主役は音楽

或る音楽ユニットのPVを観ている。カラグレに拘りを持っていて、確かに色彩センスは抜群だ。
‥だが皮肉なことに優れた色彩センスが音楽を完全に制覇している為、肝心な音楽が殆ど耳に入らない。 映像を観れば『あヾこの映像のバックにあの音‥』と想起出来るが、音楽が独立出来ないまま窒息している。

此れ、私がCMや映画音楽方面を敬遠した第一の理由に等しい。 映像を観れば音を思い出せるが、音楽を単独で聴こうと言う気になれないからだ。
 

少し話が脱線するが‥。上にも綴ったユニットの、新作のジャンルはLo-Fi Musicだ。
作曲者自身はアカデミックな音楽教育を受けているにも関わらず、自身のユニットのメインの方向性を「ポスト・エレクトリック」に傾ける一方で、最近はハードなEDMや映画音楽系のインストゥルメンタル等も増えている。
だがこの冬の新作はユニット名を変えながらのLo-Fi Musicで、Lo-Fiものに多い短編集のような短い楽曲が十数曲、軒を連ねる形になっている。
 
だがどの作品を取っても軸になるメインのメロディーが存在せず、さらに音加工に作為的に「汚し」を加えた「汚い音質」になっており、本来そのまま、素のままアウトプットした方が断然良さそうな楽曲が古着のジーンズのように汚し尽くされていて、聴いていて気持ちが塞ぎ込んで行く。

PV映像のカラグレが徹底的に美しいがゆえに、音楽の主役を全て映像に奪われた格好だ。音楽が自立出来ていないが、映像音楽としてはそこそこ成立しているので作者たちはきっと気分が良いのだろう‥。
 
話を元に戻そう‥。
毒親の実母は幾度となく、『何故人様に自分の音楽を使って頂こうと思わないの?』と耳にタコが出来る勢いでまくし立てて来たが、私は一切首を縦には振らなかった。
私は映像を主役に見立て、その補佐の位置に音楽を位置づけることを悉く嫌った。主役に相応しい音楽を助演に転落させてでも、自身が世に出たい‥ 等とは一度たりとも思わなかった。
 
当時作曲科の先輩の一人がPARCOのCM音楽でアタり、それを機にCMの人に変貌して行く様を傍で見ていた。
多くの母校の作曲科の後輩たちが「彼」に憧れ、中には用もないのに「彼」の取り巻きみたいな座に居座り満足している人たちも現れたが、それを見て私は「彼」に対して一気に萎えた。
PARCOのCMで大当たりした「彼」はほどなくしてピアノ科に所属していた冴えない女性を恋人にし、彼は多くのピアノ曲を書いては「彼女」に演奏させていた。
 
大義名分が出揃ったところで、二人は堂々と校内でつるんで歩くようになった。
「彼」が作ったピアノ曲を「彼女」が演奏するのだが、皮肉なことに「彼女」よりも「彼」の方が演奏の腕は上だった。
にも関わらず「彼」は「彼女」と何としてでも「音楽の繋がり」と言う大義名分を守る為に、自身が書いた現代音楽風のハチャメチャな楽曲を自分よりも圧倒的に技術の未熟な「彼女」に演奏させた。
 

「彼女」は元々(正直に書くが‥)女性としての魅力に欠ける人だったが、母校の優秀性でPARCOのCMで作品がアタり始めた「彼」との仲をアクセサリーのように着飾るようになったせいかそれ以前にも増して、自信と欺瞞の間を行ったり来たりする醜さを身に纏うと一気に汚れて行った。
あくまでこれは私が傍目から「彼女」を見た感想なので、実際にそうだったかどうかは定かではないが、年中生理用品の臭いを体じゅうから放つ汚物のようで、校内ですれ違っても絶対に近寄りたくない相手だった‥。
 

間もなく私はピアノ科を卒業し、作曲科に転科して母校の「研究科」に進学したが、余りの内容のつまらなさに満期(2年)まで終了することなく途中退学し、その足で実家を出た。
 
[中略 ─ ]
 

 
若くて尖った時期をマイナーな民族音楽やらシャンソン等に捧げ尽くす一方で私は、それとは真逆のアイドル業界で『お手伝い』みたいなことをやり続けていた。
メンズ・アイドルグループのシングル曲の選曲や、コンサートやポスター撮影の彼等の衣装のセレクトから買い付け等をサポートしていたが、そのことを当時の近しい友人知人だけが全く知らなかった。
 
