バッハ (J.S.Bach) と言う過去生の自分

私が過去世 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ であることは、あくまで私の過去の魂の履歴に過ぎません。
何故自分がその人であることを確信するに至ったか‥ と言うご質問はこれまでにも何度か投げ掛けられていますが、それは簡単に言えば「あなたは何故自分が人間であると確信するに至ったのですか?」と言う質問と、内容はほぼ一緒です。
なので答えるまでもありません。
 

他人事としてバッハの偉大さを挙げるとすれば、例えば以下のようなことになるでしょうか。
 

  1. 教会音楽、或いはゴシック様式の礎を築いた最初の人であること。
  2. 対位法と言う前人未踏の音楽理論を確立した、最初で最後の人物であること。
  3. 即興演奏の名手であったこと。これが後のサロン音楽文化の基礎となった点は見逃せません。
  4. 空間音響学の基盤を構築した最初の人物であること。
  5. 何より音楽全般の父として、作品や生き様、音楽理論に於ける彼の多くの実績が後世に受け継がれていること。


挙げればきりがないのですが、現在私が次世代の音楽の基盤を新たに構築している点を理解出来る人であれば、私がその人 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ であったことに於いては矛盾を感じない筈です。
ですが全てはあくまで、私の過去世の魂の変遷でしかありません。私は私、Didier Merahでありそれ以上でも以下でもないと同時に、現在に至るまで私のような人物が二人と存在しないことも又事実です。
 

 
Didier Merahは現在、自身の半生のお片付けの真っ最中です。未だ手の負傷も完治していないながら、新作のメモだけは日々湧き出て困っています(笑)。
人生の大掃除中にて、暫くは音楽評論や音楽紹介、音楽鑑賞にエネルギーを注ぎながら次の自分に備えて準備中です。
 
作品のみならず生き様を含む全てを次世代のサンプルとして確立しようと試みている最中なので、これからの私の言動はきわめてシンプルできわめて歯切れの良いものに進化して行くことになるでしょう。
 

一見優しい音楽を生み出している私ですが、言葉はとても辛辣でストイックです。
付け焼刃な甘ったるい同情は、一切しないことをポリシーとして生きています。私に何かしら話し掛ける時は、「歴史上の音楽の父」として、そして「次世代の音楽の母」を目の前にしていると言う気概と覚悟をもって接して下さい。
以後、このルールに反する内容(言葉遣い含む)のDMやメールには、返信はしないつもりです。

礼節は尽くして下さい。お願い致します。
 

 

愛とタイ料理と古巣

少し日常に変化を求めたくなり、週末の金曜日の夕方から母校のある仙川へ足を運んだ。
未だ日のある時間に母校を覗く予定だったが、何となく気分が乗らなかったので、真っ直ぐに仙川の西友の裏路地にあるタイ料理店「ヴィエンタイ」に直行した。

ずっと会いたかったオーナー、サカオラさんが優しく私を出迎えてくれた。昨夜遅くサカオラさんのLINEにヴォイス・メッセージを入れておいたので、今日私が店に行くことを彼女は既に知っていた。

その昔、我が家が今よりも経済的に厳しい状態にあった時代に、彼女には本当にお世話になった。ランチタイムを外した時間にサカオラさんは頻繁に私を(昔彼女が別の場所で経営していた)お店に呼び出しては、無料で店のまかない料理を私に沢山食べさせてくれたものだった。

それが数か月間続いた後にいきなりサカオラさんが「アタシ店ヤメル!」と言い出して、当時の店(ヴィエンタイ)がいきなり閉店。数か月間を経て今の仙川の別のタイ料理店の居抜きの場所に、サカオラさんが新しい「ヴィエンタイ」を開店したのがかれこれ、2019年某日のことだった。
(中略‥)
 
昨年末から私の生活環境が激変し、それと同時に食生活も味覚も変わった。以前よりも食が細くなり、それと並行して自然とウェイトも落ちて行った。
店に着くや否やサカオラさんが「アラ、少シ痩セタネ~!」と言ってにこやかに私を出迎えてくれたが、どこか少し元気が無くて心配になった。でも彼女が作り出す料理は今の私の体に、しみじみと‥ これでもかと言うくらいにしみじみと沁み渡って行く。

 

 
以前ならば何をどれだけ出されても生真面目に完食出来た私だったが、今は当時とは勝手が違う。私もコスパの良い体になっている分、胃袋の収納量には制約が生じる。そのことをサカオラさんに話すと、丁度良い分量の料理を盛りつけてくれた。

上の写真の牛肉煮込みヌードルのスープは、なんと漢方薬を使って出汁を取ったとサカオラさんが話してくれた。そうとは知らなくても、このスープからは何とも優しい味が醸し出されて心も、そして思い出までもじんわりと癒してくれた。
 

何となくもう一皿小皿料理が欲しくなり、フライドポークのようなエキゾチックな肉料理をオーダーした。付けダレに辛味の効いた調味料が付いており、それが又夏の暑さをポ~~ンと吹き飛ばしてくれる。
 

