊体に膨大な記憶を摘んで現在に至ることも、きっと誰にも理解することは難しいだろう。
私は旅をしている。幾つもの列車(肉体)を乗り換えて、その時々の経験を噛みしめながら。
ただそれだけのことだ。
26/10/25 Dun. 『生き方』

人と関わる事が苦手なのは昔からで、それは私の生まれ付いての容姿に起因する。
どれだけ思いを掛けても多くの場合、人は私の容姿に価値が有るか無いかで判断し、実質的には相手に掛けた思いが無価値に近く扱われる事の方が多かった。
だが年齢を経て来た今、少しずつその悪情況が逆転しつつある。勿論私の価値を分かる相手にそれは限定されるが、やはり私は予言者だから人が言わないような問題点をバッサリ指摘する事が多い。
その問題点に突き当たった人の中で、私の価値はそれまでの容姿至上主義から一気に逆転する。
過剰な謙虚さが仇になることを、神界からは度々指摘される。
持ち前の気前の良さが「扱いの軽さ」に繋がる点については自分でもよく分かって居るが、「人に寄り添う」気質をリラの巫女時代に培った記憶と習慣とが染み付いており、最近は意図的につっけんどんに人と接するよう心掛けを逆転させている。
晩年の千利休は敵味方の隔たりを極力取り払った生き方をしており、それが自らの命を断ち切る結果へと繋がった。当時私は忍びであったが、忍びとしては身に余る待遇を利休に受けていたことを今も忘れない。
だが同じように現代の人々と接するには、私の容姿が壁になる。
私が私らしく在る為には、自分が思う百倍は人に冷たく当たるべき。そうしなければ、私が無価値な人間として扱われることを、今世の多くの経験で学び過ぎる程学んで来た。
私は陽炎ではないし、ゴミでもない。
見た目がどうあれ歴とした人間であり、見えないところに多くの蓄積を持って居る。
その蓄積と経験は適切に活かさなければいけないし、それを軽んじる相手とは距離を置かなければいけないと、あらためて肝に銘じて行く。