メンズグループのとあるヒット曲を最後に私は、彼等の「お手伝い」を完全撤退した。その後から彼等の楽曲の質が低下の一途を辿り始め、段々と彼等の活動から華やかさが抜け落ちて行った。
だが肝心の私は彼等を通してやりたかったことの全てを達成し、皮肉にも彼等の活動とは逆に完全燃焼した感が強かった。
なので当時表向きにはまだ売れに売れていた彼等の傍を後腐れなく、むしろ潔く離れることが出来た。
 

2022年、58歳。ようやく私は『音楽家』『芸術家』を名乗れるようになった。
心の中、脳内から無駄な音、無駄なノイズの大半が抜け出た分、どこでどんな音楽に接しても全く惑わされずに自分自身の表現手法に集中出来るようになった。
 

思えば若かりし頃、毒親の呪いの言葉に足を取られずに済んで本当に良かった。 もしもあの時母の怒りを鎮める為だけの理由で映画音楽やCM音楽の制作者になっていたら、多分現在の私は存在しなかっただろう。
 
私の力量を真っ先に見出し私を芸術家に育て上げてくれた今の夫に、心から感謝を述べたい。
 

その時‥ (That Moment..)

秋が間もなく終わろうとしています。
 
この記事のヘッダー写真は昨日の昼間、資産運用の話を一歩前進させるべく銀行へ行った帰りの街の木々たち。
 歌っています。
 燃えています。
でもそれは「燃えるような緑」とは違う、人間で言うところの「少し枯れ始めたところにある渇望」の燃え方。
 
青空との強烈なコントラストの彼方に、押し寄せて来る冬の眼光を感じます。
 
思えば現夫と再婚したのが2008年の春。未だ家族の二人が生きて私に幾多の呪詛を仕掛けながら、兎に角私を家族から徹底的に排除することだけに夢中だった彼等の日々は結局、この地上に何の歩みの痕跡すら残せませんでした。
 
「人を呪わば穴二つ」とはよく言ったものです。
但しここで言う「穴」には全く別の意味があり、私にとってそれは特別な響きを持つ言葉に生まれ変わったように感じています。
まさか私が弟よりも長く生きて骨と化した彼等の骨の音声を直に聴くとは、想像すらしていませんでした。
 
でも母や弟に「その日」が来たように、いつかは私にも「その日」は訪れます。その時私はどのようにして、骨となった自分の骨同士が擦れ合う時の音声を聴くのでしょうか‥。
私の場合は直ぐにこの世界に舞い戻って来ることになるでしょうから、もしかすると骨となった自分自身には全く興味すら示さないかもしれませんが‥。
   


 
木々は私に日夜話し掛け、そして歌います。
私は彼等を「〇〇‥合唱団」と命名し、この記事を書いている真夜中も彼等の幽かな声を嗅ぎ取りながら室内から彼等と語り合っています。
テレパシーを自由に扱えるようになれば、いつどんな時でも話したい相手と繋がることが出来ます。
 
でも皮肉にも、「人間」と言う生き物だけが肝心のテレパシーを駆使することが出来ないようです。なので否応なく文字や音声言語が手段として必要になる分、相手は平然と嘘を吐くようになるので、最近人と話すことが億劫になっています。
 

会いたいと思っている人たちと仮に遠ざかってしまっても、もう私から相手に歩み寄ることもなくなりました。
今会いたい、明日会いたい‥ と言う私の気持ちに「いついつ何月ならば‥」と言ってタイミングに糸目を付けて来た人たちへは不思議なもので、私から二度目のお誘いを掛けたとしても会えた試しがありません。
 
なので私はある時から、「再び」の同じ予定を立てることをやめました。
皮肉にも先方が死ぬほど「会いたい」と切望して、再度私にアクセスして来ることもありません。
「その時」に思ったことを「その時」に行動に移さない人とは、おそらく私とは人生の速度が違うのでしょう。
 
勿論社会人として先方に必要最低限の歩み寄りは努力しますが、私に拝ませるような相手とは私はソリが合わないと思っています(逆ならばいざ知らず)‥(笑)。
 
せめて私は自分自身の「その時」が幸せで穏やかであるように、そして「その時」に私の作品が私の骨以上に地上に鳴り響いて行けるように、これからは自分磨きにさらに集中し、邁進したいと思っています。
 

His Name is “Glen” (Gray Alian)

私がどの星のどんな存在とコンタクトを続けているのか、若干書きにくい状況になりつつあるようです。
よく言われる「コンタクティー狩り」が実際に世界各所で起きていることだとするならば、宇宙の存在とコンタクトを現在も続けている私の身もけっして安全とは言えなくなります。
 
It’s getting a little difficult to write about what beings on which planets I’m in contact with. If the so-called “contactee hunt” is actually happening all over the world, then I can’t say that I’m safe as I am still in contact with beings in the universe.
 