 
昨年夏の今日と同じ頃、私はヴィエンタイの常連客の一人とSNS上で酷い口論になり、人間関係が拗れ、それが原因で店に行くことを控えていた。私と拗れたその人は仙川の住人であり同時にヴィエンタイの常連でもあるので、迂闊に店に行けばどうしてもどこかでは対面せざるを得なくなる。

そうはならないよう私は先方のテリトリーには近付かないよう気を張っていたが、一昨日辺り‥ ふと、サカオラさんの顔が脳裏に過り、彼女にどうしても会いたくなった。なので昨日・金曜日は夫に外出の許可を得て、兎に角仙川に向かったのだった。
 

サカオラさんと何を話したのかについては、当然ここには書けない。表には出せない内容が多かったからだ。
私とサカオラさんとは「そういう話」を躊躇いなく話せる仲。どうして、いつからそうなったのかは正直私にも分からないが、普段頻繁に会っているわけではないのに逢えばナイショ話に花が咲くのが私達流だった。
昨夜もそうなったが店が意外に忙しく、彼女と多くを話すことは出来なかった。
 

 
2時間強を「ヴィエンタイ」で過ごし、会計を済ませて外に出た時に、厨房からサカオラさんが私を追い掛けて来てくれた。そのまま彼女は厨房を放り出して、10分程度ではあったけど立ち話を楽しんだ。
 

段々と日が長くなり19時を過ぎても外は明るかったが、一度日が暮れてしまうと辺りは独特な夏の静寂に包まれ、もの悲しい空気に心が押し潰されそうになった。
きっとそれは、その場所が私の古巣の「仙川」だったから‥ かもしれない。

サカオラさんと少し立ち話をして、彼女とハグをして「また来るからね」と言って彼女と別れると私は、そのまま仙川駅とは逆方向に歩き出した。確かめたいことが幾つもあって、その幾つかをこの目で確認したかった。
 

学生時代に足げく通った「アンカーヒア」のある通りを真っ直ぐに、母校の校舎に向かって突き進んで行くとその場所はいつの間にか別の店舗に変わっていた。
Facebookでは2018年3月4日以降店舗の更新が止まっており、その後何度か仙川に行った時も店はずっと扉を閉めたままだった。もう一度だけあの「唐揚げランチ」と「トマトシチュー」が食べたかったので、仙川に行く度に機会を覗っていた。

昨年5月までは確かに、そこに「アンカーヒア」の店舗だけはあったが、今日は跡形もなく消えていた‥。
 

立ち止まれば涙が溢れ出そうだったので、そそくさとそこを立ち去った。その足で昨年の同じ時期には未だ建て替え工事中だった、夜の母校(桐朋学園音楽大学)を見に、歩を進めた。
 

桐朋学園の現在の学生ホール (2022.06.17 21:10頃)

 
「もぐら」の巣と呼ばれた昔の校舎とは違う立派な建物が、そこに聳え立つ。勿論私の知る、遠い思い出の中の懐かしい校舎はもう、そこには無い。

同じ場所なのに違う世界がそこにはあって、私は何度も過去の記憶をダブらせながら「今」を認識しようと努めたが、なぜかどうしても今日に限ってそれが上手く行かない。
恩師・三善晃氏と過ごした時間はもう、ここには流れていない。同じ時の末端に居る筈。だけど今と過去とはどこかで分断されてしまった、そんな気がしてならなかった。
 
どこからともなく届くトロンボーンの音色。そこに折り重なるように、さらに遠くから微かに風に乗って聴こえて来るオーケストラの音色‥。きっとこんなに遅い時間だけど、学生オケのメンバーが音を重ね合わせているのだろう。
 

前に進まねば。ここに長く居たら気が滅入りそうだ。
そう思ったので私は又、元来た道を引き返したらそこに、こんな日に限って懐かしいブティックに突き当たる。本当に何と言う日だろう‥。
 

 
学生時代、未だ(亡くなった)母の虐待が日常的に行われ、思うように衣服も買えずに居た頃によく通りがかっていたブティックだった。
当時、学生の私には未だ背伸びしなければ着れない服だったが、今夜の私ならばこんな服も似合いそうな気がした。

もう母もこの世を去り、私のファッションの妨害をする人はこの世に一人も居なくなった。
さっき「ヴィエンタイ」を出た時にサカオラさんが、「アト、4~5キロ痩セタラモット綺麗ニナルヨ~」と言ってくれたが、確かに私もそう思っている。
存分にお洒落がしたい。昔、あの5人組のアイドルのステージ衣装のアイディアを昼夜を問わず捻り出していた時とは、何もかもが違う。今は自分自身を綺麗に着飾らせてあげたい。
 

‥色んな思いを巡らせながら向かう21時半の仙川駅は、何ともエキゾチックだ。もうけっして若くはない私が、若い頃の感性のフィルターをそこに重ね合わせながら見つめる仙川駅の広場は、傷だらけの当時の私とその傷跡を今も少しだけ滲ませている数十年後の私が出会う、唯一の交差点だ。

 

 
買ったばかりのOladannceのイヤフォンにDidier Merahの「New Mother」を開通させ、大音量で聴きながら私は足早に京王線の駅に向かった。

微かに背後から、恩師の気配を感じた。振り返れば電車を何台も乗り過ごしてしまうかもしれない不安に駆られながら私は、「今」と言う時間と風をぎゅっと手に握りしめ、下りの電車に飛び乗った。

 

祝杯とターニングポイント

もし弟・山田大輔(故)が存命ならば、一昨日(6月2日)が彼の誕生日だった筈。でも、彼はもうこの世には居ません。
身内のみならず知人や友人にも、これでもかと言う程弟・大輔(故)はありとあらゆる嘘を吐き、偽りの経歴で自身を塗り固めた結果、そうした言動のストレスが大輔(故)の持病をますます悪化させて行ったように思います。
 

2012年の冬、父の遺産整理の件で十年ぶりぐらいで実家に帰った時、弟(故)は既に大病を患い、大きな手術を終えた後で彼の体はボロボロでした。
その時に彼は私に「自分は某大学にてハンドルネームで教鞭を執っている。」‥と話していましたが、それが全くの嘘だったことが後から薄々発覚しました。

大学で教鞭を執る際には、その人が既に芸名やペンネーム等で著名人になっている人物でもない限り、ハンドルネームで教壇に立つことは通常出来ません。ですが弟・大輔(故)は私に「匿名でW大学の社会科学科で教鞭を執っているんだよ。」と、堂々とそう言い切りました。
 

私は生まれ付いて、「暴きの星」を持っています。それは過去世からの私の宿命として、魂に刻印された習性でもあります。ですから怪しいと感じたことや不審に思ったことは、徹底的に調べ尽くします。
その結果、弟が私に当時話していた大学の「社会科学」の科目で教鞭等を執っていた形跡がなかっただろうと言うことまで、私は知っていました。

その辺りの経緯は後日、又あらためて綴ろうと思います。
 

  
それより今週は、この半年間の色々な出来事に一つ大きな区切りを付ける大きな出来事がありました。
それはとてもおめでたいことではありますが、余り明け透けに書くと嫌味にも響いてしまいかねないので、ここでは省略します。

ですが私達夫婦でひっそりと、都内某所で「幻の古代牛」と言われている原種の牛肉のサーロイン・ステーキを堪能して来ました。
これまでに味わったことのない、本当に素晴らしいお味と感触。
 

見栄を張るのではなく、本当に心から美味しいものを口にすることの歓びをようやく、50代半ば(夫は40代後半)で夫婦でこうして堪能出来る、この幸せが長く続きますように。

そして私達の新たな門出に、静かに祝杯を上げました。

 

※ここから下は、Instagramには綴っていない部分になります。⇩
 

私は幼少時代から高校生時代まで、実母に常にみすぼらしい格好をさせられて通学していました。一年に一着のピンクのジャンパーと紺色のスカート、せめても‥ と言う感じでトレーナーだけは二着買い与えられ、Tシャツも多分二着程度しか持っていなかったと記憶しています。

実際には母の方が資産家だったにも関わらずそれは家族全員の誰も知らず、「うちは貧乏でお金がないの。」と彼女は常に言い続け、外食も近所のお蕎麦屋さんか皿うどん等で、その中でも一番価格の低いメニューを私は選ばされていました。
ですがいざ母が亡くなり、蓋を開けてみると、内情は私がそれまで知っていたものとは全く違っていました。実際母は、司法書士も驚いて目を丸くするほどの資産家だったと言っても過言ではありませんでした。

それらの資産を彼女は家族には絶対に発覚されては困る為、家の中に仮想敵の形で私にその役を与え、彼女の預金通帳に何かある毎にそれが父にバレないよう、家の中に揉め事をでっち上げ、深夜まで父に私をお説教させる‥ と言うドラマを長年仕組み続けました。
 
人間疲労すれば、必然的にその他のことには目配りしなくなります。ただ疲れて眠るだけです。なので母は、父(或いは父が亡くなった後の弟にも)に疲労と言うギフトを与えながら、自分自身だけの資産を箪笥の中に仕舞い込み、それを頑なに守り続けてこの世を去って行きました。
 

結果的に私はそれらの全財産を相続することになったわけで、ある意味幸運だったと言えるでしょう。法定相続人が唯一私一人だったと言うこともあり、誰とも争うことなく、母が何十年間もの間(私を虐待しながら秘密を死守し続けて)守り続けて来た彼女自身の資産を全て私が相続することが出来ました。
 
近日中に我が家は転居等も控えている為、ここから色々な準備が目白押しのスケジュールになるでしょう。
私が引き継いだ遺産を「人生57年間の虐待と家族間排除の慰謝料」と思うと、まだまだこの程度では(相続した遺産の額は)正直足りません。ですがここは「足る事を知る」精神を持ち、私はようやく夫と二人で私自身の人生を思うように自由に前向きに歩み出せると思っています。
 

 
こういう言い方はどうなのかな‥ とも思いますが、あえて書きますと、2021年からのウィルス・パンデミック中のドタバタに翻弄され、多くの人たちが危険なワクチンを接種したことの後遺症で今後バタバタと命を落とすことになるかもしれません。