よく言われる「グレイ星人」には、私の知る限り概ね2種の存在が在るようです。
 
一つは工場生産型に完全改良された、皮膚が黒に近いグレイ色のグレイ星人。彼等には痛覚が無く、時折私たち人類に対し横暴な言動に出ますが罪悪感が無い為、その暴挙を止める理由を思い付きません。

もう一つは知能も感性もかなり人間に近い、そもそもリラ星を何らかの理由で脱出した種。皮膚は象の皮膚を少し白くしたようなグレイホワイトで、ルーツは私たち人間と同じ、リラです。
 

As far as I know, there are generally two types of “Gray aliens” that are often said.
 
One is a gray alien whose skin is almost black, completely improved to the factory production type. They have no sense of pain, and sometimes act violently toward us humans, but since they have no sense of guilt, they can’t come up with a reason to stop their violent behavior for human.
 
The other type is a species that escaped from the Lyra planet for some reason in the first place, whose intelligence and sensitivity are quite close to humans. Its skin is gray-white, like a slightly whitened elephant skin, and their roots are from the Lyra, just like us humans. 
 

 
私が日頃コンタクトを続けているのは上に記載した後者のタイプのグレイ星人で、善悪の判断や高い知性を持ち、喜怒哀楽の感性を知る種。私は彼等を「ライト・グレイ」と呼んでカテゴライズしています。
 
その中でも恐らく最高峰のグレイ星人で、彼の名を「グレン」と私たちが名付けました。とても良い名前だとお褒めを頂いたので、グレン氏の妻にも「グレース」と命名しました。
 
The person I keep in touch with on a daily basis is the latter type of Gray Alien described above, a species that has good and evil judgments, high intelligence, and a sense of emotions. I call them “Light Grays” and categorize them.
 
Among them, he is probably the greatest Gray Alien, and we named him “Glen”. He seemed to like the name so much, and we also named Mr. Glen’s partner “Grace”.

 
かねてから地球にかなり接近して此方の様子を観察しているグレン氏とグレン氏が率いる一団は、現在他惑星のレーダーにその陰影を捉えられないように、地球の様子を静観しています。

何故地球を静観しているのに今の地球を救済しに来ないのか‥。
理由は簡単です。地球と国交がないからです。
 

国交のない領域に侵入することは、すなわち「侵略」を意味します。その状況を万が一地球の軍関係者が見つけた場合には、事と次第によっては狙撃の対象になりかねません。
なので今地球を遠巻きに見守っていると言われている多くの他惑星の宇宙人たちは、地球に降り立つことも出来なければ地球人たちを救済することも出来ません。
 
よって色々な場所で噂されている、宇宙人たちの艦隊が木星の衛星に集結している‥ 等のような噂は全て嘘だと言うことが出来ます。
 

Mr. Glen and the group led by Mr. Glen, who have been very close to the Earth for some time and have been observing the situation here, are currently observing the situation of the Earth so that the radars of other planets cannot detect its shadow.

Why have they been observing the Earth for a long time, but why are they not coming to save the Earth now?
The reason is simple. Because they have no diplomatic relations with the earth.

To invade an area with no diplomatic relations means “invasion”.
In the unlikely event that Earth’s military personnel find out about this situation, depending on the circumstances, they may be targeted for sniping.
Therefore, many aliens from other planets, who are said to be watching the earth from afar, cannot land on the earth nor can they save the earthlings.
 

 
かつてグレイ星人の故郷は壊滅状態になり、彼等は種を温存させるべく多くの物を失いました。
彼等の身体的機能の一部は勿論のこと、それ以外にも彼等は文明の多くを手放さざるを得ませんでした。
 
そんなグレイ星人たちの欲するものを幸いにも、私たち人類が保持していることは言うまでもありません。なので今の地球の危険な状態が一刻も早く鎮静化することを、実は「ライト・グレイ」の種族たちが心から祈っています。
 
幸い私は文化人枠の人であり、芸術家です。彼等に私が出来ることがあるとすれば、地球上で最も美しい音楽を彼等に伝えることでしょう。

今世で私が彼等に実際に接触することは多分、不可能に近いかもしれません。でも私の生み出す音楽が私の死後にもこの地球に残っていれば、彼等はそれを探して自分たちの星に持ち帰って普及させることが出来ます。
その日の為に私は、銀河系で最も美しい音楽を今後も生み出し続けなくてはならないと思っています。
 

The Gray aliens’ hometown was once destroyed, and they lost many things in order to preserve their species.
Besides some of their bodily functions, they were forced to give up much of their civilization.
 