幸い私たち夫婦は、危険な未知のワクチンを一度も接種していません。
夫の計算計画通りに私たちは免疫向上の為のサプリメントを複数服用し続けて、かれこれ10年近くが経過しました。勿論油断大敵ですが、少なくとも新型コロナワクチンを接種していない分、既に接種してしまった多くの人たちのように「自己免疫力の喪失(低下)」と言う最悪の事態は免れられると確信しています。

 

これから町は新型コロナワクチン接種で免疫力を劇的に低下させた人たちで溢れかえり、尚且つその弱った体を別のウィルスが攻撃すると言う酷い事態が折り重なって行くと思います。
既にワクチンを接種してしまった人たちは夜も昼も不安に苛まれるだけで、そこに救いはありません。不安から逃げる為に、ワクチンを接種していない人たちに対する憎悪も彼らの心中には生まれるでしょうし、何より誤って未知のワクチンを打ってしまった彼ら自身の不安を解消する為に現実逃避のような行動を取る人たちも、今後増えて行くでしょう。
 

昨日も私のTwitterの「或るツイート」が、見事に炎上しました(笑)。
多くの反論や捨て台詞等が投下されましたが、私は出来る限りの範囲でそれらに珍しく打ち返してみました。私が何を言い、どう反論するのか‥、それを私の知らない人たちが私には悟られぬように見ていることでしょう。
それを意識しながらの私のTwitter上の変化球は、恐らくワクチンを既に接種してしまった人たちには濁った爆弾のように、心身に歪みながら突き刺さって行ったかもしれません。
 

私にも人情はあります。なので正論で他者を論破するだけが正しいやり方だとは、思っていません。そうしてはいけない人たちも居ると言うことを、私も又学んで知っていますから。
 
そして何より今後、昨日まで元気そうに見えていた人が突然‥ と言う事態も増えて行くでしょうから、正しい言葉の針だけを相手に突き立てることも少し控えなくてはいけないと思っています。
 

まだまだ書きたいことがありますが明日も予定がある為、ここは筆を分けようと思います。
近日中に弟・山田大輔(故)の真実について、綴ろうと思っています。
 

魂の負債

魂について、霊体について、そして宇宙やマザーアースである地球について、昨日からパラレルワールドに同時に生息する自分自身や夫との対話が続いています。
一見無駄なように視える時間の全てが有意義で、そして私達夫婦にとって、とてつもなく愛おしい時間です。
 

 
数か月以内に転居を控え、色々な意味で具体的な将来が見えて来ました。
新天地での暮らしは一体、どんな風になるのでしょうか‥。

これまで私をがんじがらめに抑圧して来た全ての「圧」から解放され、途端に物事が円滑に進み始めています。
これまでと同じ努力の分量で、その数倍の前進が叶って行きます。

特に人間関係。出来れば母が亡くなる以前の人間関係を一度まっさらにして、大切なものだけを小脇に抱えて身軽にその先へと進んで行けたら良いです✨

 

 
魂に大きな負債を抱え込んでいる人達との関わりを、ここで全て手放したいと思っています。
※ここで言う「魂の負債」とは、生まれる前の過去世に背負った魂の「負の財産」‥、言い方を変えると「カルマ」とも言いますが、そのようなものを指します。
 
そういう魂の負債を背負っている人達はどうしても、私の持つ魂のパワーを利用してご自身の魂の大きな負債を返済しようとする為、良い人間関係が築けなくなります。
そして頃合いを見計らって「共依存」のような関係性にシフトしようとするので、その瞬間に人間関係に大きな亀裂が生じます。
 

私に対して「やって当たり前」の感情が湧いて来るのも、魂に大きな負債を抱えて生きている人達の特徴と言えるでしょう。
そういう人に光やパワーを貸したり与えたりすることを、私も又完全に止めなければなりません。

冷たいようですが、そうしなければ彼ら自身が魂の負債を返済し終えることが出来なくなるからです。
なので私はそういう人に対し、心を鬼にして冷たくあしらうことにしました。
だって、彼らが背負っている魂の負債と私の人生とは何の関係も無いわけですし。
 

 
明日は友人と、夫を交えての静かな時間を過ごす予定です。
彼女の好きなものを食べて頂き、話したいことを話して欲しいな~と思います🌹
 

以下のブログも是非、お読み下さい。ブログ記事のコメント欄を開放していますので、コメント等お寄せ下さい。
 


 

回り始めた人生の輪

時々、物事が思うように行かない時は、ゆったり、まったりと優雅な気分に浸れる場所で美味しいお料理を堪能するに限ります。
日曜日もそんな感じで、美味しいフレンチのカジュアル・フルコースを頂いて来ました。

とにもかくにも母(故)や弟(故)の念もかなり薄まり、彼らの呪いのような圧が無いだけでも物事が順調に捗り始めていることは確かです。
 
唯一弟(故)の嫁の「りえさん(仮名)」が未だ、母の死亡診断書のコピーすら法定相続人の私に開示しない辺りは何とも釈然としません。
彼女には、色々な物事の引継ぎを、きちんと最後まで執り行う義務があると私は思っています。
ですので、弟(故)の嫁がそうした重要な書類を持ったまま私から逃げ回り続けていると言う、‥彼女のそういう言動が長期的にまかり通る筈がありません。

 

 
私は既に夫の家に嫁いでいるわけですが、夫の霊団がかなり強力なので、天照大神を始め夫の巨大な霊団が私達夫婦の前途をサポートしてくれると信じています。
その意味でも、弟(故)の嫁の今後のことは各霊団の判断と英断に託すことがベストでしょう。
因みに。某霊団を怒らせたことにより母の霊体は彼らに抜き取られ、その三か月後に母は他界しています。
 
因果応報。人の行いは必ず、自分自身に返って来るのですから。

 

 

私は次の人生に向けて、粛々と準備を進めて行きます。
 
幸い私を巡る新たな人間関係はとても良好で、皆さん本当に良くして下さっています。
Instagramで弟の嫁の「りえさん(仮名)の知人」の体(てい)で現れ、私にDMを送って来られた方が言うような、私を「危険人物」のように言う人は、私の親戚・親族と「りえさん(仮名)」ご本人やその周辺の人達だけです。
 
個性的な生き方をしている人と、言動が危険極まりない人との区別は付けなければいけません。さしずめ私は前者の側の人間です。
だって、芸術家ですから(笑)。
 
芸術家を名乗る人、しかも私はJ.S.Bach(バッハ)の生まれ変わりですから、凡庸な生き方をする筈がありません。
その辺りは是非、ご理解頂きたいものです。

 

祝いの席

劇中の刑事・杉下右京氏が言うように、必ずしも正義が勝つとは限りません。ですが悪が勝利して良い世の中など、まかり通ってもいけない。
仮に悪が優勢な状況が現実的にまかり通る場合には、非現実的な方法で悪は悪としての報いを受けることが望ましいと私は思います。

だからと言って私が悪を成敗することは出来ないので、そういう時は高次の方々の判断と英断に全てを委ねることが必須になります。

 

 
今日は色々な意味も含め、夫婦で(某所で)静かな祝いの席を設けました。
これまで滅多に味わうことの出来なかったシャトーブリアン(300g)をほおばり、その他の美味しいフードや店主の饒舌な会話に舌鼓を打ちながらのあっと言う間の数時間は、とても味わい深い貴重な体験でした。
 
今日はその他にも多々進展があり、数日前に私が下した「或る決断」についてもお世話になっている司法書士さんにお話ししたところです。

 

 
どうやらリアルの私の親戚界隈で、私は「指定危険人物」のように言われていますが、現在(特に今年知り合った‥)の人間関係の中で私をそのように言う人は一人も居ません。
 
先入観とは本当に恐ろしいものだと、言わざるを得ません。
そして容姿の欠落等なんのそのと言う様に外形的な情報をあっさり吹き飛ばし、物事を客観的に判断してくれる人との関わりを今後は優先したいと思います。
 
人間には誰しも大なり小なり「テレパシー」のようなものが備わっている筈。
その能力を以てその人の人となりを正確に判断し合える、そんな人間関係を今後は構築しなければならないと思っています。
 

 
数ではなく、質。良質な人間関係は、良質な未来を引き寄せると信じて、これからの人生を歩んで行きたいです。

勿論その代わり、これまでの私に排他的であったり不幸をもたらそうとしたり虚偽を述べたり、私からのアクションに対して悪意で無視した人達には、それなりの報いがもたらされると思います。
それは私の力ではなく私をこれまでサポートして下さった霊的な力を持つ方々によって、もたらされることです。
 
これは予告として受け止めて、その時がもしもあなた方に訪れた時には各々がその報いから逃れることは、絶対的な確率で出来なくなると思って下さい。
その意味で、正義は必ず勝利すると私は確信しています。

 

混迷と崩壊へと向かう地球

日付と曜日を照合すると、今日はまさに『13日の金曜日』と言うことになります。⁡
⁡
このところ個人的なイベントや会食等が増えており、一昨日も一つ大きな山場の打ち合わせに出掛けて来ました。⁡
正直良い収穫はなかったのですが、そんな折りに昨年私や夫・天野玄斎氏が予言していた事が地味に地味にニュースになり始めました。⁡
 

  
私たちはその事を既に昨年の同じ時期には察知していたので、かなり大きなタイムラグの後‥ と言う印象を持って捉えています。⁡
⁡ 
この半年間のきわめて個人的な出来事に忙殺され、私達夫婦は予言或いは預言から遠ざからざるを得なかったのですが、私達をそういう状況に誘導したのもおそらく『圧』或いは『高次悪』の仕業だと捉えた方が適切でしょう。⁡
⁡ 
神人共食だけは日々続けてはいたものの、少しだけ幻視や予言からは距離を置いて世界を俯瞰するしか出来ない状況でした。⁡
とは言え私達二人がどれだけ予言(預言)をSNSから発信しても、私達が『予言者(預言者)』を職業として明示して活動していない以上、他の方々にそれを信じなさい‥ とは言えません。⁡
⁡ 
但し。⁡
新型コロナウィルスワクチンを既に接種してしまった人たちは自己免疫力をワクチンによって駆逐されている為、今後新型コロナウィルス以外の危険に晒され、そこから逃げられない袋小路に追い込まれて行くことになるでしょう。⁡
 