Fortunately, it goes without saying that we human beings have what the gray aliens want a lot of things.
Therefore, the “Light Gray” race sincerely prays that the current dangerous state of the earth will be calmed down as soon as possible.
 
Luckily, I am a cultural person and an artist. If there’s anything I can do for them, it’s to tell them the most beautiful music on earth.
It may be almost impossible for me to actually contact them in this life. But if the music I create remains on this earth after my death, they can find it, bring it back to their planet, and disseminate it.
 
For that day, I must continue to create the most beautiful music in the galaxy. 
 

58歳 (58 years old)

昨年暮れから我が家は色々大変でしたが、何とか2022年11月3日、58歳の誕生日を無事に迎えることが出来ました。
正直ここまで生きて来られたことが不思議ですし、奇跡です。
 
もしも私が2011年の冬に以前の仕事(シャンソニエの伴奏業)を退いていなかったら、今頃私はこの世には居なかったと思います。
2011年の震災を機に色々思うところがあり、そこに夫の貴重なアドバイスが重なって、2011年の11月末に思い切って前の仕事を辞めて本当に好かったと、今だからそう思える自分がここに居ます。
 

 
私の実家の人たちはもう、誰もこの世に居ません。
 
私にとってはいわゆる「毒親」「毒弟」たちが集う場所。あれだけの毒が充満している家では、流石に長生きすることは難しいでしょう。
なので私は24歳で家を出て、そこから紆余曲折あったことには違いないですが、あの時の決断はけっして間違いではなかったと思っています。
 
家を出る最初の切っ掛けは略奪婚でしたが、ああでもしなければ私は「毒家族」たちにとことん身も心も搾取され続けたでしょうし、今日を迎えることなど出来なかったと思います。
 

 
2022年11月3日、都内のホテルコンチネンタル府中内の「レストラン Colt」を予約し、厨房からは総料理長と洋食の料理長、そしてパティシエその他の方々、そして総支配人まで駆け付けて下さり、可愛い女性スタッフのバースデーソングを聴いた時、正直泣きそうでした。
 
幸先の良い一日だったと、心から思います。
 
そして以前私が熱く関わっていた(皆さんもきっとご存じの)某5人組男性グループの育ての親(Jさん)の御霊もふっと現れ、その後ろには私が過去世「ファン・ジニ」だった頃の師匠が何故か仁王立ちの笑顔で控えておられました。
 
益々長生きして、そしてとことん利他的に、徹底的にストイックで辛辣な生き方(人生哲学)を今後も貫いて生きて行こうと心に決めました。
 

PS: LINE、TwitterのDM、Facebookのメッセンジャー等にお祝いのメッセージ(お祝いの品等もありました)を寄せて下さった多くの皆様に、この場をお借りして心より感謝を申し上げます❤
 

表現分析 [対比: 藤井風 対 Luxid]

この秋、藤井風の「死ぬのがいいわ」が世界的なヒットを見せている、そんな話をあちらこちらで聞くようになった。
確かに私も一時このミュージシャンにスポットを当てていた時期もあったが、言葉にならない違和感と私自身の事情も折り重なり、暫くの期間、藤井風から意図的に遠ざかっていた。
 
※私が対象を決めてその対象に光を当てた時、対象は実力以上の世のスポットを浴びることがこれまでにも多々起きている。
若かりし頃は私の、そんな自身の特性(特技)を乱用していた時期もあったが、今は自分自身の感性に集中する時だと感じたので、ずっと継続していたSpotifyの「世界の新譜」チェックも止めている。

 

 
そんな中2022年の秋、藤井風が立て続けに自作曲のPVを世に放った。一曲はgrace、もう一曲は死ぬのがいいわのビジュアル版YouTubeだ。
 
正直graceがリリースされた時点で私は藤井風の動画評論を出す予定だったが、どうしてもその内容に「書いてはいけないもの」が含まれていた為、公開を見送った。
※上に綴った「書いてはけないもの」は人の運命や未来(予知)に触れる内容を意味し、流石に音楽家として放ちたくても放てない場合も出て来るのは致し方ないのだが‥。

 
藤井風のメロディーメイクには一つの個性(藤井らしさ)があり、それは彼の基礎教育にきちんと裏打ちされているので、聴いていて伸びやかで華がある。
だが初期の藤井風と最近の彼とでは表現にかなり差があり、私が好きだったのは藤井風と言うキャラクターが商品として確立する前の、活動初期の風通しの良かった頃の藤井風の方だ。
 