ジオ・コスモス

 
予言者達である私達は少なくともその活動を続けて行く為の、諸々の準備はして来ました。⁡
ですからこの先はただただ、急速に崩れ行く地球とそこから立ち上がって生き延びて行く人たちの両方に向けたメッセージを、それとなく発信し続けるしかありません。⁡
⁡ 
地球の未来の予言(預言)に関心のある方は是非、私(Didier Merah)、そして夫・天野玄斎氏のTwitter等をフォローして下さい。⁡
諸事情により大々的な発信形態は取りませんが、日々の生活の一部としてそっと予言を滑り込ませて発信しています。⁡
感覚を研ぎ澄ませて、各々の文字を追って下さい。⁡
 

シャトーブリアン

堰を切ったようにこのところ、物事が上手く行き始めたような気がします。それもこれも、長年私を押し潰して来た「圧」の根源が一先ず、この世界から消えたことによる影響なのでしょう。
ずっと「圧」には悩まされ続けて来ました。今治療途中の「ばね指」も「圧」による弊害の一つですが、少しずつ、薄皮を剥ぐように治っています。
 

勿論亡くなった母だけではなく弟(故)の嫁も含め、私を良く思わない人達全てが居なくなった訳ではないのですが‥、例えば弟・大輔(故)の嫁・りえさん(仮名)が(管理費の高い)同じマンション別階からひっそりと消えて転居せざるを得なくなったように、これまで私の前途を平然と押し潰して来た人達にそのツケが全て跳ね返って行く事になると思います。

母が亡くなる約三ヶ月半前の夏のある日、大きな霊団の手筈により(母が)霊体を剥奪された瞬間の音を聴きました。あの、妙な鈍く重い音はこの先一生、記憶から消えることはないでしょう。
その三ヶ月半後に、母は永眠しました。
生命と霊体との繋がりを、あの時程身近に感じたことは今までなかったと思います。
 
全ては母自身のこれまでの言動が引き寄せたこと。同情の余地はありません。彼女が招いた最期だったと、私は思っています。
 

近い将来、私は母が逝った後に残された実家をリフォームし直して、そこから第三の人生をスタートする予定です。
因みに実家マンションの管理費は、およそ一軒で15,000円/月ぐらいになります。我が家(実家の両親)は二軒分を一軒として最初に購入している為、物件の維持費は倍になります。そこに毎月積み立て修繕費がさらに管理費と同等額乗って来ます。

つまり部屋の維持費だけでも毎月数万円には上るので、流石に中医学関連店舗のバイト代を主な収入源に生計を立てている弟(故)の嫁・りえさん(仮名)一人では、このマンションの家賃の支払いの継続は無理だったと思います。
 

 
まだまだ前途多難ではあるものの、第三の人生に向けた一つ一つが一気に進み始めています。それもこれも、法破りな方法ではなく一個ずつを誠実に、何より私が肝に銘じるように人と正直に向き合っているからこそもたらされる、「神様からのご褒美」ではないかと私は感じています。
 

そんな私と夫の現実的な一歩(いえ、二歩から三歩‥)を祝し、昨夜は美味しいシャトーブリアンをたっぷりと堪能して来ました。
若干疲れが出ていた私も珍しく赤ワインを頂き、ライスは省いてその代わりに野菜サラダを多めに摂取し、栄養価を考えつつも味覚を大いに揺さぶってくれる内容の良い食事を堪能しました。
 

 
美味しい料理は「何を食べたか」に加え、「誰と食べたか‥」がとても大切な記憶として積み重なって行きます。さしずめ今の私は、夫と食卓を囲む時間に幸せを感じています。
 

昨夜夫と二人で、シャトーブリアンを食べながら思いました。
もしも弟・大輔(故)の嫁・りえさん(仮名)が最初から私に誠意を尽くしこれまでの詳細を全て正直に話し、尚且つ私の目を見て心から私に詫びを入れていたなら、共にシャトーブリアンを食べる未来があったかもしれないと‥。
 
亡くなった母は頻繁にりえさん(仮名)を呼び出しては、近くのレストランや和食のお店等でリーズナブルな洋食やお蕎麦などを食べに出掛けていたようです。私なんかよりしっかりとお金を貯め込んでいた筈の母でも、流石に気兼ねなくシャトーブリアンを、りえさん(仮名)と共に食べるようなことは無かったようです。
なぜならば母は自分には高価なものを、他者にはそうでないものを恩着せながら差し向ける人でしたから。
 
母はあくまで亡くなった大輔の身代わりとしてのりえさん(仮名)と、接していたのではないでしょうか。一人の人間としてではなく、あくまで彼女・りえさん(仮名)は弟(故)・大輔の身代わりでしかなかったと思うと、それはそれで何ともやりきれない気持ちになります。
  

 
かつて若かりし頃に少しだけ料理人もどきを仕事にしたことがあり、私の味覚はかなり冴えています。細かい調味料を全部言い当てるには至りませんが、食すことで多くの料理の情報を舌の上で吟味分析することが出来ます。
 