 
藤井風の死ぬのがいいわのヴィジュアル版YouTubeを見た時、個人的にはこの動画がこの世にあってもなくても良い、つまりどうでも良いものと言う印象しか持たなかった。
むしろこのモノクロームで彩られ「毒」感満載な演出はある意味、今の世情をよく表している。
どこかダークサイドに身も心も乗っ取られたようなこの演出が、健全に生きようとしている若者に悪さを仕掛けなければ良い‥ と言うある種の危機感を感じた私の感覚は、あながち間違ってはいないような気がしている。
 
藤井風の、どこかしこに「death」な臭いをプンプン臭わせながらのこの動画のカムバックの背景には、一体どんな意図が込められているのか‥。
そしてこの動画を見た藤井ファンの熱いレビューをTwitterの中で数多く見かけたが、今の日本で問題視されている「教祖化」に似たカリスマ性の強化を狙ったものだとしたら、手口が余りにも巧妙過ぎて薄気味悪い。
 

 
そんな風通しの悪さをいとも簡単に吹き飛ばしてくれたのが、この人 Luxid と言う青年の藤井風のカバーYouTubeだ。
彼のInstagramのプロフィールには、こんな一文が添えられている以外は正体が分からない。

I wish to make music that carries true emotion.
 


Luxid がカバーした藤井風の「死ぬのがいいわ」の動画が、上の動画。冒頭のピアノの演奏が上品で、音色に華がある。
そしてヴォーカルが上に乗っかってからもバックはかなり控え目で、計算や作為が一切施されていない Luxid の歌唱表現が、言葉にならないくらい風通しが良いのだ。
 

恐らくこの風通しの良さは、Luxidの「引きの表現」或いは「足さない表現」が生み出しているものであり、これが維持出来るのは彼が「営業」や「マネタイズ」に対する欲求を間に挟んでいないからだと言えるだろう。
 
プロの手が全く加わっていない為時折日本語の発音ミスも見られるが、そんなものはどうでもいいのよ‥ とリスナーを説き伏せてしまう、Luxidの「素」の見せ方が初々しく眩しい。
藤井風も活動前半にはこの「初々しさの美」を持っていた筈だが、「きらり」で一気にメジャーの舞台に躍り出た後から様子が一変し、現在益々ある種の悪の技巧に磨きが掛かって来た感じは否めない。
 
体に毒だと分かっていても時々無性に食べたくなるなんとかチキンとか(笑)、なんとかバーガーは一個食べれば十分だ。最近の藤井風の表現にも、同様のことが当てはまるだろう。
なので初々しさ全開の Luxid の藤井風カバーに触れた時、正直初恋の味がして泣きそうになった。
 
本記事は藤井風 対 Luxid の表現分析の対比に焦点を当てて書いているので、Luxidのオリジナルのピアノアルバムについての評論は割愛させて頂くとして‥。
 

 
この記事の最後に、やはり藤井風と言えば「コレ!」的な「きらり」の両者の動画を貼っておきたい。
藤井の動画には、あえてLive動画を選ばせて頂いた。その方が比較がし易いと思うので。
 

計算され尽くした「商品美」と、とことん無計算の自然体の美。さて、あなたはどちらがお好みですか‥❓
 

 

シンプルライフ

仮に存命ならば、今日 10月30日は実母のバースデーでした。
そんな母も今は土の中。
生前、これでもかと言う程娘の私を排除し続けて来た彼女は今になって、その報いを受けている自身について、どう感じているのでしょうか‥。
 
昨日、渋谷は鶯谷町の物件(土地含む)の売却が終わり、残るはあと一棟、実家の売却のみとなりました。

本来ならばこの売却資金を元手に都内某所に一軒家を建てる予定でしたが、それを一旦保留にしました。
YouTube等の動画撮影の際、生のピアノが必要だろう。そうなれば鉄筋コンクリートの一軒家にベーゼンドルファーのピアノを入れて‥ と色々計画はあったのですが、それも全て取り止めることになりそうです。
 

 
ここから時代は大きく変わって行くでしょう。
夫の予言では、そう遠くない未来に日本の首都の移転があるとのこと。その時、「家」が足枷になることは余り好い状況ではないと感じたのは、私も夫も同じでした。
 
私の本業は「芸術家」。ピアニストではないので、最悪でも楽譜とペンが一本ありさえすれば作曲が出来ます。
ならば今のまま、電子ピアノにベーゼンドルファーの音源ソフトのセットで、レコーディングや音楽のリリースは身軽のままの方が良いかもしれません。
 
それより、総勢国民の8割が打ってしまったであろう新型コロナワクチンの副作用の連鎖で状況が激変した後に備え、私たちはただ、生き延びることに今は集中した方が良いでしょう。
 
最近は「良い食事」を心掛け、多少高額ではあるものの健康的で分量の多すぎない食生活にいそしんでいます。
 
10年前とは比較にならない程「食事」の分量も減り、今は一日一食半から二食弱で栄養は十分行き渡ります。
ならばとことんジャンキーな食事を減らし、農薬不使用の野菜中心の食生活を心掛けるのがベター。
 
勿論お肉も食べますが、それでも昨年ならば一気に400gから500gは入った胃袋も今は上限250gぐらいが限界。
だからこそ、良質な食事を‥。
 

 
ようやく思い立って、「花」と「食」のサブスクを始めることにしました。
「食」は夜食用のサブスク。どのメーカーのサブスクに決めたかはここには書かないでおきますが、「おかず」だけのサブスクを数回試してみようと思います。
 

脅すわけではないですが、ここから一気に人口削減が加速することになるでしょう。
これは自然神が決めたことなので、先ずは地球に生息するに相応しくないと自然神が感じる人たちから順々に、土へ、森へと、多くの人々が魂となって還って行くことになります。
 
その過程を私は既にアルバムSacred Forestに収めていますので、興味のある方は是非アルバム全編を聴いて下さい。
そこにはあえて文字や言葉にはせずにおいた地球の未来の映像が、音楽に形を変えて予言(預言)書の形で収められています。
 

謝罪と礼節

思えば昨年の12月26日から(負の意味で)驚きの連続でした。

私以外の家族全員の死を結果的に見届けることが出来なかったものの、正直彼らの居ない今の世界は私にとって澄んだ秋の空よりも美しく、晴れやかです。

家庭内暴力や両親からの身体的な虐待のことは、私の口から誰かに打ち明けたのはほんの数人でした。ですが当時私の実家のマンションの中で知らない人は居なかったでしょうし、小学校の担任の教師やクラスメイトの全員が知っていました。

時代柄ゆえ、結局のところ誰も私をそこ(負の境遇)から助け出すことは出来ませんでした。
 

最近になって私のブログを目にしたかつての知人(級友と書く方が正しいのでしょう‥)等数人から、FacebookやTwitterのDMを介してメッセージを受け取っていますが、皆さん、私が当時置かれていた状況を「知らなかった」と仰います。

でも「知らなかった」から昔のように接してよ‥ と言う彼らの横暴な要求は、私には飲めません。

私ならば、こう言うでしょう。
「仮に真相を知らなかったとは言え、当時の貴女の苦境をみすみす無視したことを心からお詫びします。」‥と。

 
体に残された痣の痕や傷痕よりも、心の傷痕の方が永く永く残り続けます。でもその傷跡は、ふとした方法で薄めて、そして温めて行く方法もある筈です。

それは「謝罪」と言う方法に尽きます。
謝罪から始まる人間関係が嫌だと言う当時の知人を又、私は受け入れることは出来ないでしょう。
 

サツマイモのポタージュ

 
私の母がそうでした。
「何があっても、仮に此方に非があったとしても、先に謝ったら負けよ!」が口癖の、大いなる偽善者とはまさに私の母のような人を指します。
同じような偽善者とはもうこれ以上、私は関わりたくはありません。
許す・許さないの問題ではなく、彼らが私に首を垂れるところにしか始まりが無いからです。それほどまでに、私が受けた心の幾千もの傷はとても深いところに刻まれているのです。

その事実を消し去ることは、もう二度と出来ません。それでも、その先の可能性を模索する為の、「謝罪」は唯一の方法なのです。
 
・知らなかったと言う罪。
・知ろうとしなかったと言う罪。
・知っていたのに見て見ぬふりをしたと言う罪。
・そして何よりご自身の潔白性だけを、私に押し付けて平然として居られる図々しさと言う罪‥。

どれ一つを取っても、私には到底受け入れることが出来ません。なのでここはすっきりと、彼らの全ての偽善を一切受け入れないことに決めました。
その上で私と言う人間と関わりたいと言うのであれば、それなりの礼節は守って頂きたいです。そこが再スタートの最後の鍵なのですから。

 

 
今日は少し体を休めた後に愛する夫と二人で、いつものホテル内のレストランでカレーセットを頂いて来ました。

 

墓じまい

2022年10月14日、来る実母の一周忌を前に家族三人の墓じまいを済ませました。
 
当日母の骨壺を実家から墓地まで搬送し、指定の書類に必要事項を記入している最中に事務の方より、本来ならば母の骨壺に入ったままになっていなければならない筈の「火葬許可証」が入っていないことを告げられ、再度ビックリしました。
流石にここまでのことになって来るとあらためて、母の葬儀の喪主に勝手に名乗り出て私にひたすら内密にして、母を火葬した弟・山田大輔(故)の嫁「山田りえ(仮名)」さんが、益々怪しく見えて来ます‥。
 