食べることが大好きだった母(故)や弟・大輔(故)はそれぞれ食の好みは違いましたが、もしも私を味方にしていれば、もっと多くの楽しい食卓を共有出来たことでしょう。
同様に、大輔(故)の奥様のりえさん(仮名)も、接し方次第では私から多くのものを引き出せた筈です。私は根っこは、ケチでも意地悪でもないので。
本当に残念です‥ としか言いようがありません。全ては因果応報、自身が発したものや心掛けは全て未来の自分に返って行きますから。
 

さて、この記事に貼り切れない写真が数枚あるので、そちらはサクっとInstagramに掲載しておきます。
 
57年目の私の春は、なんと解放的なのでしょう。美しい桜の花々を何度も愛で、そして木々たちと静かに会話を楽しむことも出来ました。
 

 

でも私の本当の春は、これから訪れます。
 

私と桜と神様と

久々にスピリチュアル系の記事を書いています。‥と言うのも、ここ数日間の桜の花々が余りにも美しく、ずっと見上げているとこれまでの全ての苦悩や悲しみが一斉に洗い流されて行くような感覚になったからです。
 

40代前半、現在の夫と結婚するまでの私は、とある理由により、大の「桜嫌い」でした。
かれこれ20代前半に私は実家を出ていますが、それまでは毎年春になると家族で「お花見」と言う名の過酷な修行が控えていました。
私にとって、家族の行事は常に虐待と隣り合わせでした。
 

ここ最近のブログ記事にも綴っているように、私は生まれ付き顔に刻まれた大きな傷跡(呼吸器障害と連結していますが‥)が理由で、両親に「みっともない女児」として扱われ、家族や親族の行事からは常に排除され続けて来ました。
冠婚葬祭は愚か、夏の旅行や春のお花見その他の全ての行事の直前になると、私は決まって母の謂れのない暴力を受けていました。理由は何でも良かったのです、母にとっては。
私が良からぬ行動を起こし、「こんな状態では旅行になど行けないわね。」と言う理由を母は毎年無理矢理作り出し、人前に出られない程の青い痣が顔じゅうに広がるまで彼女は私を殴り続けました。
 

当然そんな状況ではお花見どころではなくなり、家族がお花見に行っている間私は否応なく自宅で留守番をせざるを得ない状況になり、毎年春のこの時期になると、(24歳で実家を出た後でも)私はそのトラウマと格闘しなければなりませんでした。
その影響で、春の鬱は私が現在の夫と結婚するまで付き纏いました。

 

 
ですがそれは、ある事を機に改善されて行きます。

記憶にある限りで書くと、2010年3月に「Kono Hana Sakuya」を録音した時が最初でした。

 


そして二度目が、2018年にリリースしたアルバム『Wa Jazz』の中で、天照大神(あまてらすおおみかみ)を描いた時でした。
 

 

これはこのブログのこの記事で初めて書くことですが、アルバム『Wa Jazz』のアートワークの「和」を久々の書道で描いた直後に私は、天照大神と或る約束を交わしました。
それは、「より強く天照大神と私とのパイプを深める意味も含め、毎年神様の頬を撫でるような優しい思いを心に、桜の花々を愛でること」です。
 
この約束はどこか私自身のマインドのブロックを開放させてくれるような意味合いを持っており、それから私は毎年、何れかのSNSやInstagram、時にはFacebookの個人アカウント(現在は執筆停止しています)等に、その年の桜を沢山撮影し、収めて来ました。
勿論デジカメを未だ持っていないので、これまで掲載して来た桜の写真は全てスマートフォンで撮影したものになります。
 

 
これはこの記事に書こうかどうか迷ったのですが、お姫様(天照大神を私は普段、こう呼んでいます)に「書きなさい」と言われたので、そのままここに書きますが‥。
 

最近よく言われる「低級霊」と言う言葉について。
この言葉に表されている「低級霊」は現実的には、存在しないとのことです。お姫様(天照大神)の直々の言葉なので、これは間違いないでしょう。
 
※よく「低級霊」を動物霊のようなものとくっつけて考えているヒーラー未満の人達の話しを聞きますが、土台動物や人間以外の生き物の言葉や思い等を理解出来ない人間に、動物霊を語る資格はありません。なので、以後動物霊や低級霊等を引き合いに特定の個人の霊格を貶めるような文言を見掛けたら、それは全て、その言葉を発した人から特定の人物への個人攻撃或いは嫉妬心の代弁だと思った方がベターです。※
 
理屈は至ってシンプルです。
ものの「霊」とは、生前の所業によって決定されます。つまりその生命が生き物として生きていた時分にどのような功績を残したのか‥ が、死後の霊格の基盤になると言うのが一つの仮説。
もう一つの仮説は、その「生」がそれまで歩んで来た命と振舞いの変遷(例えば陰徳をどれだけ積んでいるか‥等)が、死後の霊格の基盤になると言うものです。
 