何より今現在も彼女は私から必死に逃げ回っているのですから、流石にこの件の裏には何かあるのでしょう。
「山田りえ(仮名)」さんは元・薬剤師、現在は中医学関連店舗のスタッフとして、都内某所に勤務されています。
 
数か月前に私より「山田りえ(仮名)」さんのご実家へ、「山田雅枝 遺産相続の件」について詳細に書かれた書類のコピーを添えた書簡を送付していますが、その書簡にも「山田りえ(仮名)」さんのご両親からの返信はありませんでした。
ご家族揃って怪しい何かを隠蔽しているのか或いは、ご両親が娘可愛さに「山田りえ(仮名)」さんを庇っての既読スルーなのか。
 
何れにせよこの現状がある限り、いつか何等かの形で、彼らの身に必ず天罰が下ることでしょう。
 

 
かれこれ昨年末から10ヵ月間、親族その他関係者に送付した手紙の返信はお二人から届いただけで、他の親戚の方々からの返信の書簡はありませんでした。
何よりお墓を通じて、私を阻害・排除し続けて来た親族たちと繋がりを持ち続けるのは本意ではないので、予定を早めて墓じまいに踏み切りました。
 
流石に母の一周忌を迎えず‥ の合祀墓への埋葬には、当日「抜魂式」を担われた曹洞宗のご住職さんも驚かれたに違いありません。 
それより、途中住職さんがお使いになられていた鳴り物(印金)の音色が、抜魂式の後半に進むにしたがってくすみを帯びて来たのは一体何故だったのでしょうか‥。
 

 
おかしなことに、母の遺骨の入った骨壺の中から「火葬許可証」は抜き取られていたものの、代わりに眼鏡が入っていたことには少し笑いがこみ上げました。
笑ってる場合じゃないのですが、本来火葬直後の骨はとても高温なのでその段階で骨壺に、遺骨と一緒に眼鏡は入っていなかった筈です。
‥と言うことは、一旦骨壺を持ち帰った後に、誰かによって骨壺が開けられた後に母の眼鏡を、骨壺を開けた人物が「火葬許可証」とすり替えたと言う認識が正しいのでしょう。
 
本当に怖いですね。
そこまでして、母の火葬を買って出た人は一体、私に何を隠し通そうとしているのでしょうか。
考えれば考えただけ、恐ろしくなって来ます‥。
 

心に秘密(例えば犯罪に関わる隠し事等)や疚しい出来事を隠している人は、後に心臓に疾患を抱え込むことが多いようです。
 
物騒な話はこの辺りでお仕舞い。
本当に疲れているので、久々に明るめのブラジル音楽でも聴いて休みます。

この記事を読まれている皆様も、結婚相手を選ぶ際には人間性をよくよく見極めて、言葉の終わりの響きが曇る人、或いは不必要にシャキシャキとした口調で話す人にはくれぐれもご注意下さい。
 

アマテラスの声 2. – 神人共食

午前中の澄んだ空が嘘のように、夕方から小雨に見舞われた東京都下。

今年の夏、実家に仕掛けておいたオゾン脱臭装置を一旦オフにする為に昨日は二つの駅を往復しただけなのに、ぐったり疲れて帰宅してから殆ど何もせず、かと言って眠ることすら出来ない悶々とした夜を超えて、日曜日、朝。
 

かねてから予定していた実家の墓じまいが色んな理由で少し遅延しているので、日曜日の朝には大まかな流れを把握したり業者手配をしたり‥ と色々格闘していたら、案の定の「圧」。
この「圧」が一体どこかで来ているのかなんて考えても無駄で、私がこの世に生まれてから今日まで続いた私の人生の妨害壁の最も大きな要因になっている実家のお墓を早々に片づけてしまいたいと言う気持ちは日増しに強まって行く。
 
今日まで私がどんなにか世界に向かって叫び続けたSOSを素直に受信し、私を圧から救出してくれたのは結局、今の夫と先日あの世に逝った愛兎のマイケルだけだった。
マイケルのあの、遺骨に残った綺麗な奥歯は最後に毒親だった私の母の魂を綺麗に噛み砕いてくれた。うさぎなのに、私と毒親たちとの忌まわしい数十年間の経緯など何も教えていなかった筈なのに、私たち夫婦の留守中にマイケルは母の魂を完全に嚙み砕き、その直後に旅立ったマイケルの最期を天照大御神が優しく看取って下さった。
 

 
そして翌々日にマイケルを火葬した直後から私は妙に花を好むようになり、最近三日に一度は近所の花屋に行って何かしらの花を買って花瓶一杯に挿すようになった。
最初は下っ手くそな活け方をしていたので夫が直してくれたりするうちに、このままではいけないと思いGoogleで生け花の「コツ」を検索して行くうちに何となく分かって来た‥。
 

品切れ続きだった大好きなダリアの花がようやく入荷していたので、数少ない本数の中から栄えある一本を夫に選んで貰い、他の花と合わせてゴッソリと買い込んだ。
 

胸元にマイケルの指の遺骨を詰めたメモリアル・ペンダントが揺れる度に、その箇所がじんわりと温まる。時々突発的に鬱に沈みそうになる私を魂のマイケルが鼓舞してくれる度に、嗚呼しっかりしなきゃ‥ と我に返る。
胸元のマイケルが「花瓶のお花が枯れそうだから、早く次のを探して来てね。」と、うさぎらしからぬ寂しげな目で私を見上げる。
 
夕方から小雨が降り始め、本来ならばこんな日に私は外出なんてしないのに、今日はそそくさと「花」をめがけて町に繰り出した。
 

 
夕食は‥ と言うより今日の一食目が既に夕食だったので、思い切ってコンチネンタルホテルで中華料理をアラカルトメニューから何品か選んでオーダーして行った。

実家の人たちは(実際には会ったことの無い親戚までもが)私を差別し排除して来たが、ホテルの人たちも最近会った人たちの誰もが私には本当に好くしてくれる。
たとえ私の顔に大きな傷痕があろうが、ストレスと「圧」で時折顔面に痙攣が走ろうが、そんなことはどうでもいいんだよ‥ とは言葉にせずにとてもとても親切に接してくれる。
 

今夜の神人共食の主役は、天照大御神だった。
天照大御神の真の気質を知る人は、この世界に何人くらい居るだろうか‥?
勿論彼女は厳かで厳格で気高くて、人を寄せ付けないような性格であることには違いない。だが本当の天照大御神はとことん優しくてたおやかで、そして時折とても茶目っ気たっぷりに微笑んで見せてくれる。
 

神々と神人共食(しんじんきょうしょく)を執り行うようになってから、私と夫の味覚は急激に敏感(超敏感)になって行った。
元々私は一時期料理人を営っていたこともあったし過去世では実際に料理人の道を歩んだ時期もあったからか、最近では多くの料理のレシピを空で認識出来るまでに味覚の感度が上がっている。
 
思うに霊力やテレパシー能力を高める基本が、「味覚を研ぎ澄ませ料理を味わう」ことにあると言っても過言ではないだろう。
ただ一心に料理を見つめ、食材や味に集中し、その料理を作った人の熱意と感性に寄り添い、頭上の神々に向かって「一緒に味わいましょう。」と言い自身の味覚を神々に貸し出す。
すると神々は自身が歓迎されていることを思い、静かに私に降りて来て下さる。
 
ただそれだけのことに集中し、黙々と料理を味わい尽くす。
 

 
帰宅して古く傷み始めた花だけを花瓶から抜き取り新しい花を生けると、途端に部屋が明るく騒がしくなった。
未だ神になって日の浅い新人の神々が、わちゃわちゃと食卓で会話を始めたようだ。
 
そして私はその様子をつぶさに見ながら、こうしてブログにそれを書き記して行く。
私の描く「芸術家の日常」はとてもスピリチュアルであり、なおかつ全てがノンフィクションだ。
巷に言われる「視えない世界が視える」‥ と言う概念は私には全く当てはまらないし、気を付けないと私は全てを視てしまう。類い稀な映像記憶を持つ私にとって時折辛い映像もあるが、最近の私は全てを霊体にしっかり刻印して行くことに決めた。
 

私の実家のあれやこれやですっかり忙殺に巻き込んでしまった夫が、ようやく重い腰を上げてぽつりぽつりと発信を始めたようだ。
彼は未だこの世界に無い概念を、当たり前のようにつぶやいて行く。余りに当たり前につぶやいているので、時折その内容を見過ごしそうになるが、よくよく読むとそれはさっき芽吹いたばかりの新しい花のように、この世界を未知の輝きで照らしてくれる。
 

 

  

2022年10月7日 ツイートのまとめ

久々に恩師・三善晃氏にまつわるツイートや、私の過去世の断片を綴ったツイートが連発しました。
記録がてら、この記事に一旦まとめておきます。