私の場合はリラ星に巫女として生きた時代からの長い月日とその間の陰徳を霊体が積んでいる為、上記の両方を跨いでいると言うのが神々の共通認識としてあるようです。
 
但し私の霊体の基盤が人間離れしている為、私がその現世現世各々でどれだけ普通に振る舞っても、そこには既に「高い霊格」が付いて回ります。
つまり私が人間としてだけではなく、仮にその他の生き物に生まれ付いたとしても、降臨した段階で既に高い霊格を持っている為、なかなか普通の世界に馴染みにくいと言うデメリットを併せ持っているとも言えるかもしれません。
逆にそのデメリットの裏返しとして、私がどんなジャンルで何を行ったとしても「普通」の枠をあっさり超えてしまう為、余り庶民的な人との関わりを持たない方が物事が上手く行くと言う、何とも言えない特徴もあるようです。
 

人と馴染めないことには色々な理由がありますが、「私の場合はそもそも庶民的な現世世界が私の馴染むべき世界ではない為、無理に馴染む必要がない」と言うのが、これまで密かに関わって来た神々の共通の回答として弾き出されています。
 
この「馴染めない」を強引に「価値のないもの」とか「低級霊に取り憑かれている」‥等と言う現象と結び付けようとする人が一部居るようですが、そもそも「低級霊」と言う実在しないものを引き合いに持って来る段階で、ナンセンスとしか言いようがありません(笑)。
 

 
私は常に孤独であり、孤高です。
過去と現在と未来を同時に見据え、その世界に何をもたらせば最も良い世の中になるのか‥ と言う事を常に考えて生きています。
それは個人的に関わっている誰かに特別なクーポンをもたらすようなものとは全く異なる為、至って表面的には地味に見えます。現世的には「何もしていない人」のように見られることも多々あるようですが、私は別に構いません。
 

今日、実は生まれて初めてモンブランの高額な万年筆を購入し、今その感触を堪能したところです。
本物に触れると、それまで触れて来た本物未満との大きな差に気が付きます。勿論本物未満にはそれはそれの良さがありますが、本物に触れた後にはもう、それ以前には戻れなくなります。
本物以外を必要としなくなるのです。

 
スピリチュアルもそれと同じです。
他者の、私に対する評価も同様です。実際に私と深く関わった人の中に、私を悪く言う人は居ません。(勿論、マウント目当てで最初っから私に対し、いつかマウントを取ってやろう‥ と目論んで近づいて来た人については、これには当てはまりません。)
 
確かに私はとても難解な人間であることは重々承知ですが、芸術家なのだから当然の事です。むしろ、いっつもペコペコ人に頭を下げて身の丈よりも小さくまとまっている方が、余程不自然です。
 

 
この記事の最後に、2018年にリリースしたアルバム『Wa Jazz』から、天照大神(あまてらすおおみかみ)の威厳と慈愛を余すところなく表現した『Miyabi』(YouTubeのDidier Merahのトピックからの引用)を掲載します。


【予告】
近日中に、亡くなった私の弟・大輔との思い出話と近況を綴ります。

 

永遠の怒りの意味

都内某所の実家の清掃や遺産相続の諸々と並行しながら、私の日々の活動と自宅の大掃除とがさらに絡み合い、時は粛々と進んでいます。
昨日は母や弟(二人共に故人)関係者と思われる数名宛てに送付する手紙の下書きに追われ、今日 2022年3月2日は「とある物」の設定変更及び解除等に数時間を要し、某電話会社の店員さんにも多大なご迷惑をお掛けしたと思います。
 
昨年暮れから胃腸の調子も思わしくないのですが、今日の予定作業を終えた途端にようやく久々の空腹感を体が放ち、最寄り駅で「牛すじ肉のオムライス」を頂いて帰宅しました。

確かに私は気性の荒い部分と繊細さが混沌とした性格で、尚且つ厳格です。とはいえ、人生でここまで激怒したことも又珍しい‥。
今回は故人への怒りとは別の、故人と関わりの深かった「生きている人(達)」への怒りが大きいのかもしれません。
 
たった一言の謝罪がない為に永遠に尾を引いたままのこの怒りは、私が生きている限り、又相手が私への意識や態度の改善が見られない以上永遠に続くでしょう。
シュールな点を挙げればその人達は、彼女たちが生きている限り私への負の報酬として永遠にエネルギーを私に差し出し続ける人生を強いられることになります。
つまり彼女たちの望む幸運や幸福な将来を得られなくなる可能性は大で、実際にそうやって私の傍からは命からがら逃げ惑いながら現在も釈然としない時間を過ごしている人達が実在します。
 
これは私が望もうが望むまいが、彼女(彼)等はその運命から二度と逃れることが出来ないのです。
 

 
今日は母が秘密裏にこの世に遺した「ある物」に対し、法的ルールに則って設定変更処理を施しました。

どんなに私に秘密裏にしたとて、私が本気で調べれば多くの秘密は私に事の詳細を語ってくれます。これまでもそうでした。きっと今後も、秘密の側から私に本来の事実を打ち明けてくれるに違いありません。
 
私の怒りは衝動でも弾みでもないので、私が本気で怒りのスイッチを押した時は覚悟して下さい。
あくまで法律に則り物事は動きます。そして神の御心がそれを必ず助けることになります。

 
この記事の最後に、生前の弟・大輔が大好きそうな曲を貼っておきます。これも姉の私の、彼へのささやかな供養の一環です。